第2話 先輩と後輩
戦闘から戻ったアリアは、修道院の礼拝堂で静かに剣を磨いていた。
黒いロングパーカーの裾が石の床に軽く触れる。
エクス・ルミナの刃に残った黒い残滓を丁寧に拭い落とす手つきは、まるで罪を清めるかのように穏やかだった。
赤い瞳は再び柔らかい光を取り戻している。
「アリア」
背後から聞き慣れた声がした。
振り返ると、セリスが立っていた。
長い金髪を高く結んだポニーテールが、礼拝堂のステンドグラスから差し込む淡い光に輝いている。
白と金の戦闘修道服を纏った先輩戦乙女は、いつものように凛とした姿勢でアリアを見つめていた。
「セリス先輩……お疲れ様です」
「あなたこそ。お疲れ。……少し顔色が悪いわよ」
セリスはアリアの隣に腰を下ろすと、自然な動作で彼女の左肩に手を置いた。
使命紋の辺りを優しく撫でるように触れる。
「また、虚しくなった?」アリアは小さく頷いた。
剣を磨く手を止めて、膝の上で軽く握りしめる。
「……はい。エイドロンを斬っている間は、何も考えられないんです。
ただ、使命の声に従って、ただ斬るだけ。
でも終わったあと……自分が何をしたのか、急に思い出してしまって」
セリスは静かに微笑んだ。厳しい表情の奥に、温かさがあった。
「それでいいのよ、アリア。あなたが戦うときに冷徹になれるのは、あなたの強さの一つだもの。慈悲深い心を持ったまま戦場に立てば、すぐに死ぬわ。
私も昔はそうだった。でも今は……あなたを守るためにも、ちゃんと殺せるようになってる」
アリアは先輩の横顔を見上げた。
セリスはいつもこうだった。
厳しく、時に冷たく見えるけれど、アリアの内面を誰よりも理解してくれている。
「先輩は……どうやって、その気持ちと向き合ってるんですか?」
セリスは少し間を置いてから、答えた。
「向き合わないようにしてる、かな。使命は絶対。ルシアの意志は正しい。私たちはその執行者。それだけを信じれば、心は折れない。でも…」
彼女はアリアのショートボブを優しく指で梳いた。
「あなたは少し違うみたいね。慈悲を忘れないまま、殺戮の刃になれる。
……それが羨ましいような、怖いような気がするわ」
アリアの赤い瞳がわずかに揺れた。
「怖い……ですか?」
「ええ。だってあなたは、本当に『救いたい』と思ってるから。殺した相手にも、慈悲を向けようとしてしまう。戦乙女として、それは危険な心よ。
でも……それがアリアの魅力でもある」
セリスは立ち上がり、アリアの手を取って立たせた。
「今日はもう任務はないわ。少し休みなさい。
黒鐘が鳴ったら、またすぐに動きがあるかもしれない。……それと」
彼女は少し声を落とした。
「上層部が最近、妙に慌ただしいの。北方で大きな動きがあるらしいわ。
あなたも、近いうちに大きな使命が下るかもしれない。……その時は、私が必ずついていくから」
アリアは先輩の温かい手に、ほんの少し力を込めて握り返した。
「ありがとうございます、セリス先輩。大好きです」
「ふふっ、急にストレートね。後輩のくせに」
セリスは照れくさそうに笑い、アリアの頭を軽く撫でた。
姉妹のような、信頼に満ちた仕草だった。二人が礼拝堂を出ようとしたとき、遠くの鐘楼から、低く、重い音が響き始めた。
ゴォン……ゴォン……
黒鐘の音だ。アリアの左肩が、熱を持つように疼いた。
使命紋が淡く赤く輝き始める。セリスが表情を引き締めた。
「呼び出しの鐘。……アリア、大丈夫?
準備はいい?」
アリアはロングパーカーのフードを被り直し、ロングブレードの柄に手をかけた。
穏やかだった赤い瞳の奥に、再び冷たい輝きが宿り始めていた。
「……はい。先輩、いえ、副隊長」
黒鐘の街ノクティスは、再び戦乙女を呼んでいた。
しかしその鐘の音は、今日、いつもより少しだけ
歪んで聞こえた。




