表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【新作】ルシア戦記  作者: 泉水遊馬
第1章 黒鐘の残響

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/13

第1話 「戦乙女」

黒鐘の街ノクティスは、今日も灰色の空の下で静かに息づいていた。

古い石畳の道の両側に並ぶ建物はどれも煤けた白と黒で統一され、街の中心にそびえる巨大な鐘楼が、すべての者の頭上に影を落としている。


人々は低く声を潜め、時折空を見上げる。


空の向こう、中央大陸の彼方から伸びる光の柱が、今日も淡く脈打っていた。


アリア・ルミナリスは、修道院の裏庭で洗濯物を干していた。


黒いロングパーカーの裾が風に揺れる。


ショートボブの黒髪が、耳のあたりで軽く跳ねる。


小柄で可憐なその容姿は、街の住人から「慈悲のシスター」と呼ばれ、慕われていた。


赤い瞳は穏やかで、誰に対しても優しい光を宿している。


「アリア様、今日もありがとうございます」


通りかかった老婦人が頭を下げる。

アリアは柔らかく微笑み、首を振った。


「いいえ。お体、大丈夫ですか? 先週の傷はもう痛みませんか?」


「ええ、おかげさまで。……本当に、あなたのような方がいてくれてよかった」


老婦人が去った後、アリアは小さく息を吐いた。


この慈悲は、本物だろうか。


彼女は左の鎖骨にそっと指を這わせた。

そこには淡く輝く、赤い紋様が刻まれている。

使命紋。《深紅のルミナリス》。


使命を授かってから三年。

彼女はもう、普通のシスターには戻れなかった。


「アリア!」


修道院の奥から、セリスが駆け寄ってきた。


金髪の先輩戦乙女は、いつもの厳しい顔で彼女を見つめる。



挿絵(By みてみん)


「緊急だ。北の廃墟にエイドロンが現れた。

小規模だが、すぐに討伐を。聖導院からの直命よ」


アリアの表情が、静かに変わった。


「……わかりました」


穏やかだった赤い瞳の奥に、別の色が宿る。廃墟の街外れは、すでに戦場と化していた。


崩れた石壁の向こうから、黒い霧のような異形が這い出している。


エイドロン。使命に逆らった者たちの残響が具現化した、歪んだ怪物。周囲にいた数名の衛兵が 倒れ、血の臭いが濃く漂っていた。



挿絵(By みてみん)


アリアはロングパーカーのフードを深く被り、腰のロングブレード「エクス・ルミナ」を静かに抜いた。


黒い刀身が、薄暗い空の下で鈍く光る。


「皆さんは下がっていてください」


小さな声で告げると、彼女は一歩前に出た。


エイドロンが咆哮を上げ、複数の触手のような腕を振り上げた瞬間。

アリアの赤い瞳が、鋭く輝いた。




挿絵(By みてみん)


「神速」

世界が、音を失った。

彼女の体が残像を残して加速する。

触手が空を裂くより早く、アリアは怪物の懐に滑り込んでいた。ロングブレードが一閃。


斬。


黒い刃がエイドロンの体を斜めに両断する。


断面から黒い霧が噴き出すが、止まらない。

二閃、三閃、四閃。彼女は無言で、機械のように敵を切り刻んでいった。

表情は完全に消え、ただ赤い瞳だけが冷たく輝いている。

慈悲も、優しさも、そこにはない。

ただ「使命を遂行する殺戮マシン」だけがあった。


「先読み」

怪物の次の動きが、頭の中に浮かぶ。

触手が左から来る。

尾が右下から来る。

彼女は最小の動きで全てを回避し、同時に刃を振り下ろす。

数秒後、エイドロンの核が、音を立てて地面に落ちた。


戦闘終了。


アリアはブレードの血を振り払い、ゆっくりと目を伏せた。

瞳の輝きが引いていく。


「……終わりました」


周囲の衛兵たちが、畏怖と安堵の入り混じった目で彼女を見つめていた。

誰かが小さく呟く。


「さすが……戦乙女……」


アリアは静かにブレードを鞘に収めた。パーカーの袖で自分の手に付いた血を拭う。

指先が、わずかに震えていた。


(また……殺した)


胸の奥で、いつもと同じ虚無が広がる。


慈悲を乞う人々の顔と、冷たく切り裂いたエイドロンの断片が、交互に浮かんで消える。


使命の声が、頭の奥で静かに響いた。



【よくやった。我が子よ。汝は正しい】


アリアは小さく唇を噛んだ。

本当に、これで正しいの?彼女は空を見上げた。遥か中央に伸びる、光の柱を。

そのとき、ふと胸の奥に疼きが走った。

幼い日の記憶。

黒鐘が激しく鳴り響く中、兄が彼女を守るために聖導院の神官に立ち向かった日。


「カイ……」


名前を呟いた瞬間、使命紋が熱を帯びた。

アリアは慌てて左肩を押さえ、深く息を吸い込んだ。


セリスが後ろから近づいてきて、肩に手を置いた。


「アリア。よくやったわ。……こっちも片付いたわ。

でも、また顔が暗いわよ」

「……すみません。先輩」

「謝らないの。戦乙女は皆、そういう顔をするものよ。

慈悲を持つ心と、殺すための刃。その両方を持っていることが、私たちの定めなんだから」


アリアは静かに頷いたが、心の中では答えが出せずにいた。

黒鐘の街は今日も静かだった。

しかしその鐘楼の奥で、何かが、ゆっくりと動き始めていた。

使命の鎖は、確かに軋み始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ