不精ひげ「今、船長の声がしなかったか?」アレク「あっ、林檎と鶏もも肉をクリームで煮込み三種類のチーズで仕上げたレブ葱とろける絶品シチューが来たよ!」アイリ「さすが太っちょ! よく覚えたわねー」
ようやく、トライダーがおかしくなった理由を風紀兵団から知らされたマリー。
知ってしまったからには、知らん顔も出来ないよね。
本当にトライダー? いや……顔やら腕やらの擦り傷、打撲、相変わらず寒そうなボロボロの服、色々とらしからぬ部分もあるものの、この表情は先刻波止場で見たのとは違う、ヴィタリスで私を追い回していた頃のトライダーだ。
まさか、あれから今の今まで飯を食っていたのか……? それと私は今思いっきりトライダーをバカだと言ってしまったが、それは聞かれなかっただろうか?
トライダーは私を見ると視線を逸らし、ほんの少し、照れたように笑った。
「マリー・パスファインダー君……君には色々と恥ずかしい所をお見せしてしまった」
恥ずかしい所? 風紀兵団から逃げる所ですかね……そういうのは確かにトライダーらしく無いなあとは思う。
だけどそれがその、私のせいだったって……本当かな、いや嘘でいいんですよ、むしろ嘘で御願いします……
私が返事に困っていると、トライダーはこちらに向き直って続ける。
「そして、ここレブナンでは風紀兵団の皆が大変に君の世話になったと聞く。私が今いただいた食事を賄う活動費でさえも、マリー君がドパルドン卿に掛け合って供出していただいたものだと……重ね重ね、私はどれだけ恥じ入ればいいのかも解らない」
……
私はともかく、フレデリク君はトライダーの性根を知っている。トライダーは正義感が強く、純粋な人だと思う。
そんなトライダーを極端な苦行に追い込んだのが私だと、風紀兵団は言う。それが本当だとしたら、私はとんでもない事をしてしまったんだと思う。
この事は、きちんと話さなきゃ。
「あの……私がヴィタリスの教会に寄付したお金の事で、何か誤解をさせてしまったとお聞きしたんですが……ごめんなさい。本当の事を言うと、何故それがそういう誤解に繋がったのかちょっと良く解らないんですけど」
私がそう切り出すと、トライダーは突然、酷く赤面して俯き、いや這いつくばる。
「そッ……それはッ! う……おおおおっ! 私がッ! 私の修業が、修養が足らぬのが悪いのだッ!」
立ち上がったトライダーは、いきなりそのへんの煉瓦の壁に頭を打ち付けようとする!
「トライダー卿、やめて下さい!」「トライダーさん、しっかり!」
二人の風紀兵団が慌ててトライダーを止める。トライダーは間に挟まった風紀兵団の大兜に頭を打ちつけた。
「邪念を、私の頭に棲みついた邪念を打ち砕くのだ、止めないでくれッ!」
「やめて!」
私もトライダーの腕を掴み、引き留める。
トライダーの動きが止まった。私は慌てて手を引っ込める。トライダーは相変わらず酷く赤面したまま、少しだけこちらに顔を向けた。
「情けないッ……マリー君は何も、何も悪くないのだ……」
訳が解らん。何で教会への寄付で誤解させた事を聞いたら、煉瓦に頭を打ちつけるのか。解らないけれど。トライダーが真剣なのは良く解った。解り過ぎた。
「……マリー君」
突然。トライダーがこちらに向き直り、真剣な目で私を見た。
―― 半月前、僕は想い人を失った。
あの日、フレデリクが聞いてしまった台詞が、脳裏に蘇る。
―― 兵としての規則ごときを乗り越えられなかった僕は
ああ……
―― 彼女を守る事が出来なかった。彼女は船乗り共に連れ去られた
あああ……
―― 今はただ……どこかで生きている事を願う事しか出来ない
私は、私はですよ、確かに少女小説を読むのが好きで、恋愛物だって嫌いじゃないですよ、でもそれはあくまで他人事の場合で、自分には縁の無い事だと思っていて、私もいつかは結婚するのかもしれないけれど相手は父か祖母が決めるものだと思っていて、祖母を亡くし父をほぼ亡くした今となってはもう誰とも結婚せず生涯を終えるものだと……ああああ!? トライダーが口を開く! 待って私やっぱりそういう話はまだ、心の準備が!!
「今日こそ君を、ハワード王立養育院にお連れする!!」
―― パ~~プゥ~~(笑)
路地裏で、棒手振り担ぎの煮売り屋がラッパを吹いた。
呆然としている私の手首を、トライダーが掴んだ。
「君はまだ15歳! まだ間に合うのだ、今手続きをすれば養育院の素晴らしい環境で18歳まで安心して生活しながら、神と学問について学ぶ事が出来るのだ!」
風紀兵団すらも驚いている。私は開いた口を塞ぐ事が出来ず言葉が出て来ない。
「お待ち下さいトライダーさん、マリーさんは船の船長で、風紀兵団の団長でもあるのです、彼女はもう立派な社会人と言えるのでは……」
「王国法は16歳未満の少年少女が仕事に就く事を禁じている!」
私はようやく、震える声で絞り出す。
「わ、私はロングストーン市国の会社の船長です、王国法には触れてません」
「それに、風紀兵団は給料が出ないので法律上の仕事ではないと国王陛下もおっしゃっております、最年少の隊員は14歳ですしそこは問題無いはずです!」
風紀兵団も味方してくれる……いや待て、こいつらはこいつらでとんでもない事を言っていないか、子供に何て事をさせてるんですか! 何の為の法律だよ!
しかし、トライダーは私の手首を離さない。
「船長も風紀兵団もマリー君のような可憐な乙女のすべき事ではないッ! 今回だってマリー君はどれだけ危険な目に遭ったのだ!? 有り得ぬッ、マリー君は養育院で美しい花畑と正しい学問、豊かな信仰に囲まれ、穏やかに、平和に暮らすべきなのだ!!」
爪先から頭の天辺まで、私の体を寒気が通り過ぎる。無理、無理、無理、やっぱりこの男だけは生理的に無理ィィ!
私は青ざめ、どうにかトライダーの手を離れようともがく、しかしトライダーは手を離さない、どうすんのこれ!
「やめて下さいトライダーさん、マリーさんが嫌がってます!」
「私はどんなに嫌われても構わぬッ! 君達はどうなのだ!? 本当にマリー君の為を思っているのか、彼女にはまだ、あの素晴らしいハワード王立養育院に入る資格があるのだぞ!」
「し、しかしマリーさんは勇敢で英知に富み、統率力もある立派な銃士で」
「違うッ! マリー君は可憐で嫋やかな乙女なのだ!」
全身に鳥肌が立つとはこの事だ。無理、無理、誰か本当に助けて……いや待て。私もだんだん腹が立って来た。
「やーかーまーしー!!」
トライダーも声がでかいが、潮風に鍛えられた私の声量はそれを越えていた。周り中が一瞬静まり返る……私はもう一度腕を振り、唖然としているトライダーの手を振り払った。
「何が想い人だバカヤロウ! 何べん見ても気づかなかったくせに、誰が可憐で嫋やかだって、アンタの想い人は私じゃない、幻の誰かなんだよ!!」
あっ。今の叫び、無しになりませんかね……? 周りの人々の視線に好奇心が宿るのが解る……違いますこれは痴話喧嘩ではありません、別に面白い話じゃないから見ないで下さい、いやもういいやトライダーの手も離れた事だし逃げよう。
「とにかくこれ以上の面倒は見きれませんよ! さよなら!」
「待つのだ、マリー君!」
「トライダーさんこそ待って下さい!」「トライダー卿!」
さすがの風紀兵団も今回は私に味方してくれた。二人は私とトライダーの間に立ち塞がり、トライダーの肩を押さえる。
私は踵を返し、別の道から宿屋に向かう事にする。全く! トライダーなんかに構うんじゃなかったよ!
「マリー君……ッ!」
「トライダーさんッ……!」「やめて、下さいっ!」
私は勿論、振り返らずに立ち去ろうと、そう思ったのだけれど。突然物凄く嫌な予感がしたので、ちらりと後ろを見た……
「わああっ!?」
「マリー君!」
トライダーは真後ろに居た! 慌てて飛び退かなかったら捕まっていた、トライダーは、二人の風紀兵団に組み付かれながら、それを引きずって私を追い掛けて来ていたのだ!
「ひいいっ!?」
私はつんのめりそうになりながら、尚も飛び退く。たちまち吹き出した冷や汗が額を伝う。
「王立養育院に……行くのだッ……」
「マ、マリーさんお逃げ下さい、我々ではトライダーさんを抑えきれません!」
二人の風紀兵団を引きずりながら、トライダーは凄まじい形相で前進して来る!
「ひえっ……ひっ……」
夕暮れのレブナンの町を、私は走り出した。
とにかく、トライダーの居ない方角へと。