ロイ爺「ほれ見い、マリーが乗っとらんから風が言う事を聞かんわい」
それでこそトライダーという男よ(震え声)
この話は三人称で御願い致します。
マリーは今までトライダーに追い掛けられても、正攻法で振り払って来た。全力で走って逃げれば追いつかれる事は無い……しかしそれはトライダーが風紀兵団の鎧兜を着ていた時の話である。
今日のトライダーは薄着であり、平地ではマリーより速い。
大通りをまともに走っていると、トライダーはどんどん距離を詰めて来る。マリーは路地裏に飛び込み、屋台や人々の合間を縫って走る。
「ひいっ、ひっ、わぎゃっ、わぎゃあああ!」
「待ち給えッ! 話を聞くのだマリー君!!」
路地裏の樽を飛び越え、塀に飛び乗り、サルのように身軽にマリーは逃げる。
しかしトライダーも決して鈍重な男ではなく、その身のこなしはライオンのように素早かった。
◇◇◇
数時間前のトライダーは、普段の力の四分の一も出せない飢餓状態だった。
その後マリーの指示により風紀兵団に連れられ「様々な食肉をただ焼いて食う店」を訪れたトライダーは、昨夜風紀兵団が20人で食べたのとほぼ同量の肉とパスタを一時間で平らげた。
最後に特大のタンカードで五杯目の林檎酒を一気飲みしたトライダーは、そのまま店内の土間に大の字にひっくり返り、眠ってしまった。風紀兵団がいくら揺すっても目を覚まさない。
店の者も最初のうちは一時間で40人前平らげた上客に気を遣ってくれていたが、三時間経っても四時間経っても起きないとなると、次第に心配になり、早くどこかへ連れて行くよう風紀兵団に促し出した。
そんなトライダーが突然ガバッと起き上がり、店員に礼を言って店を出た。支払いを済ませた風紀兵団が慌てて後を追ってみると、別の風紀兵団を連れたマリーが、ちょうど店の前を通り掛かる所だった。
◇◇◇
商店街を、河岸の市場を、下町の路地裏を、マリーは逃げ回る。ライオンのように素早いトライダーではあるが、そういう狭いジャングルの中ではサルのように素早いマリーに突き離される。
「マリー君! 王立養育院に行こう!」
「わあああ!!」
しかし大通りや広場、橋の上などの広いサバンナではトライダーが着実に差を詰める。つまるところ、二人の走力は互角だった。
マリーは宿に帰る事を諦めた。あの母親が心意気でくれたホールチーズは惜しいが、この状況ではとてもあんな物を背負っては行動出来ない。
◇◇◇
太陽は西の水平線の彼方へと消えた。上弦に程近い半月はまだ、南西の空に浮かんでいる。
レブナンからエテルナへ至る街道へと、マリーは駆けて行き、トライダーは追う。
「王立養育院へ行くのだ! マリー君、そこは素晴らしい場所なのだ!」
「来るなー! 私はそんなの御免です!」
マリーが着ている服に掛かっている魔法は、マリーに常人に無い身軽さを与えてくれてはいるが、今日一日走り回って戦って海に落ちてまた戦ったマリーはへとへとだった。
一方のトライダーは昼間偽陸兵に抑えつけられ殴る蹴るの暴行を受けた時の傷や痣こそ残っていたが、焼肉と酒と睡眠とマリーへの想いで超回復を果たし、全盛期の体力を取り戻していた。
「ついて来ないでー!」
「マリー君、君は誤解している、養育院を!」
郊外の平地ではマリーに利用出来る障害物も少ない。トライダーは徐々に差を詰め、今にも手が届きそうな所まで迫る。
マリーは迫り来るトライダーの気配を感じ、涙目の自分に鞭打って再び加速する。
「いーやーだー!!」
トライダーの手がまさに、マリーの肩に掛かろうかという、その時。街道はややきつい登り坂に差し掛かった。
「養育院はッ! 美しいッ! 場所なのだッ!」
さすがのトライダーも急勾配では平地のようなスピードは出せない。しかしマリーは登り坂でも平地と同じように走れるのだ。二人の差が再び開き始める。
◇◇◇
エテルナへ続く街道を、田舎の大店の隠居と手代の、二人の旅人が歩いていた。
「やっぱりもう一日くらいレブナンに居れば良かったかな」
「明日は御祝いですから、屋敷に戻りませんと」
ランタンを手に、すっかり日の落ちた山中の道を歩く二人の前に。突如、潅木の間から三人の男が飛び出して来る。
「死にたくなければ今すぐ有り金を全部出せ!!」
先頭で飛び出して来た、斧を持った大男がたちまちに隠居の胸倉を掴み、顔を近づけて怒鳴りつける。
「ひッ……ひいいっ!? か、金はありません、商品の毛織の反物なら」
「現金だ、現金が要るんだよ! 俺達ぁレブナンで事件起こして逃げてんだ、いいから現金をあるだけ出しやがれ、死体にしてから探すのは面倒なんだよ!!」
隠居も手代も慌てて懐やらブーツの中やら探り、銀貨や銅貨を出して山賊に差し出す。
「ふざけんな、これだけか畜生!」
「で、ですから今は品物を仕入れた帰りで……」
「こんなんじゃローバーの渡し賃にもならねえ!」
山賊の別の二人は憤怒に顔を染める。
「……仕方ねえ……とにかく口を封じなきゃなんねえなぁ」
斧を持った山賊は残忍に笑う。残る二人の山賊も、それぞれに短い剣を抜く。隠居と手代は抱き合って震え上がる……そこへ。
「ぎゃっ、ぎゃっ、そこどいて!」
レブナン側の下り坂、曲がりくねった岩陰から、息を切らした小娘が一人、必死の形相で駆け登って来る。
「な……なんだあ小娘ェ、死にたくなきゃ止まれ!」
「ってまた山賊かよ!」
大男の山賊は斧を構えて立ち塞がるが、小娘は背負っていたマスケット銃を取り撃鉄を上げるなり、ろくに狙いもつけず引き金を引いた。
―― ドォン!!
銃弾は斧を持った大男の足元に跳ね、土煙を上げる。大男は驚き飛び退いたが、弾が大きく外れた事を確認すると憤怒と嘲笑に顔を赤らめ唇を歪めて叫ぶ。
「悪い小娘にはお仕置きだァ!」
しかし。全力疾走で接近した小娘は自分を捕らえようとする大男の手を掻い潜り、その無防備な顎にマスケット銃の台尻をかち上げながら引き金を引いていた。
―― ドォォン!
撃ってしまった後のマスケット銃は無力なはず。そう信じた男は、マリーの初見キラー技、下顎から突き上げる火薬の反動を加えた一撃を喰らい、脳震盪を起こして意識を無くす。
突然現れたヒーロー……いやヒロインに助けられた隠居と手代は驚きに目を見開くが。
「マリー君! 待つのだマリー君!!」
坂の下から響くその声を聞いたマリーは小さく飛び上がり、振り返る事もなく、残る二人の山賊の合間を縫って駆け抜けて行く。
「な……なんだ今のは畜生!」
「ふざけんな! 待ちやがれ小娘!」
残る二人の山賊はそう言ってマリーを追おうとした。しかしトライダーはそこへやって来た。
「むっ? 山賊か!」
「あ? ひゲッ!?」
次の瞬間には山賊の一人は襟首を掴まれ夜空へと放り投げられていた。男が投げられた先に地面は無く、その先は20mばかりの高さの急斜面になっていた。
「ま、待てッ」
残る一人は命乞いをする間も無く真下から真上へ腹を蹴り上げられ、二つ折りになって2m程飛び上がり、二つ折りのまま地面に落ちる。
「わわっ、私達は山賊ではありません!!」
手代は慌てて両手を上げて叫ぶ。
「君達は市民か! 怪我は無いか? 盗られたものは!?」
「こ、小銭を少しばかり」
「何ッ!? しまった、一人崖下に投げ落としてしまった、私が拾って来るからここで待つのだッ!」
トライダーはそう言って急斜面の方へ駆け寄ると、旅人達が止める間も無く、その危険な勾配を迷わず滑り降りて行く。
◇◇◇
エテルナへ続く山中の道を、上弦の月は次第に高度を下げながらも、葉の落ちた冬の森の木々の合間からぼんやりと照らす。
「はあっ、はあっ……ぐえっ……み、水……水……」
小さなせせらぎを見つけたマリーは暗がりの中、獣のように屈み込み、真冬の川の水を両手で何度もすくって喉の奥に流し込む。
なんとか人心地のついたマリーは立ち上がり、辺りを見回す。トライダーの気配は無い……ようやく撒く事が出来たのだろうか。
その時。マリーは街道をエテルナの方から近づいて来る二つの灯りに気づいた。
こんな時間にまた旅人だろうか? だけどさすがにあれはトライダーではないだろう……そう考えたマリーは街道に戻り、そのままエテルナの方へと歩いて行く……エテルナはもうすぐそこのはずだ。
「あっ、団長!」
「こんな所で、一人でどうされたんですか!?」
二つの灯りは、マリーの依頼でエテルナに停泊しているフォルコン号の元に向かっていた風紀兵団のものだった。
マリーは思う。彼等がもっと早く戻って来ていればこんな苦労は無かったのにと。だけどここで彼等に出会えた事は幸運だった。これで悪夢は終わりだ。
「ああ、馬は借りられなかったんですか……あの、フォルコン号から荷物を引き取って来ていただけましたか?」
「そ、その事なんですが団長、フォルコン号が居ないんです」
「二人で手分けをして、エテルナより北の小さな港や、近くで操業している漁師達を訊ねて回ったのですが……午前中は見たがいつの間にか居なくなったと」
「え……ええええ!?」
驚きのあまり、マリーはぺたんと地面に座り込む。
キャプテンマリーの服を着てフレデリクになれば大丈夫という目論見、エテルナに着いてフォルコン号に乗れば終わりだという目論見……二つの解決策が今、まとめて消えた。
「ど、ど、どこへ? フォルコン号はどこへ!? 嘘でしょう……アタシにどうしろって言うのよそんなの……」
疲労と絶望に襲われたマリーはそのまま後ろに引っくり返り、大の字に倒れる。
「だ、団長、どうなさったのですか?」
「あの、我々に何かお手伝い出来る事はありませんか?」
災難は手を繋いでやって来る。
「マリー君ーッ! どこだぁぁああ!?」
遠くからトライダーの声がする。マリーは慌てて跳ね起き風紀兵団を止めようとするが、一足遅かった。
「あの声は……トライダー卿!」
「トライダーさーん! ここですよー!!」
エテルナへお使いに行っていた何も知らない風紀兵団は、街道の反対側から駆けて来るトライダーに向かい、ランタンを掲げて大声で応える。
「団長! トライダーさん、帰って来てくれたんですね!」
「ああ良かった、意外と元気そうだ、マリー団長とトライダー卿が揃えば、風紀兵団はますます安泰だ!」
二人の風紀兵団はランタンを掲げながら、マリーの方に振り返る。しかしマリーはもうそこには居なかった。




