ラッセン「その時エイムズ湾で海賊ナルバルに挑戦出来る船は我が艦しか居なかった。本国からの物資を満載した輸送船は二日後には海峡に到達するというのにだ。そこでわしは」マリー「」
結局何も教えてくれないまま立ち去った、偽マリーことジゼル。
その逃走に思いっきり手を貸しちゃったマリー。本当にこれで良かったの?
「止まれぇぇい、そこの小娘! 港はまだ閉鎖中だと言ってるのに何をやってるんだ! その樽は何だ、中身を見せろ!」
「私はマリー・パスファインダー、そこのリトルマリー号の元々の船長です、樽の中はこの通り空です」
「リ、リトルマリー号の!? しかし何故空樽なんか運んでるんだ?」
「この樽、穴が開いてるんですほら、それを忘れて水運組合に給水を御願いしちゃって。誠に面目無い」
港湾を渡る途中で一度臨検を受けた他は問題なく、私はリトルマリー号に戻った。
ボートに舫い綱を掛け舷側をよじ登ると、反対舷に繋がれた跳ね上げブリッジの向こうに、風紀兵団と、海軍の制服を着たどこかで見た事のあるお爺さんが立っている。誰だっけあの人、ええと、ええと、
「ラッセン艦長! お越しでしたか!」
「パスファインダー船長……グラスト港に続く我らの不祥事、誠に申し訳無い」
私は急いで甲板を横断しブリッジを渡り、風紀兵団に駆け寄る。
「お通しして下さいって御願いしたじゃないですか!」
「ああいや、わしが勝手に貴女が戻るまで待ったのだ。そちらの方は通るよう勧めて下さった」
この人が、パルキア海軍が用意した国王陛下の御上船の為の艦長だ。本来は大きな艦隊の旗艦艦長を務めているような人なのだ。
「この船の正式な艦長は貴方ですよ。何故遠慮されてるんですか」
「何が起きたのかは、フィリドールから聞いた。全く以って面目ない。海賊に奪われた時点で、わしにはこの船の艦長を名乗る資格が無い。そしてこの船を取り返したのは、パスファインダー船長、貴女だそうじゃないか」
「だけど、その時に貴方は船に居なかったのです。それはあの……偽船長のせいだったのですか?」
立派な老艦長、ラッセンさんは力無く頷く。何て事だ。やっぱりそうだったのか。偽マリー、ジゼルお姉さんを船長にする為、ラッセンさんは陛下の御上船の名誉を取り上げられたのだ。
「とにかく、どうかリトルマリー号の甲板にお立ち下さい、貴方がここに居ればこんな事件は起こらなかったんです。これ以上、何も起きないように」
私はブリッジの端に避けて、ラッセンさんに乗船を促す。
「ありがとう、パスファインダー船長……」
私はこのお爺さん船長を気の毒に思っていた。それでも、次の一言は余計だったと思う。
「私も若輩の身ながら、とある船の船長を任されております。ラッセン艦長には一度、色々な御話を伺ってみたいと願っておりました。幸いここには美味しいお茶もありますので……もし宜しければ、船長としての心得など、御教授いただけたりはしませんか」
私がそう言うと、ラッセンさんは一度立ち止まり、俯いた。
「艦長?」
「……うむ……そうか……わしの経験が、貴女のような若い、これからアイビスの海の安全と繁栄を担って行く艦長の役に立つのなら……喜んで、お話しさせていただこう」
横目で私を見た、ラッセンさんの両眼が光ったような気がした。
◇◇◇
「ああ……いつの間にかこんな時間になっていた。年を取ると時間の流れが速くなっていかんのう。若い頃は時間など無限にあると思っていたものじゃが」
それは正に、私にとっては長い長い苦難の時間だった。時計を見るとまだ4時間しか経っていない……この時計止まってない? いや、動いてるよ……
ラッセン艦長のお話は大変為になるものなのだが、如何せん長い……それでいて同じ話を繰り返す事は一度も無かった。
そして海に落ちてずぶ濡れのままだった私の為、艦長が暖炉の前で話す事を提案して下さったのは有難いのだが、そんな環境でただでさえ寒さと疲労を抱えた所に延々続くラッセン艦長の難しい御話は、私に大魔王級の睡魔となって襲い掛かったのだ。
「この上なく貴重なお話を有難うございます。乗組員の為、人々の為、この経験を生かし精進して参ります」
「老人の長話に付き合ってくれてありがとう。君の益々の活躍を祈る」
途中で意識が途切れる事は数回あったが、落ちていたとしても数秒だとは思う……我ながら良く戦った。
最後は敬礼をして、私はリトルマリー号の甲板から波止場へと降りて行った。辺りはもう夕暮れである。
私がラッセン艦長のありがたい御話を承っている間に、リトルマリー号にはパルキア海軍派遣のエリート水夫達が戻って来て、切り落とされたバウスプリットの修理に取り掛かっていた。守衛を御願いした風紀兵団も、途中からは寛いでいたようだ。
「こちらはもう、宜しいですね?」
「ええ。さすがにこれでおしまいだと思います……貴方も一度野営地に戻られては如何ですか」
「団長はどうなさるのですか?」
「団長じゃありません! 私は宿に帰りますよ!」
ああ……だけど私別の風紀兵団に頼み事をしていたな。枢機卿へのお使いと、フォルコン号へのお使いだ。前者は入れ違いになってしまったと思うが、後者はちょっと帰りが遅いと思う……馬が借りられなかったのかしら。
それにアイリさん達もどうしたのだろう。近くに居たのならリトルマリー号の方に来てくれたら良かったのに……しかし、波止場から倉庫街を通り市街地へ入ろうとすると、その道路は陸軍に封鎖されていた。
「捜査中につき、市民の波止場への立ち入りは禁止だ」
「封鎖は正午までだろ! いつまでやってんだよ!」
「それとは別件だ! いいから立ち去れ!」
バリケードを挟んで陸兵と市民が揉めている。私が中から外に出るのは構わないらしいが、外から中に入るのは難しいようだ。アイリさん達もここで引き返したのかしら。
私はチーズを置いた宿に向かって歩く……風紀兵団は一人、まだついて来る。
「いいですよ、野営地に帰って」「ああいえ、お気になさらず」
街中にもそこらじゅうに兵士が居て、何かを探し回っている。市民は呆れ顔だが、さすがに非常線の外での経済活動は妨げられていないらしい。夕暮れ時という事もあり、方々の酒場から賑やかな声がする。
「トライダーさん達も、ちゃんと肉を食べられましたかねぇ」
私は独り言のように呟く。
「大丈夫ですよ。トライダーさん、風紀兵団に戻って下さるそうですから」
風紀兵団は少し俯いたまま答える。私は何気なく尋ねた。
「結局、あの人が風紀兵団をやめた理由って何だったんですかね?」
「それは、あの……団長、いえ、マリーさんの為だったんです」
私は足を止めて振り返る。
「は?」
「トライダーさんは、船乗りに誘拐されたマリーさんを追い掛ける為、風紀兵団を辞めて国中を旅していたんです」
ちょっと待て。
確かにトライダーは半年前、フレデリク君に言ってたよ、船乗りに連れて行かれた私の為に風紀兵団に降格を願い出たとか何とか、だけど私、だから私、わざわざ手紙を書いたじゃん、裁判長宛てに、その時の風紀兵団にも頼んだよ、私は誘拐なんてされてないし元気でやってるからほっといてくれと伝えてって……
「直接のきっかけはその、マリーさんがヴィタリスの神父様に預けた高額の小切手だったとか。ト、トライダーさんはその、それが、マリーさんが自らの身をですね、売られて作られたお金だと思い込んで、その……」
風紀兵団の声は途中から震え、掠れて小さくなって行く。
はあああ!? 何言ってんのこの人!? わ、私が自分の身を売る!? いや待て1kgいくらで売ったらそんな値段になるんだよ、ええええ!?
「あの、勿論誤解なんですよね? だけどトライダーさんはそう信じて、マリーさんを救う為に神に願掛けをして苦行を積みながら国中を旅して、マリーさんの行方を捜していたんだそうです……」
「馬鹿でしょあの人! だいたいね、私みたいな痩せたチビの小娘叩き売ったって金貨30枚にもなりませんよ、そもそも、あの人山で私の顔見ても私が誰だか解らなかったんですよ、そんなんで私を救う為に旅してたとか有り得ないでしょう!」
嘘だよ、何かの間違いだよ!
私は風紀兵団に詰め寄る。しかし風紀兵団は大兜を逸らし、さらに俯く。
「私も最初は解りませんでした、貴女があのヴィタリスのマリーさんだと。私が昔見たマリーさんは、トライダーさんがおっしゃる通り一刻も早く保護して王立養育院にお連れすべき、か弱い女性に見えましたので……」
風紀兵団はそこまで言って顔を上げる。
「ですが今のマリーさんは全く違います! 今のマリーさんは類い稀な英知と機略を備えた勇士です! トライダーさんが気づかなくても無理はありません!」
無理しか無いよ! 誰が勇士だよ、私より臆病な奴が居るなら連れて来いッ!
「ありがとぉうございましたぁあー」
その時。近くの……煙突からも窓からも入り口からももうもうと煙を吹き出す、ひたすらに肉を焼いて食うだけの店から、トライダーともう一人の風紀兵団が、呆れ顔の店員に見送られながら出て来た。




