マリー「とにかく、船長室に籠って大人しくしてて下さい……」
ようやく捕まって連行されたアルセーヌおじさん。
誇らしげな風紀兵団。彼等は陸海のライバルを出し抜き大手柄を立てました。マリーはその事に気づいていないのですが。
枢機卿と侍従の皆さんも、アルセーヌを乗せた馬車と共に去って行く……枢機卿に剛毅だなどと言われた時は、心臓が止まるかと思った。
私のどこが剛毅なんですか、人を見て物を言ってよ……私はびっくりし過ぎると死んでしまうウサギのように臆病である。
船に残っていた降伏した偽水夫などの捕虜は、修道騎士団に引き取ってもらう事にした。
「捕虜はこれで全部か。少々……少ないのではないか?」
デュモン卿は相変わらず厳しい眼差しで私を見ていた。
「残りは海に落ちるか飛び込むかして、あのガレー船に泳ぎ着いて逃げました」
「あの女もか?」
「ええ……ヘクシッ」
私は密かに震え上がったが、デュモン卿はそれ以上の事は聞かず、捕虜を連れて修道騎士団と共に立ち去った。
手持無沙汰で何か手柄が欲しい陸軍や近衛兵は、捕虜を引き渡すよう修道騎士団に求めたが、デュモン卿がかなりキツめに断ったようだ。
さて。
元気の無い海軍は他の集団の邪魔にならないよう大人しくしていたが……ようやく、将官級の制服と階級章を着けたハンサムなおじさまが、海兵を二人連れてリトルマリー号の舷門の方へやって来る。
私はマスケット銃を杖にして、舷門の前に立ちはだかっていた。
「ああ……私はレアル艦隊副司令のフィリドール、あの」
「マリー・パスファインダーと申します」
私が目を細めてそう名乗ると、フィリドールさんはハンサムな顔をしょんぼりと歪め、肩を落として言う。
「パスファインダー船長、この度は海軍の不始末につき、大変な御迷惑を」
「そういうのは結構です。済んだ事ですから」
「そ……そうですか? しかし……いや、御理解いただけるのなら良かった。海軍は貴女の配慮に感謝します」
副司令閣下はそう言ってリトルマリー号へのブリッジを渡って来ようとする……私はマスケット銃の台尻で甲板を叩く。
―― ドン!
「パスファインダー船長?」
「勝手に乗り込まないでいただきたい!」
「何を言うのだ、この船は」
「これは私の船です!!」
「なっ!?」
私など鼻息だけでも吹き飛ばせそうな、山のように大きな海兵が二人、慌てて副司令殿の前に出て来る。
「違うとおっしゃるんですか? いかにも、これは海軍が国王陛下の為に借り上げた船、そうでしょう!? それを何ですか、御上船が終わったからと言って警備もせずほったらかして、そんな大事な船が海賊に乗っ取られる所だったんですよ!? それを何故軍人でも騎士でもない私が命懸けで取り戻したと思ってるんですか? 私の船だからですよ! あのふざけたおじさんの為ではない!」
私は盛大に啖呵を切る。海兵はたちまち血相を変える。
「ななっ、何を言うのだ貴様!」「恐れ多くもッ、その……不敬であるぞ!」
「待てお前達、パスファインダー船長が正しいのだ……あれは、ただの料理人なのだから」
「はッ……」「……うう」
副司令と海兵が何かひそひそと話している間に、私は波止場をちらりと見た。風紀兵団はほとんどが枢機卿について行ったが、二人ばかり残っていて、こちらを見ている。うわあ、トライダーもまだ居る。
いや……トライダーに関しては私はだいぶ誤解をしていた。彼はとっくに私の顔など忘れていたのだ。恥ずかしいなあ私……自意識過剰だよ全く。
「パスファインダー船長。やはり我々に謝罪をさせてはいただけませんか。そしてこの船をもう一度預からせていただきたい」
困った。しかし私には、恥をかいてでも突っ張らなくてはならない理由がある。
「もう結構です、陛下の御上船は済んだのでしょう、船は返していただきます」
「いやしかし、ここで貴女一人に船だけ返すというのは我々としても」
「エテルナで待機させられている我が商会の船と水夫が明日にもここにやって来ますので、御心配には及びません、パルキア海軍からお借りしてる代船は、きちんとパルキアにお返しします」
「あの、パスファインダー船長、紳士としての名誉に賭けて申し上げますが、私には貴女に今この場でこの船をお返しする事を決定する権限が無いのです。手続きは後日間違いなく行いますので、今はここを通らせて下さい」
埒が開かないと思ったのか。その副司令の台詞を合図に海兵達は私を押し退けようとのしのしと前進して来る。
私は直ちにマスケット銃を空に向け、一度発砲する。
―― ドォン!
さすがに驚いた海兵は仰け反るように三歩後退する。
陸兵や衛兵、私兵、それに捕まったごろつきやら何やらでごった返していた波止場が不意に静まる。
マスケット銃を両手で振りかざし、私は大見得を切る。
「言わなきゃ解りませんか! どうしてもここを通りたければ私の屍を踏み越えて進みなさい!」
海軍に陸軍、衛兵に騎士団……さすがに近衛兵は枢機卿と共に去ったようだが、波止場にはまだたくさんの兵士達が居て、静まり返ったままこちらを見ていた。
「お……お嬢さん……一体、何が貴女をそこまで駆り立てるのですか……?」
「何がとは何ですか、アンタも海の男でしょう、自分の命を預けた大事な船が、警備もせず放置されて盗まれて、ひどい目に遭わされて傷ついて、それを何とも思わない奴を船乗りと呼ぶんですか! 今度は大事にするからもう一度貸せ。そんなの簡単には信じられませんよ、これは! 私と父フォルコンの、大事な船です!」
ドン引きするフィリドール閣下は、二人の海兵に庇われながら、さらに二歩後ずさる。
私もドン引きである。我ながら酷い。面倒臭い身の程知らずの解らず屋な言い草だと思う。
閣下が次の台詞を絞り出す前に。私は言った。
「そもそも、この船の本当の船長はどうされたんですか」
「ほ、本当の船長? それは貴女の事で……?」
「そうじゃない! パルキア海軍が陛下の御上船の為に選んだのはセルジョ・ラッセン船長だったはず、多くの軍功を重ねた立派な艦長です、何故あの人がこの船に居られなかったのですか!」
「ええっ? いや……その通り、現在この船の正式な船長はラッセンです!」
「あの方は何処へ行かれたのですか!」
「パスファインダー船長! よく解りました。確かに我々はそこを見落としていた。この場は失礼させていただきます、すぐにラッセンを連れて戻りますので、どうか今しばらくお待ち下さい」
何かの突破口が見えたと思ったのか。フィリドール閣下は海兵を連れて立ち去り、波止場を離れて行こうとする。
「ああ、もう一つ御願いが! 水樽がもう空ですので、水運組合の人がこちらに来れるよう、お伝えしてはいただけませんか?」
副司令閣下にこんな伝令を御願いするのは普通なら有り得ないが、今この船に補給の手配をしようと思ったら副司令閣下ぐらいの方の許可が必要である。幸い、多少なり後ろめたい気持ちもあるらしいフィリドールさんは無言で頷いてくれた。
フィリドールさんが立ち去った後も、私は舷門に立ちはだかったまま、心の中で泣いていた。どうしてこんな事になってしまったのか。
そこへ近づいて来たのは、残っていた二人の風紀兵団だった。
「あの、団長、船の警護であれば我々も御手伝いしますが」
「ああ……いえ、大丈夫です。それよりトライダーさんについてなくていいんですか?」
「はい。トライダーさんが逃げる理由はもう無くなったと思います」
「じゃあ早くどこかへ連れてって何か食べさせてあげて下さいよ、モグラを捕まえて食べてたんでしょう、あの人」
「あの、それはその通りなのですが……トライダーさんはその……貴女に……」
風紀兵団が何事か口籠っていると、そのトライダーがリトルマリー号のブリッジに近づいて来る。
山の中で会った時にも思ったけれど、ブルマリンで見た時よりだいぶ痩せたなあ。元々力持ちの割にほっそりした人ではあったけど。
キャプテンマリーの服、間に合わなかったか。フレデリクで会いたかったな。マリーは別にトライダーに会いたくはないんだけど、フレデリクはヨハンに会いたいと思っていたかもしれない。
そのトライダーは、あまり焦点の合っていない虚ろな目を、私に向けた。彼は何日もろくな物を食べておらず、先程の乱闘でもかなり負傷させられている……そこらじゅう痣や擦り傷だらけだ……朦朧としていても仕方ない。
「君が……マリー・パスファインダー君……」
ああ。別に思い出さなくてもいいんだけど、思い出してくれたんですかね。