ジェラルド「セレンギル、すまねぇが銀貨一枚貸しちゃくれねえか、次の給料が入ったら必ず返すから……」
マリー「銃声を聞いたら、船長室から出てあの樽の中に入って蓋をして下さい。貴女が隠れるまで必ず私が皆の視線を惹きつけますから、なるべく急いで」
ジゼル「えーっ。樽なんてイヤよォ。私、おさかなじゃないのよ?」
マリー「逃げたいんでしょう!? ああもう時間がありません、御願いしますよ!」
ジゼル「大変ねぇ、女が一人で生きて行くのって……貴女はいい男見つけるのよ? ね?」
マリー「とにかく、船長室に籠って大人しくしてて下さい……」
そうだ。あの時の御礼をまだ言ってなかったよ。
「半年ぶりですねトライダーさん。レッドポーチでは追い掛けて来る暇人共から助けて下さいまして本当にありがとうございます。おかげで私は父の船、このリトルマリー号に乗って航海に出る事が出来ました。今は父の商売の貿易業を継いで、海で暮らしています」
私はそこまで言ってトライダーの反応を待つ。しかし彼は口を半開きにして私を見ているだけだった。まあ、私の事はいいや。
「あの、貴方は助けた相手からの御礼を受け取らないそうですが……出来れば、少しでも御礼を差し上げたいんですけど」
私はそう言ってみたが、トライダーはまだ、ただ茫然と私を見ているだけだった。
「……そうですか。それと……これは本来、私が申し上げるような事ではないんですけど……トライダーさん。風紀兵団に戻る気はないんですか? いいえ、戻って下さいよ。他の皆さんも、今度はトライダーさんに任せっきりにしたりしないとおっしゃってますよ。活動の宣伝や資金集めだって頑張るって」
トライダーは今度は少し俯いたまま、話を聞いていたが。
「マリー・パスファインダー君……一つ……一つ聞かせてくれ……私は以前、フェザント海軍のジェラルド・ヴェラルディ艦長に会見し話を聞かせて貰った事があるのだ……彼の話によれば、マリー君はその時フォルコン号という船の船尾の柵にもたれ、ぐったりしていたと……」
えっ? ジェラルドってあのジェラルド? トライダーがあの竹光でゴザルに会っていたのか……世の中広いようで狭いのね。ジェラルドもフレデリク君とは友達になったけど、ジェラルドから見たマリーは艦尾の柵にぶら下がりゲロを吐いてる自称船長の変な女だったんだろうな……
「ヴェラルディさんですか。確かに短い間フォルコン号に乗っていましたね……あの頃の私はちょっと船酔いの問題を抱えていまして、そういう所も見られたかもしれません」
ウソである。船酔いの問題は今も解決してない。
トライダーは空腹と痛みに抗うように首を振り、視線に力を籠めて……私を見る。
「マリー君……本当の事を教えて欲しい。君は、誰かに強制されて船に乗っているのではないのか……? 船の上で……どんな仕事をさせられているのか?」
トライダーは妙に声を震わせてそう言った。この人は何の話をしてるんだろう……まあいいや。普通に、真面目に答えよう。
「私は誰にも何も強制されていません、自分の意志で船長をしています」
「船長……船長!?」
トライダーは驚いて声を上ずらせる。うーん。そりゃそうだよなあ。こんなちんちくりんの船酔い小娘が船長を名乗るなど、どう考えてもおかしいよね。
だけど私は船長なのだ。誰かにとって不都合だろうと、理想に程遠かろうと、それが現実なのである。
「はい。今の私はフォルコン号の船長です」
「マリー君! で、では君が、君がヴィタリスに置いて行った金貨3000枚の小切手、あれは一体何だったのだろうか!?」
小切手? ああ……そういえばジスカールさんに預けましたね、そんなの。
「あの時私はその前の航海でハマームからジェンツィアーナまで、胡椒を満載して持ち込む事に成功して余裕があったんです。一年前、私にはお金が無かったのにジスカール神父とヴィタリス村の皆は、亡くなった私の祖母に立派な御弔いをしてくれた上、お墓も建ててくれたんです。その時にかかったお金のほんの百倍返しですよ」
私がそこまで言うと、トライダーはいきなり両膝をつき、蹲った。
「あ、あの……?」
今の話が、何かトライダーの迷惑にでもなったのだろうか? こちらには全く心当たりは無いのだが、彼の肩の震え方はただ事ではないように見える……
「はは……ははは……! ヒッ! うぐっ……う……はは……」
トライダーは泣き笑いをし出した。四つん這いになって下を向いているのでどんな顔をしているのかは解らないが、この嗚咽と、ぼたぼたと桟橋の羽目板にこぼれる大粒の涙は、とても嘘泣きの物には見えない。
「そうか……マリー君は、地獄には居なかったのか……こ……こんなに嬉しい事は無い……ううっ……はは、は……」
そして何を言ってるのかサッパリわからん。勝手に人を地獄送りにしないでいただきたい。
こんな人どう扱えばいいんだろう。
私は風紀兵団の顔、いや大兜を見る。しかし、風紀兵団の二人も互いの大兜を見合ったり、私の方を見たりしていた。
そこへ、早くも水運組合の人が……フィリドールさんが余程急かしたのか、大慌てで駆けて来て、波止場から叫ぶ。
「リトルマリー号! 海軍より急用と聞きました、飲用水の樽ですね!? 急いでお持ちしていいですかー!」
私は慌てて舷門を離れ、組合の役人さんが走って来る船首側に駆け寄る。
「いいえ、雑用水です、空樽を降ろしますからそれに入れて下さーい!」
「ああっ、新しい樽を提供します、古い樽は引き取りますよー!」
困った。こっちはこっちの思惑通りに進めてもらいたいのだが、向こうは国王陛下絡みの船相手に何か問題を起こしたくないと、余計な気を遣うつもりのようだ。
「特別製の樽なんでこれでー! 今ボートに積みますからー!」
私は外にそう叫んで、舷門の方に駆け戻る。
リトルマリー号の舷門とドックの桟橋を繋ぐ跳ね上げブリッジの袂にはまだ二人の風紀兵団とトライダーが居て、リトルマリー号を走り回る私を見ていた。
「あの、御願いしていいですか」
「ハッ! 何なりと!」
私は風紀兵団の二人に声を掛ける。二人はたちまち敬礼をして寄越した。
この人達を私用に巻き込むのはさすがの私も気が引ける……だけど仕方ない……他ならぬ私の地獄の父の為である。
「一人はこのブリッジを守って下さい、海軍が来ても通せんぼを御願いします」
「心得ました! このブリッジを守ります、海軍でも通しません!」
風紀兵団は拍子抜けする程簡単に、私の図々しい御願いを復唱して来た。
「貴方は何とかしてトライダーさんに力のつくものを食べさせて下さい、あんな風に気持ちが不安定なのは空腹が過ぎるからですよ、肉がいいです、肉が。人間、おいしい肉をたらふく食べたら大抵の悩みはどうでもよくなりますから」
私はさらに、私を基準に考えたトライダーの問題の解決方法を、もう一人の風紀兵団に託す。
「あの人に言う事を聞いてもらうのは大変かと思いますが……あの、お金はお持ちですか?」
「勿論です! 団長がドパルドン卿から頂いて下さいました活動費があります! 団長の御許可がいただけるなら、ただちにトライダーさんにも美味い肉をたくさん食べさせてあげたいと思います!」
時間の無い私はそのまま下層甲板に飛んで行き、リビングと化したその空間に何故か置いてあるハンモックで包んだ空樽にフックを掛ける。
それから上甲板に戻り貨物用テークルのロープをキャプスタンに掛け、必死でその柱を押す。非力な人間が重量物を持ち上げる為の、動力装置である。
「ふあぁぁぁあああ!」
「団長! 宜しければ御手伝い致しますが!?」
「いいえ! そこの警備を続けて!」
ブリッジを守備する風紀兵団が声を掛けて来るが、私はそれを断る。この樽は私が一人で引き揚げなくてはならない。恐らくこの重さこそが、私の父の罪の重さそのものなのだから。
「ふぬぅぅうううう!」
どうにか私が自力で樽をテークルで釣り上げ、甲板に降ろし、次にリトルマリー号のボートを下ろして樽をその上に降ろす……いつも不精ひげやウラドが軽々とやってる作業だが、やってみると容易ではない。
「今ちょっと水夫が居ないので、このボートごと曳いて行っていただけませんか? 水を入れて返していただければ結構なので」
「……はあ、これだけで宜しいのですか?」
役人さんは怪訝そうな顔をしている。しまった。樽は三つ四つ用意するべきだったか。一つで良いというのは確かに不自然なような。だけどもう仕方ない。
「はい、急ぎじゃないですから、ゆっくり御願いします」
私はそう言ってボートを託し、舷側の梯子を登る。
ああ……こんな事をしてバレたらどうなるんだろう。町の広場で市民の皆さんに石を投げられながら火炙りの刑にされたりしないだろうか。




