第49話 御曹司の決意
―――大翔が幼い頃。
大翔は明美が荷物を持って、家を出ようとしているのを目撃した。
「お母さん!」
大翔が呼ぶと、明美の振り返った顔は少し悲しそうな表情をしていた。
「大翔……」
「どこに行くの?」
「……ここから遠いところかな」
「僕も連れて行って」
「ごめんね……それはできないの……」
「どうして?」
すると、明美が大翔を抱きしめる。
「……!」
「ごめんね大翔……お父さんとお母さんね……バイバイしないといけなくなったの。だから……」
「……なんで?」
「なんでだろうね……でも大翔と杏が嫌になったわけじゃないからね。今は謝ることしかできない。ごめんね……」
明美の涙を大翔は黙って見ることしかできなかった。
明美が家を出ていくと、大翔は昴の部屋に入る
昴は椅子に座って本を読んでいた。
「大翔。入る時はノックしなさいと言っているだろ」
「お父さん……」
「なんだ」
「どうして……お父さんとお母さんがバイバイすることになったの?」
「お母さんが分かってくれなかったからだ。大翔が将来どういう人間に育てていくのかを」
昴は読んでいた本を閉じると、大翔の方を見る。
「いいか大翔。お前は将来、私の跡継ぎにならなければならない」
「あとつぎ?」
「そうだ。お前は将来、私が経営している会社を継いでもらう。会社のトップになってもらう」
大翔に近づくと、両肩に触れてじっと見つめる。
「そのためにお前には様々な教育をする。いいな?」
「……わかった」
子供の大翔には、昴が何を言っているのかあまり理解できなかった。
昴の言葉の通り、大翔は様々な教育を受けさせられた。
英会話……ピアノ……学習塾……小学校の友達と遊ぶ時間もなくなった。
そして、私立中学に進学した。
私立中学には高収入の両親を持つ家庭が多く、大翔と同じような教育を受けたからか、成績が高い人が多かった。
だが……大翔が私立中学を楽しめたことはなかった。
金目当てで自分に近づく同級生……
そして我が子の成績を自慢し合う親たちの虚栄心……
大翔にとって中学は息苦しい場所であった。
(……母さんが離婚した理由が分かった気がする)
母さんもこういう息苦しさを感じていたのかな……
(嫌だなぁ……こんな人間ばっかいるところに飛び込むの)
小学校に通っていたあの頃に戻りたい。先生も……皆も優しかったあの頃に……
(なんで嫌なところばっか見えるんだろう……)
金……名誉……ビジネスの繋がり……
大人の事情や大人の言葉を真に受けて、同じことをする子供。
(こんなところ今すぐ卒業したいぐらい……高校は絶対普通のところにする)
普通のところならいるはずなんだ……裏の顔がなく接してくれる人が……
父さんは最難関の公立高校や難関私立に進学しろって言ってるけど……
また同じ目に合うのはごめんだ。
そこで、大翔は教師の中で最も信頼する進路指導の先生に相談することにした。
「う~ん……将来的に難関国公立もしくは難関私立大学に進学できる、偏差値低めの普通の高校ね~」
「やっぱり難しいですかね?」
「そういう学校はたくさんあるけど……こことかどうかな?」
先生が見せたのは光星学園のパンフレットだった。
「光星学園……光星学園ってあの?」
「あぁ。進路実現率8割越えの名門私立だ」
「でも……ここに進学したら二の舞になるんじゃ……」
「そうとは限らないよ?ここは生徒の努力次第で奨学金ももらえるから、一般家庭の生徒も多い。私立中学って一般家庭の人は入れないしね」
「へぇ……」
「それに……ここなら絶対いるよ。斎藤君が求めている人が」
「そう……ですかね?」
「あぁ約束するよ。何なら教師人生を賭けてもいい」
「そこまでしなくていいですよ。とりあえずオープンキャンパス行ってみます」
数日後、大翔はオープンキャンパスに行った。
綺麗な校舎……優しそうな先輩……多彩な部活動……
大翔には魅力的な学校だった。
(よし。ここの文理学科にしよう。部活には入れないと思うけど)
オープンキャンパスが終わり、校舎を出ようとすると一人の女の子が辺りをキョロキョロしていた。この学校じゃない制服を着ていたので、中学生なのはすぐ分かった。
体が大きくて、ぽっちゃりしている黒髪ショートの女の子だった。
「あの……どうかしましたか?」
「えっと……ハンカチ落としちゃって……」
「ハンカチ?」
「お母さんが作ってくれた大切なハンカチなんです。どこに落としたんだろう……」
きっとクラスメイトなら新しいの買えばいいって言うんだろうなぁ……
人の気持ちも知らないで簡単に言って……
「僕も探すの手伝いますよ」
「えっ?でも……」
「どこを歩いたとか分かります?」
「えっと……確か……」
二人は心当たりのある場所を一緒に探す。すると……
「……あっ!これですか?」
大翔が拾ったハンカチを見せた。
「それです!よかった~」
女の子はハンカチを見つけてホッとする。
「ありがとうございます」
「いえ……」
ハンカチでこんなに喜ぶなんて……それほど大切にしてたんだろうなぁ……
こんな人と仲良くなりたい……
「あの……」
「あっ……そろそろ戻らないとお母さんが心配しちゃう」
女の子が慌ててその場を去る。
「一緒に探してくれてありがとうございました!」
頭を下げて、走って行った。
(名前聞けなかった……)
専願かな……併願かな……
(どちらにせよ……また会えたらいいな……)
女の子が校門に向かうと、母親が待っていた。
「おもち!なかなか戻らないから探しに行こうとしてたのよ?」
「ごめんなさい……でもハンカチ見つけたよ」
「わざわざ探さなくてもまた作ってあげるのに……」
「ううん。これがいいの」
ハンカチを大事そうに胸に押し付ける。
(見ず知らずの私に優しくしてくれた……入学したら会えるかな?)
―――コンコンコン。ドアをノックする音で大翔が目を開ける。いつのまにか眠っていたようだ。
(痛たたたた……座ったまま寝ちゃった……)
再びコンコンコンとノックされる。
「はい?」
「ここにいましたか。体調の方はいかがですか?」
「鮭坂さんか……」
ドアを開けると、直人が立っている。
「大丈夫です。ご飯まだ残ってますか?」
「ラップをして冷蔵庫へ。そろそろおもち様がお帰りになるようです」
「……そっか。見送るよ」
玄関にはおもちと博俊がいた。
「すみません……わざわざ送ってくれるなんて……」
「いえいえ」
帰ろうとすると、後ろから大翔の声が聞こえた。
「おもちちゃん!」
「大翔君?」
やって来た大翔におもちは心配そうに話しかける。
「大丈夫?」
「うん。ちょっと部屋で寝ちゃってた」
「ごめんね。私が変な質問したからかな……」
「ううん。あの質問聞いてさ、考えたんだ。なんで社長を目指しているのか」
「えっ?」
過去を振り返りながら、話し始める。
「御曹司で生まれたくなかったってずっと思ってたんだ。金目当てで近づいてくる人もいるし……裏の目的があって自分と関わりたがっている人がいるから……
皆、僕のことを御曹司っていう肩書きだけを見て、斎藤大翔という人間を見ていなかったんだ。僕を斎藤大翔という一人の人間として接してくれたのは少数だった」
大翔の話をおもちは黙って聞く。
「社長……いや……実業家ってさ……成功したらお金持ちになれるし、リスクがある職業だと思ってる。
その中で成功した人はさ、多くの人から支持されて……信頼されて……認められた存在だと思ってるんだ。僕も……斎藤大翔という人間として認められたい。僕は……自分の力で社長を目指したい。
この人と一緒に仕事したいって思われるような人になりたい。親が社長だから当たり前に後を継げるような人にはなりたくない。だから……僕は斎藤ホールディングスを継がない」
それを聞いて、直人が驚いた表情になる。
「どんな事業で起業したいとか……まだ分からない。先行きは不透明だ。失敗したら全てを失うかもしれない。おもちちゃんを幸せにすることもできない。
だけど……自分だけの力で強くなって必ず幸せにする」
「……!」
「勝手なお願いだと思うけど……一番近くで見てほしい。僕の……隣で」
「……大翔君」
覚悟を聞いたおもちが大翔の顔を見つめる。
「大翔君はさ……私の夢を否定しなかったじゃん。私も大翔君の夢を否定しない。それに、大翔君が御曹司だから恋人になったわけじゃないよ。
私は……いつも一緒に居る時の大翔君が好き。だから……これからも一緒にいるよ」
おもちが大翔の両手を握る。
「一緒に頑張ろう?お互いの夢が叶えられるように。大翔君ならいい社長になれるよ」
「そう……かな?」
「大翔君が頑張ってるの知ってるもん。企業インターン行ったり、図書室で社長のエッセイを借りて勉強したり……経営の勉強したり……大翔君は私のこと知ってくれてるけど、私だって大翔君のこと知ってるからね?」
「……!」
おもちが大翔をギュッと抱きしめる。
「私は……大翔君と一緒にいるよ。これからもずっと……隣にいさせて?」
おもちの言葉を聞いて、大翔は涙を流し始める。
「……うん。絶対社長になる」
「えっ……なんで泣いてるの?」
「だって……もしかしたら別れることになるかもって思ったから……」
「大丈夫だよ。私は大翔君を絶対振ったりしないから」
なんか……前の私も大翔君みたいなこと言った気がするなぁ……
(フフッ。本当にいい関係ですね。お坊ちゃまとおもち様は……)
博俊は二人を見て微笑む一方、直人だけはこの状況を喜べないでいた。
(これ……昴様に報告したらどうなるのだろうか……)
跡継ぎが大翔という前提で、日が進んでいるというのに……
(色々準備しているはずだが……大丈夫だろうか……)
直人は冷や汗をかきながら、二人を見つめていた。




