76.業火の裁定者『イニャス』
「(まさか、私がこのような感覚を覚えるとは……)」
眼前から放たれる静かで底知れぬ圧力に、イニャスは生涯で初めて明確な畏怖を感じる。
しかし、それと同じくらいに、強者と交えることへの沸き立つような高揚感も得ていた。
ただそこに立っているだけで、大気が重く圧し掛かってくるかのような錯覚。
それが『英雄』という存在の格なのだと肌で理解し、相手に申し分無しと判断したイニャスは、空を薙ぐように大きく片手を振るった。
それだけで、拠点を焼き尽くし周囲を漂っていた猛火が、意志を持った巨大な生き物のようにうねりを上げ、マキナへと一斉に襲いかかる。
恐るべきは、この大規模な炎の操作を、一切の詠唱を経ずに行っている点にあった。
自らの魔力から炎を発生させるのではなく、既に存在している物質を操る場合、必要となる魔力量自体は大幅に減少する。
しかしその反面、荒れ狂う自然の炎を己の手足のように制御するには極めて繊細で高度な魔力操作技術が要求される。
イニャスの魔法を操る技術は卓越の一言に尽き、既に一帯の炎全てを完全に掌握。四方八方から逃げ場を塞ぐように、絶え間なくマキナへ灼熱の波を叩きつけていく。
だが、この時相対している相手は、その程度の圧力で怯むような軟弱者ではなかった。
「なにっ!?」
すべてを灰にするはずの炎の壁の中から、弾丸のような速度で人影が飛び出して現れる。
「この火力を、真正面から突っ込んで破るか!! なんてヤツだ!!」
紅蓮の荒波を強引に突っ切って突破したマキナの身体は装甲の表面から小さな白煙を上げつつも、その肉体に外傷は殆ど見られない。
これは『エルゼルク王国』の面々が、マキナのために総力を挙げて贈ってくれた特注品の防具による効果にあった。
防具のベースに使われている金属は国内の中でも希少価値の高いもので打たれており、以前までマキナが身に付けていた市販の粗悪品とは違い、基礎耐久度が劇的に上がっている。
それに加えて、加工の最終工程には魔法師団長のシェリーが加わり、高度な防御魔法が幾重にも重ね掛けされていた。
これによって、物理的な衝撃だけでなく、火や水といった特殊な属性攻撃に対しても、極めて高い耐性が備わっていたのだ。
「(皆さん、ありがとうございます!!)」
自分を支えてくれた人々へ強く感謝の言葉を心の中で口にしながら、マキナは一気にイニャスとの距離を詰める。
「(あの防具、特殊な魔法が掛けられているな。私の炎魔法に耐え抜くところを見ると、相当な腕前の魔法使いが術を編んだものと見た)」
イニャスは驚愕を振り払い、今度は手を横に鋭く振るうと、途端に、大気を巻き込むような炎の渦が形成され、突進してくるマキナの小さな身体を容赦なく飲み込む。
だが、渦の中心地に捕らわれたかに見えたその直後、即座に力強く跳躍し、炎の渦を上空へと突破して頂上から現れたマキナの姿を、イニャスの赤い瞳が捉えた。
「(防具の力だけじゃない。コイツの基本的な身体能力や耐久度も、何よりこの炎の渦に躊躇無く突っ込んでくるその精神性!!どれもが常軌を逸している!!)」
ダメージを恐れぬ殺意を放ちながら迫りくる『悪魔』の姿に、イニャスの背筋をかつてない戦慄が駆け抜ける。
彼は迎撃を諦め、今度は自身の周囲に高密度の炎の渦を発生させ、完全な防御の態勢を取った。
「想像以上だ……一度距離を取り、もっと強力な……」
その言葉を最後まで発することは出来ない。
絶対の盾であるはずの炎の渦を物理的に突き破って、黒い影が目前に迫り、それがマキナの振り抜いた拳であると脳が理解した瞬間、その強烈な一撃が彼の顔面へと叩きつけられた。
顔の骨が軋む鈍い音と共に、イニャスの身体は独楽のように全身を激しく回転させながら、自身が作り上げた炎の渦を突き破って後方へと吹き飛ばされていく。
倒壊した建物の残骸に衝突してもその勢いは止まらず、イニャスはぶつかった衝撃でさらに崩れた瓦礫の下へと深く埋もれる。
一方で、顔面への一撃でイニャスを殴り飛ばしたマキナは、すぐさま次なる追撃には出なかった。
突き出した拳をゆっくりと下ろしながら、焼け焦げた気道や肺が治るまで待ち、その場に立ち尽くして一度呼吸を大きく整えた。
「(いててて……最初の攻撃で呼吸系が一気にやられちゃったから、無理やり一気に攻め込んだけど、一旦距離を取る方でも良かったかも)」
傍目には無傷で圧倒しているように見えたが、マキナはイニャスの炎に完全に対処出来ていたわけではない。
寧ろ、初手の攻撃への反応が僅かに間に合わず、その熱波を直撃で受けてしまっていたのだ。
その火力は想像を遥かに超えており、一瞬対応が遅れた結果として、吸い込んだ超高温の空気によって肺や気道といった呼吸器系が一気に焼かれていた。
このまま呼吸を制限された状態で防御に徹していては、いずれジリ貧になってやられると瞬時に判断し、マキナは回避を選択せずに相手の魔法そのものを止めるべす、強引な反撃へと転じたのである。
「(私の自動修復と皆がくれたこの鎧があったから、なんとか耐えられた。そうじゃなきゃ、今の最初の一撃で間違いなくやられてた)」
マキナは、焼けた喉の奥に血の味を感じながら、ゆっくりと瓦礫の山を睨み据えた。
この一帯の破壊の規模を見た時、マキナは複数人の上位魔族による組織的な襲撃であると考えていたが、その推測をここで修正する。
「(魔法の展開速度、緻密な魔力操作、範囲の規模、そして威力……間違いないこの拠点はこの魔族たった一人で壊滅させたんだ)」
瓦礫に埋もれたイニャスが、単なる実力者ではなく、魔族の中でも上位に位置するであろうことを認識したマキナは、さらに警戒レベルを引き上げていく。
「(これが……最高峰の魔族、『冥淵五覇』の一人……)」
マキナがその実力に畏怖している最中、埋もれていた瓦礫の山の中から巨大な炎の柱が吹き上がり、岩をドロドロに溶かしながら、ゆっくりとイニャスが姿を現した。
「お前に、謝る必要がありそうだ」
「……なにをです?」
顔面の傷を炎で塞ぎながら話しかけてくる敵を訝しげに思いつつも、マキナも体内組織の修復にもう少しだけ時間を掛けたかったため、敢えて話を合わせる。
「お前と初めて対峙した時、私は確かな畏怖を覚えた。全力でかかる必要がある敵だと。しかしそれでもまだ、心の奥底のどこかで、人間である貴様のことを侮っていた」
イニャスの体から吹き出していた炎は、徐々に彼の周囲へと広がり、無数の細かな炎の球となって空間に浮かび上がっていった。
「だが、それはもうよそう。貴様は、私の全身全霊を以て屠るに値する敵だ」
空間に漂う無数の炎が不規則な動きをし出すのと同時に、それらはマキナとイニャスの両者を大きく囲うようにして、高速で展開されていった。
「『業火の独房』」
イニャスが冷徹な声で魔法名を口にした瞬間、周囲を囲っていた炎の球が線となって連なり、まるで二人を外界から完全に隔離する檻へと形を成していった。
その形成速度は凄まじく、マキナが危険を察知して動こうとした時には、既に巨大な炎の檻は完成し、退路は完全に断たれていた。
「(なんて高温……さっきと同じで、息をするだけで喉の奥から呼吸器系がやられそうになる)」
「全く。普通の人間ならこの檻に閉じ込められた時点で数秒とかからず焼け死ぬ温度なのだがな。それを耐え抜くとは恐れ入る」
熱気で視界が歪む中、なんとか打開方法を考えていると、同じく檻の内部に残っていたイニャスが静かに語りかけてきた。
「この結界魔法は術者である私自身をも内側に閉じ込めるという制約のもとに成り立っている……内側からの脱出は絶対に不可能だぞ」
真っ先に考えていた脱出するという手段を否定され、マキナは熱を帯びた瞼を閉じて、次の一手を思考する。
「考えるだけ無駄だ。この結界を破るには、術者である私を完全に殺すしか無い」
「……結局それが一番手っ取り早くて確実ということですね」
時間を掛けて探れば、結界の構造を読み解いて打開する手立てはまだあるかもしれない。
しかし、この炎の檻は刻一刻とマキナの心身を、そして命のタイムリミットを蝕んでいく。
ここで立ち止まって考えるよりも、全霊をもって眼前の敵を討ち倒す。それが最も『英雄』マキナに適した解決方法であると決め、彼女は一切の迷いを捨てた。
「『全身強化』」
体内に眠る魔力の全てを解放し、自分にできる限界点まで、肉体強化の魔法を幾重にも掛け合わせる。
「時間はかけない。ここで一気に決着を付けます」
「良いだろう。その時、黒焦げの屍になっているのは、貴様の方だがな」
逃げ場のない炎の檻の中で、両者はジリジリと殺意の間合いを詰めていき、そして全く同時に、相手の命を奪うべく地面を蹴って跳躍した。
※後書きです
ども、琥珀です。
創作裏話
ここで登場するイニャスは、実は当初は程々にそこそこ程度の魔族の設定にする予定でした
本日もお読みいただきありがとうございました。
次回の更新は月曜日の朝7時頃を予定しておりますので宜しくお願いします。




