66.魔族
集落から少し離れた薄暗い森林の中、二人の魔族が獲物を追い立てる猟犬のように周囲を散策していた。
男性型の魔族は肥満体で威圧的な大柄、もう片方の女性型はスリムな肢体に目元を隠す布を巻き、奇妙な静寂を纏っている。
二人はこの近辺へと逃げ延びたであろう、先程の集落の生き残りを探し出す命を受けていた。
「ったく……人間は魔力が弱くて面倒くせぇ。魔力探知でも全然見つけられやしねぇ」
湿った土を踏み締めながら、大柄な魔族が不快げに鼻を鳴らして不平を漏らす。
「とっとと捕まれば苦しまずに楽になれていただろうにな。おい、もしまた無駄な逃げ出し方をしたら、今度は派手に暴れても良いんだよな」
「程々にしておきなさい。お前がその巨体で暴れ回ると、回収する魔力の……」
そこまで言いかけたところで、女性型の魔族の足がピタリと止まった。
「テオス……」
喉の奥で震えるような声で彼女が呼びかけると、テオスと呼ばれた魔族の男も足を止める。
「……なんだ、カミル」
「ルーチェ様の魔力が、消えた」
カミルの戦慄を含んだ言葉に、テオスは即座に魔力探知の精度を高めると、確かに上位魔族のルーチェの魔力反応が消失していた。
「……単に隠密のために魔力を消しているだけじゃないのか。直前まで、激しい魔力の高まりを感じていたはずだ」
「それはつまり、上位魔族であるルーチェ様が魔力を全開にせねばならない程の、想定外の強敵が現れたということでは?」
両者の視線が鋭く交錯し、本能的な恐怖に突き動かされるようにして、それぞれの魔法杖を握り締めながら背後へと構えた。
「魔力探知には、それほど強大な反応は感じなかった」
「人間は姑息で数が多い。弱者が故に探知の網を掻い潜り、死角から不意を突いてくることもある」
「……だが、ルーチェ様の探知能力は我々よりも遥かに優れているんだぞ」
テオスの必死な否定に、カミルは答える術を持たなかった。
もし彼女の予想通り最悪の事態が起きているならば、それは上位魔族を屠るほどの、人知を超えた怪物が近くに潜んでいることを意味する。
二人は長年に渡り人類との殺し合いに明け暮れており、その中で厄介だと感じる手練れには遭遇したが、生命の脅威を覚えるほどの存在には出会ったことがない。
経験豊富なルーチェであれば尚更であり、故にテオスは「あり得ない」と断じることで己の震えを抑え込もうとしていた。
だがカミルは、脊髄を冷たい針でなぞられるような、拭いきれない死の予感を拒絶できなかった。
振り返ってから数秒が経過しても、森の静寂を破る物音も、迫り来る何かの気配も一切探知できず、二人の警戒心は極限まで張り詰め、疲労で綻びかける。
「「ッ!!」」
二人は弾かれたように同時に杖を構え直し、前方の一点へ全神経を注ぎ込んだ。
「な、なんだ、この肌を削るような重圧は!?」
二人が感じ取ったのは、予測していた強大な魔力では違う、それよりも遥かに濃密で、肺を直接握り潰されるような凄まじい「圧」であった。
放たれるプレッシャーはルーチェの全開状態をも凌駕しており、二人の額からは大粒の汗が絶え間なく滴り落ちた。
「バカな……一体、この森の向こうから何が来ると言うのだ……」
乱れる呼吸を必死に押し殺しながら、テオスは迫り来る目に見えぬ脅威へ対応すべく、杖に魔力を込める。
その一方で、カミルは脳裏の深淵に刻まれていた、一つの忌まわしい記憶を必死に掘り起こしていた。
「『英雄』……」
「あぁ!? なんだって!?」
蚊の鳴くような声で呟かれたその言葉を聞き取れず、テオスは苛立ちを露わに聞き返した。
「『英雄』マキナだ!!お前も戦場の噂で聞いたことがあるだろう!?人間でありながら、我ら魔族を悉く討ち倒して回る、『悪魔』の異名を持つあの怪物を!!」
カミルの悲鳴に近い声を聞いて、テオスもその名の持つ呪わしい意味を思い出したのか、みるみるうちに血の気が引いていく。
「だ、だが何故そんな化け物がここにいる!!ここはどの国の領地にも該当しない、空白地帯のはずだぞ!!」
「そんなこと私が知るか!!だが、ルーチェ様の魔力が瞬時に消えた原因が、もし本当にあの『英雄』だとしたら……!!」
二人の呼吸は恐慌状態に陥り、過呼吸のように荒く激しくなる極限の緊張の中で、テオスはある異変に気が付いた。
「お、おい……さっきまでの圧はどこへ行った……」
先程まで五感を麻痺させるほどに感じていた重圧が唐突に霧散しており、二人は慌てた様子で視線を巡らせる。
しかし、周囲の木々の合間からは、小動物の気配すら感じられなかった。
「クソ!!姿を見せねぇなら、いっそこの一帯を根こそぎ破壊して……」
テオスの物騒な叫びは、最後まで完結することはなく、彼の分厚い胸元を、銀色の腕が無慈悲に貫いた。
腕が引き抜かれると同時に、テオスの巨躯は力なく崩れ落ち、不浄な黒い塵となって風に消えていく。
「テオス!!」
いつの間に、どこから現れたのか。
絶叫を上げたカミルの目の前には、鎧を纏う少女、『英雄』マキナが静然と立っていた。
「貴様ぁぁ!!」
カミルは激昂と焦燥に突き動かされ、即座に詠唱破棄による火炎魔法を展開し、眼前のマキナへ向けて放った。
「(詠唱無し……やっぱり、魔族の魔法技術は人間とは次元が違うね)」
つい先日共闘した三人も、人間の中では優秀な類の魔法使いだが、あくまで脆弱な人類という枠組みでの話に過ぎない。
魔族の基準に照らせば、二級魔法使いであるシモンやミアリーは凡庸、師団長であるシェリーでさえ、ようやく『少し優秀』といった程度だろう。
それほどまでに、魔族の魔力操作技術は洗練されており、魔法という現象はその延長線上の呼吸に過ぎない。
「クソ、クソッ!!ちょこまかと!!」
卓越したの技術を有していながら、カミルの放つ紅蓮の炎は、一度としてマキナの肌を焼くことはなかった。
迫る死の焦燥によって照準が定まらず、恐怖を紛らわせるように闇雲な乱射を続けているからだ。
「(魔法は技術だけじゃない、それを制御するだけの確固たる精神力が不可欠だね)」
魔族は肉体も人間よりも遥かに強靭で優れている。
だがしかし、その絶対的な優越感は、いつしか慢心と自惚れへと変質し、その自惚れが予測不能な窮地において致命的な混乱を招く。
相手は数多の魔族を塵に変えてきた、本物の『悪魔』。
それが突如として死角に現れ、一瞬で仲間を屠ったという現実が、カミルから冷徹な判断力を根こそぎ奪い去っていた。
今のマキナにとって、乱雑に放たれる炎の軌道を見極めるのは容易く、その距離は爆発的な踏み込みと共に縮まっていく。
「こ……の、化け物がッ!!」
眼前に迫るマキナのプレッシャーに耐え兼ね、カミルは杖の石突を力任せに地面へと突き立てた。
すると、先端からのみ放たれていた炎が全方位へと逆流し、周囲一帯を焼き尽くす広域殲滅魔法へと変化した。
「これで燃えつきろ、『悪魔』め!!」
周囲の木々を無惨に巻き込み、轟々たる炎の壁がマキナを呑み込み、辺り一面が熱波に包まれ、酸素が奪われていく。
時間の経過とともに炎の勢いは衰え、術者の魔力枯渇に比例して鎮火していった。
「はぁ……はぁ……、やった、か……」
冷静さを欠いて魔力を無駄に浪費したカミルの呼吸は、肩を大きく上下させるほどに乱れていた。
しかし、それでも魔力探知を絶やさず継続し、煙の向こうを睨み続けていたのは魔族としての意地だろう。
「……奴の反応はどこにもない、所詮はただの人間……眉唾物の噂だったか」
宿敵の死を確信し、張り詰めていた神経を僅かに緩めたその刹那───彼女の肉体が、凄まじい衝撃と共に小さく跳ねた。
「は……?」
視線を自分の胸元へと落とすと、そこにはテオスを貫いた時と同様に、背後から突き立てられた白銀の腕があった。
「きさ……なん、……後ろ……」
震える首をどうにか回して後方を仰ぎ見ると、そこには静かに兜で表情を隠したマキナが佇んでいた。
「広範囲の魔法攻撃、とても強力だけど、一帯を自分の魔力で覆い尽くすから、逆に細かな探知がしづらくなるんだよね。だからその乱れに紛れて、気配を殺して背後に回るのは簡単だったよ」
己の慢心が招いた致命的な失態を突き付けられ、カミルは最期に何かを叫ぼうとすると、その願いは叶わず、肉体は崩壊の連鎖を起こし、漆黒の塵となって森の闇へと消え去っていった。
「最初の奇襲の時も同じ。最初に大きな圧を掛けて意識を向けさせれば、貴方たちはそれを基準に探知しようとする、だから小さな魔力の揺らぎには感知が行き届かなくなる。魔力操作に絶対の自信がある分、その傾向はより顕著なんだよね」
最早、物言わぬ死骸すら残っていない静寂の場所で、マキナは誰に聞かせるでもなく独り語り続けた。
「魔力も、身体能力の基本値も、素の力は魔族の方がずっと上だよ。でも、その力を過信しすぎてる。だから私一人の拳にも手が届かなくなる」
僅かに右手に残る、肉を貫き、命を奪った生々しい感触への嫌悪感を握りつぶすように、マキナは固く拳を握り締め、森の奥へと視線を向けた。
※後書きです
ども、琥珀です。
ここまで魔族の出番がほとんど無かったので、増やしてます
ホントは魔族って強いんです
でもマキナが強すぎるんです
魔族は強いんです
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