65.租外の集落
木々に隠れるようにして造られていた集落は、今や無慈悲な蹂躙を受け、陥落間近の窮地にまで追い詰められていた。
これまで息を潜めて懸命に命を繋いできたにも関わらず、理不尽な天災のように現れた魔族の手によって、平穏な日常が一瞬にして瓦礫へと変えられていく。
必死に積み上げてきた安息の地が崩壊していく無惨な光景を、集落の長であるマルクは、絶望に染まった表情で見つめるしかなかった。
「仕掛けた罠はまるで意味無し……か。結局俺たちは、こうなる運命だってことかよ」
立ち込める硝煙の向こう側、圧倒的な捕食者として君臨する魔族の男が、嘲笑を浮かべて一歩を踏み出す。
「バカなやつだ。我々魔族が、こんなチンケな原始的武器で仕留められるとでも思っていたのか?」
男の強靭な肩にはいくつかの矢が深く突き刺さっていたが、彼が煩わしそうに手を一閃させると、それらは塵となって消滅した。
開いたはずの傷口も不気味な脈動と共に即座に塞がり、そこには苦痛の色さえ微塵も残っていない。
「悪かったな……まさかこんな辺境の小集落を狙うような、暇な小物が来るとは想定外だったんでな……」
絶体絶命の窮地に立たされながらも、マルクは震える声を絞り出し、精一杯の皮肉を投げ返すも、絶対的な優位に立つ魔族の男は、羽虫の羽音でも聞くかのように、その言葉を冷淡に聞き流す。
「全く……魔力が足りないとはいえ、何故私がこんな僻地にまで足を運ばねばならないのだ」
魔族の男は目の前の獲物に興味を失ったのか、苛立たしげに小声で不平を漏らし始めた。
マルクはその隙を突いて後退りしようと試みるが、次の瞬間、鋭い光の筋が空気を裂いて彼の脚を貫通した。
「〜〜〜ッ!!」
「バカが。私の前から逃げ出せるとでも思っているのか」
魔族はもはやマルクと視線を合わせることすらなく、作業的に指先から放った閃光でその足を正確に射抜いていた。
「頼むから、これ以上無意味な足掻きはしないでくれ。辺境まで連れ出されてひどく気が立っているんだ」
魔族特有の不気味な紅い瞳で男を射抜きつつ、不機嫌を隠そうともせず、頭部から生える禍々しい角を指先で苛立たしげに掻いた。
「まだ人が隠れているだろ? どこに隠した、素直に吐けば楽にしてやるぞ」
「ハッ!!なんだよ!!偉大なる魔族様は探し物が苦手か!?だったら、日を改めて出直してきやがれ……」
最後まで言い切る前に、今度はマルクの肩を光の線が貫通する。
「次は胴を撃ち抜く。さっさと吐け、私に余計な時間を使わせるな」
低く冷徹な、感情の欠落した声。
命を弄ぶ娯楽としてではなく、ただ淡々と、邪魔な雑草を刈る作業のように人間を追い詰めるその姿は、魔族という種の残虐性を象徴していた。
「ハッ……分かった、分かったよ。そんなに急いでるんだったら……とっとと地獄へくたばりなぁ!!」
地面に伏していたマルクが、死に物狂いで隠し持っていた起爆スイッチを押し込むと、次の瞬間、極太の光が魔族の真横から降り注ぎ直撃した。
「バカが!!人間を、いつまでも舐めてんじゃねえぞ!!」
凄まじい着弾の衝撃によって周囲の土壌が爆ぜ、辺り一帯を濃密な砂埃が覆い尽くす。
マルクは激痛に顔を歪めながらも必死に立ち上がり、一縷の望みを懸けてその場から離脱しようとした。
だが、非情な三度目の閃光が彼の視界を白く染め、今度は宣言通りにその腹部を正確に貫通し、マルクは再び地面へと倒れ込む。
霞む視界を懸命に動かすと、そこには土埃を手で払いながら、掠り傷一つ負わずに佇む魔族の姿があった。
「クソッタレ……!!渾身の罠でも傷一つ付けられねえのかよ!!」
見れば魔族の体の周囲には、魔力による防護膜が展開されており、その不可視の壁が直撃を防いだのは明白だった。
「……少しだけ驚いた。まさか、卑小な人間が魔力を用いた攻撃を仕掛けてくるとはな」
しかし、魔族の男も決して無関心ではいられず、想定外の反撃に僅かな驚きの色を浮かべていた。
「魔法か?いや、今の攻撃に魔法ほど洗練された構築は感じなかった。そもそも、この人間から魔力の流れは皆無だったはずだ、何か別の仕掛けがあるのか?」
僅かに顎に手を添えて考え込む仕草を見せたが、魔族はすぐに興を削がれたようにマルクを冷たく見下ろした。
「少しだけ知的好奇心を刺激されたが、概ね魔力を貯蓄して使用する、原始的な道具の類だろう。貴様に聞かずとも、死体から記憶を回収すれば良いだけのことだ」
そう吐き捨てると、魔族はゆっくりと、死の宣告を込めた指先をマルクへと向けた。
「残念だったな、人間。これが分相応というものだ」
マルクは抗う術を失って観念したように力を抜き、静かに最期の時を待つように目を閉じた。
魔族が嘲笑と共にトドメを放とうとした瞬間、圧迫されるような強大な威圧感が一帯を支配した。
「なんだ……この、肌を刺すような異質な存在感は」
その異様な気配に、魔族は獲物への興味を即座に捨て、戦慄と共に一方向へと意識を集中させた。
木漏れ日が不自然に揺れる森の奥、静寂を切り裂くようにして、鋭い何かが視界を横切った。
次の瞬間───
「せい、やぁ!!」
「ッ!?」
突如として目の前に具現化した人影が、重い衝撃を伴って魔族の懐へと鋭く踏み込む。
魔族の男は反射的に魔力の盾を形成し、間一髪でその強烈な一撃を防御し、安堵の息を漏らす。
しかしそれも束の間、再び視線を前方に向けると、そこには既に敵の姿はどこにもなかった。
「ど、どこだ!?どこへ消えた!!」
辺りを見渡せど姿は視認できず、魔族固有の優れた魔力感知を頼りに、かろうじてその高速移動する位置を特定する。
「そこか!!」
マルクへ放ったものとは比べ物にならない規模の閃光が展開された魔法陣から放たれ、一帯に凄まじい爆発音が轟いた。
「クソッ!!手応えがない!!」
しかし、即座に攻撃が空を切ったことを悟り、魔族は未だに敵の明確な姿を目視できない異常な状況に、焦燥を隠しきれず周囲を索敵し続けた。
なまじ魔力探知で、至近距離に敵が居ることだけは感知できてしまっていることが、逆に魔族の男の判断を狂わせていた。
だが、一人離れた場所で事の顛末を見つめていたマルクだけは、その超常的な光景を捉えていた。
必死に敵を探し出そうと首を振る魔族の、常に視界から外れた死角に、疾風のごとき人影が寄り添い続けているのだ。
「ッ!! 後ろか!!」
魔力ではなく、背後を裂くような殺気を感じ取った魔族の男は、振り向きざまに広範囲の魔法を解き放った。
眩い閃光が再び大爆発を引き起こし、周囲の木々を薙ぎ倒しながら濃密な砂埃を巻き上げ、自身の放った魔法の余波によって魔力探知が一瞬だけ乱れ、気配の主を完全に見失う。
その時、自身の頭上の光が僅かに陰ったことに、魔族は本能的な恐怖と共に気づき、急いで天を仰ぐが、そこには既に銀の鎧を纏った『英雄』が、太陽を背に鋭い一蹴を放つ体勢を整えていた。
「おまッ……!!」
最期の言葉を紡ぐ時間すら与えられず、『英雄』マキナの剛脚が空気を切り裂いて脳天へと叩きつけられた。
凄まじい衝撃波が広場に走り、魔族の巨躯は激しい痙攣を起こして大地に沈むと、やがて不浄な黒い塵となって、虚空へと完全に消滅していった。
何が起きたのか全く理解できずに呆然としていると、マキナはゆっくりとマルクの方へと目を向け、その傍らで膝を折って穏やかに声をかける。
「大丈夫ですか?怪我は、簡易的ではありますが処置します」
その優しく慈愛に満ちた、澄んだ鈴の音のような声を聞いて、マルクはようやく、自分が死の淵から救い出されたことを自覚した。
「アンタ……まさか、噂に聞く『英雄』なのか?」
「そのお話は後で。魔族の残党がまだ周辺に潜伏しています、他の皆さんはどこに?」
突然の伝説の存在を信じられず、困惑の極致にいるマルクを、マキナの凛とした言葉が強引に現実へと引き戻す。
「ち、近くの大木をいくつかを空洞にして、隠れられるように細工してあるんだ。この先を百メートルほど進んだ場所だ」
「ありがとうございます。私が残りの魔族を排除しながら、皆さんを救出してきます」
そう告げるや否や、マキナは強靭な脚力で地を蹴り、爆発的な跳躍を見せ、瞬きをする間もなく、彼女の背中はマルクの視界から鮮やかに消え去っていく。
「本当に……『英雄』だったのか……? あんな化け物じみた魔族を、あんなに簡単に……」
疾風のように現れ、嵐のように去る。
強烈な突風を全身に浴びたかのような余韻に包まれ、マルクはただ、呆然と立ち尽くすしかなかった。
その圧倒的な背中に宿る揺るぎない気概はまさに語り継がれる『英雄』そのものであり、マルクは安堵と共に、ゆっくりと崩れ落ちるようにへたり込んだ。
※後書きです
ども、琥珀です。
創作裏話
魔族の男の名前、当時は全然考えていませんでした
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