59.対キメラ㉑
『シ゛ャ ……』
『ヴェノム・ストーカー』は、己の領域に異物が踏み込んだことを即座に察知した。
辺り一帯に散らばる、地面に黒く染み込んだ毒液。
それらすべてがこの怪物の支配する領域であり、毒液そのものが神経や感覚器官の役割を果たしている。
地面に落ちた一滴、瓦礫に付着した一筋を通じて、怪物は周囲の動きを正確に感じ取っていた。
そして今、その毒の網に高速で接近してくる二つの魔力、ガイルとシェリーが引っ掛かった。
だが───
『シ゛ャ シ゛ャ……』
侵入者を感知してなお、『ヴェノム・ストーカー』はすぐには動かなかった。
視線は依然として目の前の一点、先程まで自身を圧倒していた『危険分子』であるマキナへ注がれている。
今、ソレは地面に四つん這いの姿勢で崩れ落ち、ピクリとも動かない。
先程の一撃が決定打となった。
マキナの凄まじい集中力を逆手にとり、視線と注意が自分へ向いた瞬間を見逃さず、周囲に散らばった毒を瞬時に一本の槍へと集約して突き立てたのだ。
あれほどの搦め手を使わなければ攻撃を当てることさえ難しい相手、多少の手間をかけてでも確実に仕留めるべき敵だと本能が判断したからこそ、『ヴェノム・ストーカー』は躊躇わなかった。
自分の毒を受けてなお息があることに驚きを覚えたが、敵は指先一つ動かさない。
ゆっくりと足を持ち上げ、巨大な影がマキナの上へ落ちる。そのまま踏みつければ、肉体は毒と圧力で潰れ、ドロドロに溶けて消えるはずだった。
今まさに、その質量が振り下ろされようとした、その時。
『シ゛ャ !?』
突如、『ヴェノム・ストーカー』の意識が跳ね上がった。
先程感知した二つの魔力が、マキナほどではないが、これまで対峙した有象無象の中では最速の凄まじい速度で迫ってきていたからだ。
その想定外の接近に、目の前の敵を踏み潰すか、迫る新たな敵に備えるかの二択で怪物はわずかに思考を巡らせる。
判断に必要なのはほんの一瞬だったが、マキナは数分経過しても動かないため、今すぐ仕留める必要はなく、迫り来る二人を先に処理するべきではないかと迷ったのだ。
そのわずかな迷いが、戦場の流れを変えた。
次の瞬間、瓦礫を蹴り、毒の地面を裂くように疾走するガイルとシェリーが、『ヴェノム・ストーカー』の視界に飛び込んでくる。
思考よりも本能のまま、怪物は新たな獲物へと完全に意識を向け、標的を切り替えた。
「よし、こっちに標的を変えたぞ!!マキナ様は!?」
「無事ですわ!!まだ魔力を感知できましてよ!!」
地面を蹴る衝撃音が連続して響き、先頭を走るガイルが爆発的な速度で身体を前方へと叩き出していた。
その後方をシェリーが必死に追いすがる。
彼女は身体強化魔法によって脚力や反応速度を限界まで底上げしていたが、それでも素の身体能力で駆けるガイルの背中に食らいつくのがやっとだった。
「奴とマキナ様の距離は目と鼻の先だ!!まだ着いて来れるかシェリー!!」
「付いていくだけでしたらね!!周辺警戒は任せましたわよ!!」
互いに声を張り上げながらも、二人は一切足を緩めない。
距離はまだ二キロ以上離れていたが、彼らの移動速度なら一分とかからず会敵する。
だが、その強襲は敵にも伝わっており、毒の感知網を通して二人の位置を把握している『ヴェノム・ストーカー』は、迫り来る脅威に先手を打つ。
地面に散りばめられていた毒液が一斉に震え、空中で鋭利な輪郭を作り上げる。それは無数の毒槍となって、一斉に二人へと放たれた。
「来るぞ!!俺の側を離れるなよ!!」
「言われなくても、ですわ!!」
速度は落とさず、ガイルはさらに踏み込みを強める。
持ち前の動体視力で飛来する槍の軌道を瞬時に読み取り、空間の隙間にあるわずかな安全地帯へと身体を滑り込ませ、瓦礫を踏み台にして毒槍の嵐の中を縫うように進み、その背後を、シェリーが一切の迷いなく追う。
「(一人ならまだしも、二人分の安全なルートってなるとかなりシビアだな!!マジで一瞬の気も抜けやしねぇ!!)」
「(なんて攻撃網!!ガイルが居なかったらとっくに刺し貫かれてますわ!!)」
視界の端を毒槍が掠め、地面に突き刺さる鈍い衝撃が連続する。
ほんの僅かでも判断が遅れれば身体を貫かれる極限の緊張状態の中、それでも二人は足を止めず、猛烈な毒の嵐を掻い潜りながら、確実に距離を縮めていく。
『シ゛ャ゛ア゛ア゛!!!!』
攻撃が一向に当たらない事に、『ヴェノム・ストーカー』は苛立ちの咆哮を上げた。
毒がさらに激しく蠢き始め、攻撃の密度が一段階跳ね上がると、槍はさらに細く鋭く変化し、数も倍増して空間を埋め尽くすほどの毒の刃となった。
「クソッタレ!!とことんバケモンだな!!」
ガイルが舌打ちし、建物の残骸を盾にしながら回避を続ける。
だが、それも限界に近づいていた。
視界の前方を覆い尽くすほどの攻撃に対し既に逃げ場はなく、二人揃っての回避は不可能だと、ガイルの脳が瞬時に結論を弾き出す。
「シェリー!!使うぞ!!」
ガイルが剣に力を込めると、その合図を受けたシェリーが即座に手をかざす。
魔力が一気に流れ込んで刀身に青白い光が灯り、強大な魔力のオーラが刃を覆う。
刀身に沿って高速で回転を始めると、空気を切り裂く鋭い振動音が周囲へ広がっていく。
「そぉらぁ!!」
ガイルが剣を振り抜き、刃の軌跡に触れた毒槍が次々と断ち切られ、瞬く間に視界が開けた。
「今だ、行くぞ!!」
毒の嵐に穿たれた一瞬の隙間、その活路を逃すことなく二人は地面を蹴り、回避行動を捨てて、ただマキナの元へ辿り着くためだけに全力で距離を詰める。
「あと少しだ!!気ぃ抜くなよ!!」
「抜けませんわ!!」
距離は残り一キロを切った。このまま走り抜ければ三十秒とかからない。
戦場の中心が確実に近づいており、その接近を感知網で捉えた『ヴェノム・ストーカー』は、意識のすべてをガイル達へ向けた。
『シ゛ャ゛ア゛ア゛!!!!』
怒号と共に怪物の巨大な尾が持ち上がり、その先端が鋭く尖る。
発射口が形成されたと理解した直後、尾の先から紫色の細い毒針が雨のように放たれ、一直線に二人へ襲いかかった。
「そんなことも出来んのかよ!!シェリー!!」
「え!?キャッ!!」
そのまま突っ込めば確実に刺し貫かれると判断したガイルは、迷うことなくシェリーの身体を抱き寄せ、横へ大きく跳躍した。
地面を転がりながら回避するが、毒針は瓦礫や壁を突き破り、障害物を無視して執拗に追撃し、回避したはずの軌道を、次々と毒の雨が埋め尽くしていく。
「チッ!!回避の意味ねぇなこれじゃ!!」
「障害物で姿を隠しつつ、姿勢を低くして、蛇行しながら行きますわよ!!」
横へ逸れ続ければ敵の狙い通りになると理解したガイルは、的確な指示に従い崩れかけた建物の影へと滑り込む。
低い姿勢のまま前へ踏み出し、軌道を細かく変えながら疾走を続ける。
外から見れば二人の姿は完全に見えなくなっていたが、『ヴェノム・ストーカー』には毒の感知網があるため問題ないはずだった。
『シ゛ャ……!?』
だが、その瞬間、怪物の動きがわずかに止まる。
毒を通して感じ取っていた二人の魔力が、突然完全に消え去ったのだ。
再び捕捉しようと毒を巡らせるが、結果は同じだった。
「(やはり、この毒の魔力で私達の位置を特定していたんですのね!!)」
再び走り出した直後、シェリーは確信して笑みを浮かべていた。
彼女はこれまでの解析によって毒の魔力の性質を詳細に把握しており、マキナを貫いた毒が再び操られたのを見たことで、この毒が感知の媒介でもあることを見抜いていたのだ。
「(後の手は踏まされましたが、分かればこちらのもの。毒の中和と合わせて、ジャミングを張らせて貰いましたわ!!)」
『ヴェノム・ストーカー』が二人を見失った理由は、シェリーによる大規模な魔力干渉だった。
彼女は毒の魔力の性質を逆利用し、撹乱を戦場の全域へと展開させた。
毒の魔力は厄介だがすべて同質であるため、構造さえ理解すれば干渉を拡張させることが可能だったのだ。
残り三百メートル。
その時、『ヴェノム・ストーカー』はジャミングの奥から微かな魔力の漏れを感じ取る。
それは自分の後方からであり、怪物は反射的に巨大な身体を回転させた。
「位置を撹乱出来るのですから、故意に魔力を放出させて偽ることも可能でしてよ」
だが、凛とした声が響いたのは、怪物が振り向いた先とは正反対の背後からだった。
「おやりなさい、ガイル」
「流石だぜ、シェリー」
次の瞬間、ガイルの剛剣が一直線に振り抜かれ、青白い光を帯びた鋭い刃が『ヴェノム・ストーカー』の胴体を深々と切り裂いた。
※後書きです
ども、琥珀です。
最近眠くてしょうがなくて、21時には寝始めてるんですよね
まぁ寝れないよりはマシなんですが、それでも早寝すぎるのも辛いなと思う今日この頃です……
本日もお読みいただきありがとうございました。
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