57.対キメラ⑲
一体どこから───
その疑問が頭の中で形を結ぶよりも早く、マキナの視界が大きく揺れた。
ぐらり、と世界が傾くような猛烈な眩暈が襲いかかり、平衡感覚を失ったマキナは堪えきれずに思わず膝をついてしまう。
地面に叩きつけられた膝から硬い振動が伝わるが、今の彼女にそれを感じ取る余裕すらなかった。
直後、胃袋を雑巾のように強く絞り上げられる激しい痙攣が込み上げ、強烈な吐き気が焼け付く熱と共に喉元までせり上がり、堪える間もなく口が開き、マキナの口から大量の液体が吐き出された。
地面へ叩きつけられたそれは、酸っぱい胃液などではなく、どろりとした深紅の液体───むせ返るような鉄錆の匂いを放つ血液だった。
吐き出しても吐き出しても止まることはなく、ドクン、ドクンと脈打つように喉の奥から次々と込み上げ、まるで体内の血がそのまま外へ流れ出ているかのようだった。
マキナは必死にそれを抑え込もうとするも、兜の上から血がボタボタッ!!と重い音を立て、赤黒い雫が絶え間なく落ちていく。
視界すら赤く染まるその感触に違和感を覚え、マキナは遅れて口からの出血だけではないことに気がつく。
目尻からも、鼻腔からも、少なくない量の生温かい血がドクドクと流れていた。
赤と黒のモザイクのように歪んでいく視界の中で、耳の奥には自身の狂ったような心音だけが、不気味なほど大きく鳴り響いている。
「(毒……毒だ!!『ヴェノム・ストーカー』の毒を直接打ち込まれたんだ……!!)」
原因を理解した瞬間、麻痺していた苦痛が一気に現実味を帯び、マキナの予想を遥かに上回る凶悪さで致死の猛毒が全身へ襲いかかった。
まず全身を駆け巡る激痛。身体の内側からバーナーで直接焼き溶かされているかのような絶対的な痛みが神経を焼き、制御を失った筋肉を激しく震わせる。
それは強力な酸性毒が血流に乗り、瞬く間に全身を巡っている証であり、今も尚マキナの身体を内側から泥のように溶かそうと暴れ回っていた。
各内臓へも容赦なく毒素が回り込み、臓器がひきつるような悲鳴を上げる。
肺は必死に毒を排出しようと痙攣し、ヒュー、ヒューと呼吸が激しく乱れ始めた。
次の瞬間、ゴホッ!と血の混じった激しい咳が込み上げ、骨が折れるほどの強い衝撃が続く。
その咳は異常なほど強く、自身の肋骨が軋む音さえ内耳に響くほどであり、先程の吐血の半分はこの咳の破裂的な衝撃が原因だろう。
さらに致命的なのは呼吸の欠如で、肺が正常に機能していないということは十分な酸素を取り込むことが出来ないことを意味しており、血液は急速に酸素不足に陥る。
その結果、マキナの身体はチアノーゼが発症。唇は生気を失って青黒く変色し、指先や爪の色も毒に侵されたようなドス黒い紫へと変わっていく。
加えて神経網そのものが侵されているのか、全身が痺れて酷く重くなり、身体の感覚が泥水に沈んだように曖昧になっていく。
足の位置も腕の角度も、もはや正常に認識できない。
今自分がどんな体勢でいるのかさえ、マキナの感覚は捉えられなくなっていた。
「(ま……マズイ……早く…早く回復を……!!)」
薄れゆく意識を必死に保とうとするマキナの想いとは裏腹に、身体の修復は一向に進まない。
いや、正確には違う。
これまで幾度もマキナを死地から救ってきた再生プログラムはすでにフル稼働で作動しており、傷ついた細胞を修復し、壊死した組織を再構築しようと試みていた。
通常ならば、その回復力は常識を逸した速度で肉体を瞬時に修復する。
だが『ヴェノム・ストーカー』の毒は、マキナの再生機能よりも速い速度で身体を侵食し破壊しており、マキナの身体はいつまでも回復と破壊を繰り返す無限ループの状態に陥っていた。
治っては溶かされ、溶かされては治る。その矛盾した終わりのないプロセスが神経を過剰に刺激し、通常の致死毒の何倍もの苦しみを生み出しているのだ。
「(再生が追いつかない……!!身体の崩壊が続いて
毒がいつまでも除去されない!!)」
これまで戦闘で毒を体内に取り込まされたこともあったが、それとは比較にならない。
身体の奥深くから細胞を焼き上げるような苦痛と、神経を千切るような激痛が延々と続き、その地獄のような感覚がマキナの全身を容赦なく蝕み続けていた。
「マキナ様!!」
その絶望的な光景を目にした瞬間、シェリーの顔色が一変し、躊躇も作戦も飛び越え、ただ本能のままにマキナの元へ駆け出そうと一歩を踏み出す。
だがその瞬間、横から伸びたグラップの腕が彼女の進路を遮った。
グラップはシェリーの肩を強く掴み、その動きを強引に制する。
「何故止めるのですグラップ様!!このままではマキナ様が!!」
「分かっておる!!だがいま君に万が一のことがあれば、『ヴェノム・ストーカー』を倒す手立てが無くなってしまう!!冷静になれ!!」
悲痛な声を荒げるシェリーに対し、グラップもまた強い口調で怒鳴り返すも、彼の太い声にも明確な焦りと震えが滲んでいた。
それでも尚、シェリーは止まろうとせず、肩を掴む手を振り払って今にもマキナの元へ飛び出そうと暴れるが、その衝動をグラップは力尽くで必死に抑え込んだ。
「落ち着け!!君も見たはずだ!!奴が周囲に飛散った毒を集約させて作った毒の尾でマキナ様を貫いたのを!!」
その言葉が冷水のように突き刺さり、シェリーの身体がぴたりと止まり、つい先程の信じがたい光景が脳裏に鮮明に蘇る。
戦場に飛び散っていた毒液が一瞬で空中に収束し、不気味な尾の形を作り出した異様な現象。
そして、その毒の尾が死角からマキナの腹部を深々と貫いたその光景を、確かに自分ははっきりと見ていた。
ようやくシェリーの足がその場に踏み留まるも、その表情は決して穏やかではない。
今にも飛び出したい衝動を、残された理性で必死に押し殺している顔であり、握りしめた拳は白く震え、ギリッと歯を強く食いしばっている。
「いまここで我々が救出に向かっても、被害が広がるだけだ!!ましてや君を失えば反撃の手立てを完全に失ってしまうんだぞ!!」
「ですが!!だからといってマキナ様を見殺しにするわけにはいきませんわ!!私なら毒を中和しながら救出できます!!」
互いに一歩も引かない。言葉は激しくぶつかり合い、戦場の空気はこれ以上ないほど張り詰めていく。
押し問答は続き、議論は完全な平行線だが、その内心は決して冷たい計算などではない。
グラップもまた、同じ痛切な思いを抱えていた。
本心では今すぐにでも駆けつけ、どんな手段を用いてでもマキナを助け出したいという燃えるような衝動は、シェリーと何一つ変わらない。
それでも彼はその場に踏みとどまる。
自分が口にした非情な判断が、部隊を率いる指揮官の戦術として正しいことを誰よりも理解しているからだ。
だからこそ動けない。
動けば全てを失う可能性があるという残酷な現実が彼の胸の奥を激しく軋ませる。ギリッと奥歯を噛み締める彼の口内からは、鉄の味が広がっていた。
血が滲むほど拳を握り締めながら、グラップは何も出来ない無力な自分に強い憤りを覚え、指揮官としての冷徹な仮面の下で魂を慟哭させていた。
「だったら、マキナ様の救出は俺が担いますよ」
張り詰めた戦場の、猛毒の風が吹き荒れる空気を縫うようにして。突然、背後からひどく落ち着いた声が聞こえてきた。
グラップが弾かれたように勢いよく振り返ると、そこに現れたその人物の姿に、思わず目を大きく見開いた。
※後書きです
ども、琥珀です。
すいません、本編の調整していたら、「あれ?今週で『キメラ編』完結しなくね?」となって焦っています
もしかしたら完結が来週に持ち越されるかもしれませんので、ご了承下さい……
本日もお読みいただきありがとうございました。
次回の更新は明日の朝7時頃を予定しておりますので宜しくお願いします。
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