56.対キメラ⑱
それは、これまでの様子を探るような慎重な接近ではなく、明確に敵を追い詰む苛烈な攻めの踏み込みだった。
砂塵が激しく弾け、地面を深く蹴り抜いた衝撃がマキナの脚部を伝って大地へと逃げる。
その身体はまるで弾丸、あるいは一筋の雷光のように前方へと射出され、『ヴェノム・ストーカー』の巨体へ一直線に肉薄していく。
対する『ヴェノム・ストーカー』も、この短時間の攻防の中でマキナを完全に生存を脅かす危険な存在として認識していた。
距離を詰めさせれば、肉体の深淵にある自らのコアへ、その生存本能に直結したあの衝撃による危機感が、巨体を即座に反応させた。
醜悪にうねる口腔が大きく裂け、次の瞬間、不浄な毒液が猛然と吐き出される。
だが先程のような一点集中を狙った鋭い射出ではなく、今度は逃げ場を完全に奪うべく、広範囲に拡散する形で撒き散らされた。
濁った毒液が霧のように空間を侵食し、前方一帯を覆う死の幕を作り出し、このまま突っ込めば、防具の隙間や頭から毒液を浴びることは避けられない。
瞬時にそう判断したマキナは、突進の勢いを殺しながら地面を滑るように足を止めると、そのまましなやかに身体をひねり、右拳を天へ向けて振り上げた。
次の瞬間、空間そのものが爆ぜる。
寸止めによって解き放たれた凄まじい拳圧が衝撃波となり、空間を叩きつけるように広がると、立ち込めていた毒液の幕を一気に吹き飛ばし、紫の飛沫を四方へ弾き散らした。
濁っていた視界が一瞬で晴れ渡る。
だが、そこに鎮座していたはずの巨体が、忽然と消えており、それを認知した瞬間、マキナは迷わず視覚への依存を断ち切り、全神経を研ぎ澄ませて周囲の情報を強制的に吸い上げた。
かつて『スカイ・ブラー』の高度な擬態すら見破った彼女の野生的な感覚は、視界を奪われた混沌の戦場でも鋭敏に機能する。
その中でも、真っ先に反応したのは嗅覚だった。
空気の流れに混ざる、毒特有の鼻を刺すような刺激臭。その不気味な移動を捉えた瞬間、マキナの身体が反射的に駆動し、本能のままに身を低く屈めた。
次の瞬間、ブォン!と重厚に空気を裂く音と共に、『ヴェノム・ストーカー』の剛腕がマキナの頭上を僅か数ミリの差で掠めていった。
『シ゛ャ゛ッ!?』
「(早い……!!一瞬でも意識を離したら、もう視界じゃ追いきれない!!)」
互いにわずかな驚愕を浮かべるも、その感情は一瞬で戦闘の過酷な緊張感へと飲み込まれ、両者ともすぐさま次の一手へ移る。
もともと至近距離での接近戦こそを望んでいたマキナは、間髪入れず拳を突き出そうと鋭く踏み込む。
一方、『ヴェノム・ストーカー』もマキナを懐へ入れたままでは、自身が不利に陥ることを本能で理解していた。
ゆえに、即座に後退して距離を取ろうと巨体を翻す。
「フンッ!!」
だが、次の動きはマキナの方が一瞬早く、そして鋭かった。
『ヴェノム・ストーカー』が完全な後退動作に入るよりも先に、マキナは全体重を乗せて地面を思い切り踏み抜くと、ドンッ!と大地を震わせる重い衝撃が、波紋のように地表を走る。
その猛烈な振動は地表を伝い、周囲一帯を大きく揺らすと、足場を奪われた『ヴェノム・ストーカー』の巨体がバランスを崩す。
スライム状の身体はあらゆる打撃を吸収するが、足場となる地面そのものが揺らげば話は別だ。
支点を失った巨体は移動するための力を地面にうまく伝えられなくなり、その結果『ヴェノム・ストーカー』は一瞬、逃げることも叶わずその場に立ち尽くすしか出来なくなる。
その致命的な隙を、『英雄』が見逃すはずもなく、地面を蹴った反動を推進力に変え、再び巨体の懐へと深く滑り込んだ。
「(離脱されたら、またあの鋭利な高圧射出が来る。だから……この一連の攻撃で、一気に追い込む!!)」
マキナは肉体へ付与していた強化魔法を、拳だけでなく両脚にも限界まで流し込み、全身の筋肉が爆発的に励起され、次の瞬間、一閃の拳が突き出された。
空気が弾け、三度目となる衝撃波が『ヴェノム・ストーカー』の肉体へ叩きつけられる。
だが、それだけでは終わらない。
衝撃を放った直後、マキナは再び地面を蹴って瞬時に移動し、巨体の側面へ回り込んで再び拳を振るう。
その衝撃が解き放たれた瞬間には、すでに次の予備動作に入り、再び爆ぜるように地面を蹴って位置を変える。
そして、全力の拳を突き出す、これらの動作を息継ぎすら許さぬ神速で連続して繰り返し続けた。
マキナの残像が戦場を縦横無尽に駆け回り、苛烈な拳圧が四方八方から『ヴェノム・ストーカー』を打ち据え続ける。
同時に、地面を蹴るたびに生じる激しい振動が足場を絶え間なく揺らし続け、巨体の離脱を物理的に封じていた。
いくら繰り返しても、それだけでは致命的なダメージにはならないが、それで十分だった。
マキナという存在そのものから放たれる圧倒的な拳圧と、全身が鋭敏な感覚器官でもある『ヴェノム・ストーカー』の特異な体質。
その二つが重なり合い、絶え間なく肉体の深部を侵食し続ける刺激は、巨体の本能そのものを容赦なく揺さぶり、掻き乱し続けていた。
『シ゛ャ゛ア゛ア゛ア゛!!!!』
繰り返される衝撃に遂に耐えきれなくなった『ヴェノム・ストーカー』が、空を裂くような咆哮を上げる。
その声は獣の唸りとも、濁った液体が激しく擦れ合う不快な音ともつかず、戦場の空気を不穏に震わせるようなその叫びとともに、巨体が大きく、激しくうねった。
退避は既に諦め、即座に凶悪な反撃へと切り替えたのか、身体を螺旋を描くように捻り、『ヴェノム・ストーカー』はマキナを強引に巻き込むように、周囲を長大な蠍の尾を振り回した。
猛毒を滴らせるその尾が鋭い弧を描き、周囲の空気を凄まじい音で唸らせる。
その一撃は単に薙ぎ払うというより、一帯そのものを力任せに刈り取るような暴力的な軌道で、その殺気を感じ取った瞬間、マキナは即座に回避の方向を修正した。
近くの建物の陰へ身を滑り込ませるようにして、その旋回を紙一重でかわすと、尾が建物の外壁を叩きつけられ、重苦しい衝突音と共に強固な建材が弾け飛んだ。
その際、融解が間に合わなかった破片が尾と衝突し、毒の飛沫となって霧のように空中へ広がる。
だが、マキナの優れた動体視力が、降り注ぐ紫の飛沫の軌道を瞬時に読み取り、そのまま崩れた瓦礫の影へと滑り込んで毒を退けつつ、一旦距離を取った。
「(……まだ、攻撃の手が足りなかったかな。でも、あの暴れまわる激しい動きも合わさって、かなり『促進』はできてるはず)」
呼吸を整えながら、マキナは『ヴェノム・ストーカー』の巨体の状態を冷静な眼差しで分析した。
外見上、決定的な変化はまだ見られないものの、注意深く観察すれば、確かな違和感はある。
先程までの荒ぶり方と比べ、その動きがわずかに、けれど確実に緩慢になっていることに加え、先ほど建物と衝突して飛び散った尾の一部の再生も、明らかに平時より鈍っていた。
通常であれば瞬時に再構築されるはずの肉体が、まだ完全な形を取り戻せていない。
更に、巨体の周囲から、わずかではあるが白い靄のようなものが立ち上り始めているのを、マキナは見逃さなかった。
肉体から発せられる水蒸気。それを視認した瞬間、マキナの胸の奥で確信が揺るぎない形を成す。
これこそが、彼女たちが待ち望んでいた勝機だった。
『ヴェノム・ストーカー』の体温を意図的に上昇させ、体内の毒液を加熱してガスを発生させる。
それが、この死闘における戦術の核心だった。
物理攻撃は効かず、魔法攻撃も毒素の干渉によって決定打にはならない。
だが、加熱によって体内に充満したガスに、一点でも引火すれば話は変わる。
たとえ外部からの魔法の威力が減衰していたとしても、逃げ場のない体内で大規模な誘爆が起これば、その破壊エネルギーまでは無力化できない。
そのために必要不可欠だったのが、ガスの発生。
そしてそれが起きている紛れもない証拠が、今目の前にある水蒸気と、体内に生じ始めた微細な気泡だった。
ただ一つ、想定外の誤算がある。
発生した気泡を、『ヴェノム・ストーカー』自身が意図的な放射によって、外部へと吐き出すことが出来るということだ。
本来の計画では、体内に十分なガスを溜め込ませた後、余力を残したシェリーの炎魔法で誘爆を引き起こすはずだった。
だが、毒液と共に気泡を排出できるのであれば、そう簡単には爆発の臨界点へ持ち込めない。
だからこそマキナは、己を削って動き続けることで、『ヴェノム・ストーカー』にも激しい戦闘を強制し、巨体に一息つく余裕を与えず、吐き出す動作を行う隙を奪いながら、体内の温度だけを無理やり上げさせ続けさせる。
水蒸気が出始めた以上、次に内部で決定的な気泡が生じるまで、そう時間はかからないと見込んでいた。
「(毒の吐き出しも、あと一度くらいなら私が対処出来る。このまま、奴を動かし続ければ……勝てる!!)」
勝機を確信するも、マキナは決して気を緩めることはなく、むしろ意識はさらに深く研ぎ澄まされていく。
戦場の重苦しい空気、足元から伝わる微かな振動、敵のわずかな挙動、それらすべてを捉えようと、全感覚を極限まで集中させた。
その時だった。
微かな衝撃、そしてほんの一瞬遅れて、焼けるような鈍い痛みが腹部から広がる。
マキナはゆっくりと、信じられないものを見るように視線を落とした。
そこには、紫色の、禍々しい蠍の尾。
瓦礫を貫き、死角から音もなく伸びた『ヴェノム・ストーカー』の鋭い尾が、マキナの腹部を深く、深く突き刺していた。
※本日の後書きはお休みさせていただきます
今週は平日更新になります。
本日もお読みいただきありがとうございました。
次回の更新は明日の朝7時頃を予定しておりますので宜しくお願いします。




