35.『グラウム・ビースト』
マキナが臨戦態勢に入るのと同時に、『グラウム・ビースト』が突進攻撃を仕掛けてきた。
両者の距離はおよそ25m。『グラウム・ビースト』の初速はさほど速くなかったが、こちらへ迫るにつれて地響きを伴うほど加速していく。
接触の直前には時速50km近くに達し、正面から見れば本能が怯えで硬直するほどの圧力があったが、それを前にしてもマキナは一切怯まず、側でへたり込んでいた所員の襟をつかみ上げた。
「へっ!?」
素っ頓狂な声を上げた所員の身体が、次の瞬間とんでもない力で引き上げられ、宙に放り出される。
「わ―――あああぁぁぁぁ!!??」
叫びと共に無重力のような浮遊感が走り、その直後、強い衝撃とともに尻もちをついた。
「いてて……んっ!?あ、あれ!?や、屋根の上!?」
先ほどまで地面に座っていた所員の身体はマキナに投げ上げられ、数メートルどころではない高さの家屋の屋上にまで投げ上げられていたのだ。
「乱暴にしてごめんなさい!!」
声のした方へ視線を向けると、そこには『グラウム・ビースト』の突進を回避し終えた直後のマキナの姿があった。
その背後では魔物が駆け抜けた勢いで地面が抉れ、大きく陥没している跡が残り、もし直撃していれば命がなかったと嫌でも理解させられる。
「私はこのまま『グラウム・ビースト』を引き付けつつ、討伐します!!貴方は種の孵化を共有しつつ、他の方の補助に入って下さい!!」
再び迫る突進を軽やかな身のこなしで避けながら、マキナは力強くそう告げる。
それでも、ここでマキナを置いて逃げてよいのか迷いが胸を締めつける。そんな逡巡を断ち切るように、マキナは再び叫んだ。
「貴方がこの情報を共有して下されば、この後より素早く動けます!!いつ種が芽吹くかわからない今、一分一秒が戦いです!!行って!!」
回避しつつ地面を蹴って体勢を整えるマキナ。その必死の声を聞き、所員はすぐに駆け出した。
マキナの言う通り、種が芽吹いたという情報共有は急務であり、それ以上に自分が戦場に残っても何一つ役に立たず、むしろ邪魔になるだけだと理解したからだ。
マキナがただ押し退けるのではなく、逃げ道の多い屋根の上へと吹き飛ばした。
その意図に気づいたことで、所員は自分に課された役目を悟った。
逃げるためではない、果たすべき使命のために。所員の背が見えなくなったのを確認し、マキナは小さく息を吐いた。
「(これでもう、人の被害は考えなくて良い。思いっきり戦って、大丈夫!!)」
それまで『グラウム・ビースト』の注意を引くために動き続けていたマキナは、静かに足を止め、ゆっくりと振り返り魔物に向けて拳を構えた。
初対峙の際に放っていた圧が、再びマキナの身体から滲み出し始めたことで、『グラウム・ビースト』の動きがピタリと止まる。
先ほどまでの騒々しさが嘘のように、空気は張り詰めた静寂に包まれた。
『ブオオオオォォォ!!!!』
『『ブオオオオォォォ!!!!』』
一体の『グラウム・ビースト』が叫んだ直後、三体の『グラウム・ビースト』が雄叫びを挙げた。
その雄叫びは耳をつんざくような咆哮は周囲の家々を震わせ、瓦がかすかに鳴るほどだった。
だがマキナは一歩も動かない。わずかな風すら揺らさぬ静かな呼吸だけが胸元で上下し、その瞳は獲物を捉える猛禽のように細く鋭い光を宿していた。
やがて、気圧されたのは魔物の側だった。三体は同時に地を蹴り、横一列に並んで突進を開始する。
建物に挟まれた一本道を塞ぐように広がり、逃げ道を完全に奪う狩りの姿勢。土煙が後方へとたなびき、地面が震え始める。
距離が縮まる。二十メートル。十五メートル。
マキナは息を整え、すっとその場で跳躍。『グラウム・ビースト』より頭一つ分高く飛び越える軌道。だが、その瞬間、
『ブオオオオォォォ!!!!』
正面の一体が、マキナの跳躍に合わせるように地を強く蹴った。
巨体とは思えぬ瞬発力でこちらへ向かって伸びる角は、確かにマキナの身体を捉えている。
だが――跳躍した魔物が目にしたのは、貫かれるはずの少女ではなかった。
影に沈んだはずの身体の代わりに見えたのは、振り上げられた脚。
瞬間、マキナの細い脚に力が満ち、魔力の奔流が踵へと集中する。
「せいっ……やあああああ!!!!」
振り下ろされた踵は、岩塊めいた皮膚を易々と砕き割り、そのまま巨体を上から押し潰すように地面へ叩きつけられ、轟音が響いた直後に、砂土が舞い上がる。
『ブ……ギイ……』
タフさを誇る『グラウム・ビースト』でさえ、その一撃には抗えなかった。
地へ沈んだまま動かず、次いで黒い塵へと変わり、風に溶けるように消えていく。
マキナは着地と同時に小さく息を吐き、静かに前を見据えた。
「……次」
塵が完全に消え去ったのを確認すると、マキナは残り二体となった『グラウム・ビースト』へ視線を鋭く向けた。
先ほどまでの混戦の余韻も冷めぬうちに、圧倒的な力量差を思い知らされた魔物たちの瞳には、はっきりと恐怖が刻まれていた。
本来なら、戦意を喪失した者への攻撃を避けるのがマキナの流儀だが、舞台は国内の街中であり、逃すことは許されない。
そんな現実が、彼女の迷いを断ち切り、動きを一層研ぎ澄ませていた。
距離を保ちながら静かに構えるマキナ。その姿を捉えられず、『グラウム・ビースト』の一体が焦るように目を見開いた。
『ブォ!?』
次の瞬間、腹部に強烈な衝撃を受け、身体が宙に舞った。
視線を必死に下に向けると、そこにはいつの間にか懐に入り込んでいたマキナの姿があった。
低く身をかがめ、素早く死角から腹部を殴り上げていたのだ。
宙に浮かされた巨体は、その重みゆえに身動きが取れずにゆっくりと落下する。
その先で片足立ちをし、落下のタイミングを待つマキナがいた。
「……やぁ!!」
瞬時に踏み込みながら曲げていた片足を一気に振り上げ、隙だらけの腹部に強烈な蹴撃を叩き込む。
蹴りは堅牢な『グラウム・ビースト』の腹部を貫き、背部へと衝撃を伝えた。
叫ぶ間もなく腹部を貫かれた『グラウム・ビースト』が体を震わせ、そのまま黒い塵と化して消え去った。
彼らの表皮は堅固だが、関節や腹部など稼働に必要な部分は薄く脆い。
頭部の表皮すら粉砕するマキナの蹴りが直撃すれば、致命傷は避けられない。
幾度も戦場を駆け抜けてきた彼女は、その知識と経験を無意識に体現しており、ここまで迷いのない動きはまさに経験の賜物である。
「……あと一体」
しかし、この冷静さの理由は経験だけではない。
守るべき者も庇う心配もなく、目の前の魔物だけに全神経を集中できる環境。それが、マキナの力を最大限に引き出していた。
その立ち振る舞いは、まさに歴戦の猛者そのものであり、圧倒的な狩人としての存在感を放つ。
最後の一体となった『グラウム・ビースト』は、もはや身動きすらできなかった。
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「マキナ様!!援護に来ました!!」
程なくして最低限の戦闘能力を備えた所員数名が駆けつけ周囲を見渡すが、どこにも魔物の姿はなかった。
「あ、あのマキナ様……魔物はどこに?」
マキナは目前で散った黒い塵を見届け、ゆっくりと振り返る。
「増援に来てくださってありがとうございます。でも、ここはもう大丈夫です。出現した『グラウム・ビースト』は、全て倒しましたから」
戦闘のエキスパートである兵団が、一体の『グラウム・ビースト』を討伐する平均時間は五分。
堅固な鎧の皮膚を削るため、誘導・攻撃・補助と役割を分け、集団で攻撃する必要がある。
対して、マキナは現着から約五分で、一人で四体を討ち取っていた。
救援に現れた所員たちも十分に優秀だが、その間に片を付けてしまったマキナの規格外さが、改めて際立つ。
「皆さんはもとの持ち場に戻ってください。またいつ種が孵化するかも分かりませんから」
そう告げ、マキナは静かにその場を離れる。所員たちはしばらく、ただ呆然と見送るしかなかった。
『英雄』マキナ。彼女がそう呼ばれる所以を、所員たちは改めて理解したのだった。
※本日の後書きはお休みさせていただきます
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