27.プロディジー・マエストロ
女性のやわらかくも逆らえない声に背中を押され、マキナは再び見えない結界の前に立つ。
「じゃあ結界に手を当てて。結界に触れたら、魔力は消すように」
言われるがままに手を添え、自身の魔力を消すや否や、女性の手がマキナの手の上に重ねられた。
先程とは明確に違う温かい感触があり、重ねられたその手に魔力が帯びていることにマキナは気づく。
「大丈夫。プレッシャーは感じないだろう?」
「あ、あれ?ほんとだ……でも、なんで……」
確かに指先から結界の魔力は感じるが、あの威圧感は一切なく、代わりにやわらかな温もりがマキナの指先を優しく包み込んでいた。
「さっきの君は、この結界の魔力を『受け止めて』しまっていた。例えるなら、滝の水を真正面から全身で浴びていたようなもの。そりゃびっくりするよね」
女性はまた楽しげに快活な笑い声を上げ、その笑い方は豪快であるにも関わらず、不思議と耳に心地よく不快感は感じなかった。
「じゃあ今はどうなのかと言うと……これは、結界の中の魔力の流れに『身を任せて』いる状態。川の流れに身を任せて、ぷかぷかと浮かびながら流されているような感覚と言えば分かるかな」
その直感的な言葉を受け、マキナは頭の中に柔らかな水の流れと、そこに浮かぶ己の姿を思い描く。
「まぁ、口で言うほど簡単じゃないらしくてね。みんな結構出来ないから、ボクが代わりに流れを汲み取って共有してるのさ」
彼女の言葉からは、才能溢れる人物特有の凡人を嘲るような驕りも虚飾も感じない。
ただ揺るぎない事実として、そこにある絶望的なまでの技術の差と、それを他者に教え導くための圧倒的な余裕があった。
魔力の流れが変えられているにも関わらず、介入を一切感じさせない完璧な自然さ。
それがどれほど高度な技術であるか、言われて初めて気付かされたという事実こそ、彼女の実力を示す何よりの証明だった。
「さて、発想は悪くない、といった意味の答えを教えよう。魔力を少し込めてくれるかい」
もはや抵抗なく、促されるままに手のひらに微かな魔力を込める。
直後、女性の手が静かに滑らかに動き、マキナの魔力は女性の魔力に優しく導かれるようにして、巨大な結界の内部へと流れ込んでいった。
「よしよし、これで良いだろう。じゃあ、魔力を感知してみてくれるかい?ボクがそれをさらに補強しておくからさ」
言われた通り、再び感覚を研ぎ澄ませて感知に集中させる。
「え……!?」
マキナの脳裏に広がるその変化はあまりにも劇的であり、先程までブラックボックスのように重く複雑怪奇だった結界が、今や手に取るように国を覆う全貌の隅々まではっきりと把握できていた。
それは拍子抜けするほど簡単で、あまりに鮮やかな魔法の奇跡だった。
「なん、で……」
「単純なことだよ。今回は魔力で覆うんじゃなく、魔力を流したんだ。流れ込んだ魔力は結界全体に浸透していく。その流れを感知すれば、結界の全体像が見えるってわけさ」
言葉の通り理屈自体は極めて単純明快だが、その実行には人間離れした相当な技量が必要だと、少しでも魔力を扱う者であれば痛いほどに分かる。
女性は軽くウインクをひとつ送ると、種明かしをするように再び口を開いた。
「まぁとは言っても口で言うほど簡単じゃない。膨大な魔力の渦に自分の魔力を滑り込ませるってのは……技術だけじゃなくセンスも求められる。少しでもズレたら、君がさっき感じたプレッシャーみたいに、気圧されて弾き返される」
その忠告の言葉の重みは、今こうして重ねられた手からひしひしと伝わってくる。
この繊細極まりない魔力のやり取りが、どれだけ緻密で洗練された神業か、実際に体感しているマキナには痛いほどに理解できた。
「さて、これで結界の全体は感知できたわけだけど……どうだった?怪しいところはあったかな?」
重ねられていた女性の手が静かに離れ、それに合わせてマキナも結界からゆっくりと手を引き、問われた言葉に対して重苦しい事実を噛み締めるように首を横に振る。
「いいえ、問題はありませんでした」
完璧な感知の結果を受けて、マキナは一切の迷いなく断言する。
しかしその絶望的な答えを聞いても女性は微塵も驚く様子を見せず、むしろ最初から知っていたかのように変わらぬ笑みを浮かべていた。
「そうかいそうかい。結界は無事だった……ってのは朗報、いや暁光だね。でも君にとっては……凶報かな?」
図星を突かれ、マキナは言葉を失う。
結界に問題はないということはつまり、あの凶悪な魔物が侵入した原因が物理的な結界の破壊以外にあるということを示している。
それは同時に、魔物の侵入経路と原因の特定がこれまで以上に困難を極めることを意味していた。
今まで各国の絶対的な結界が破られた例など歴史上存在せず、それ故に物理的な綻びが生じたのが原因だろうと安易に想定していた。
その前提となる思い込みを根本から打ち砕かれる形となり、マキナの思考が迷宮に迷い込んだように深く沈んでいく。
そんな行き詰まるマキナに、女性が静かに諭すように語りかけた。
「結果が成されれば、過程もまた成されている」
「え……?」
マキナはハッと顔を上げ、女性の双眸へと真っ直ぐに視線を向けた。
「どんな結果にも、必ず過程があるはずさ。結論だけを追っていては、大事なピースを見落とすことになる……これは、ボクの失敗から得た経験則なんだけどね」
言葉の響きは柔らかいがその奥には確かな重みがあり、軽く微笑む彼女の美しい表情には、どこか遠い過去を悔やむような仄暗い陰が差している。
「君は今、『結界に異常は無い』という事実を手に入れた。でもそれは『結論』じゃない。これから辿るべき、『過程』だ。君の目的は、異常の有無じゃなく、『どうやって侵入してきたか』を知ることだったはずだろ?」
「……あ」
女性の的確な指摘と鮮やかに整理されていく情報を得て、マキナの頭の中に立ち込めていた濃密なモヤが、一陣の風に吹かれたように晴れていく。
「さっきと一緒。発想は悪くない。ならば変えるべきはやり方さ」
その力強い言葉に、マキナの焦燥していた心は少しずつ確かな落ち着きを取り戻していく。
しかし───
「あ……でも私には、あまり時間が残されてなくて……」
「壁の調査のことかい?なら心配はいらないよ。すでに内部の調査も終わってるからね」
さらりと告げられたその言葉に、マキナは信じられないものを見るように目を見開き、思わず女性の顔を凝視する。
飄々とした笑みはそのままに、彼女はまるでマキナの置かれた状況の全てを先読みしていたかのようであった。
「これで国王が君に与えた三日間の猶予を、まるまる原因究明に使えるね」
「三日間の約束のことまで……貴方は、一体」
マキナの警戒心が再燃して女性に向ける視線が鋭くなるが、その刺すような視線を受けても尚、女性の笑みは不敵で、どこか妖艶ですらあった。
「ただの天才さ。世界を気ままに渡る、浮浪民のね」
その『世界を渡る』という言葉に、マキナの脳裏にかつて出会ったリベルたちの姿がふと過る。
しかし、彼らとは決定的に纏う雰囲気が異なり、目の前の女性からは、なぜか赤の他人とは思えない魂の底から湧き上がるような親近感があった。
「どうして……そんな方が、私の手助けを……?」
マキナの純粋な問いに、女性は両手を背に組み、どこか遠い日を懐かしむような瞳で答える。
「訳あって、ボクは君に借りがあってね。それを返すために、こうして手を貸してるのさ」
「借り……?でも私、貴方に会ったことは……」
出会った者の顔を忘れるような薄情な性分ではなく、ましてやここまで目を引く美貌と世界から浮き立つような特異な雰囲気の持ち主を忘れるはずもない。
「フッフッフッ……その話はまたの機会にしよう。今の君は、少しばかり余裕がなさそうだからね」
大きな謎を残す発言とは裏腹に、彼女の言葉は的確にマキナの切羽詰まった内面を捉え、見透かしていた。
「じゃ、じゃあ!!その魔法技術はどこで……!?」
「言っただろう?ボクは天才なんだよ」
普通ならはぐらかしにしか聞こえない返しだが、今のマキナにはそれを否定する言葉すら全く浮かばなかった。
この場で実際に誰も成し得ない神業をいとも容易く証明されてしまった。
彼女の底知れぬ実力、見通す思考、無駄のない行動のすべてが即断即決で的確、ただただ圧倒的だった。
「さて。ここでの目的も一段落したし、ボクはこれで失礼するよ」
女性が優雅に指を振ると、地面から眩い光が幾何学模様を描いて広がり、複雑な魔法陣が瞬く間に展開され、その光の中心に彼女は静かに立っていた。
「えっ…!?ちょ、まだ何も……!!」
「焦らない焦らない。遠くない未来で君とはまた必ず会うよ。この程度じゃまだ返し切れない大きな借りがあるんだからさ」
展開された魔法陣がゆっくりと上昇し、彼女のしなやかな身体を温かな光が包み込んでいき、光の輪をくぐった足元からふわりと重力を失ったようにその姿が消えていく。
「な、名前!!せめて名前を!!」
消えゆく彼女へのマキナの必死の叫びに、女性はハッとしたような顔をして小さく顎に手を当てて考え込んだ後、にやりと悪戯っぽく笑う。
「名前か、そうだね……」
そして、まるで今その場で気まぐれに思いついたかのように、仰々しい言葉を告げる。
「マエストロ。プロディジー・マエストロだ。気軽に『ディジー』とでも呼んでくれ」
上昇する魔法陣は彼女の上半身を包み込み、最後にその美しい顔にまで迫る。
「一旦さようならだマキナ。願わくば、次はその仮面を外した君と面と向かって話せると良いな」
最後に粋なウインクを残し、彼女、ディジーと名乗った女性は、光の柱の中へと完全に姿を消した。
その場に残されたのは静寂だけ。
先ほどまでの賑やかな喧騒が嘘のように、風すら止まったような空気の中で、マキナはぽつんと一人、広大な結界の前に立ち尽くしていた。
嵐が去った後のような妙な寂しさが胸の奥をかすめ、その得体の知れない名残を反芻しながら、彼女は兜の下で静かに、長く息を吐いた。
※後書きです
ども、琥珀です。
創作秘話なんですが……
実は前話から登場したディジーちゃん。確か公開中の15話執筆段階では、登場はおろかキャラクター像すら考えていませんでした。
ただこの後の展開を諸々考えていった結果、「あ、この設定面白いから、こっちのプロットに変えよう」という思い付きから生まれたんです
起承転結、序破急と、物語の流れは勿論決めているのですが、この展開にどうやって持っていくか、を詰める作業が私は甘いんですよね
それ故に、ストーリーを柔軟に変えられるメリットがあるんですが、比例して設定に矛盾が生じるデメリットも……
なるべく矛盾が生じないように努めていますが、「おかしくね?」と言う点がありましたらいつでもコメント下さい
頭を悩ませながら調整に入ります故……
本日もお読みいただきありがとうございました。
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