26.突然の邂逅
城壁の外へ降り立ったマキナは、即座に自らの両足へ脚力強化の魔法を編み込み、外周に沿って異常を調査するべく大地を蹴ろうと力を込めた。
その瞬間───
「ッ!?」
鋭利な激痛が脛を駆け抜け思わず膝が震え、額に滲んだ冷たい汗が一筋、頬を伝い落ちる。
「(まだ……細かい筋繊維までは治ってなかったんだ……)」
激痛の走った自らの足元を見下ろす瞳はどこか他人事のように冷めた色を帯びていた。
深く屈伸を繰り返し、更に脚力強化魔法を上書きしつつ、傷が治るのしばし待つ。
「(うん……もう大丈夫)」
程なくして痛みが引いたことを、数回の動作と無機質な思考で理性的に処理したマキナは、再び結界に目を向け直す。
「急がなきゃ……」
そのまま今度こそ軽やかに跳躍し、外壁の頂を越えぬよう高度を精密に調整しながら外周の確認を急ピッチで進めていく。
「(外壁に目立った損傷は見られない……やっぱり結界自体が破られた?でも、結界から感じる魔力の流れには異常がない。なら、一体……?)」
思考を巡らせながら一度動きを止めて音もなく着地し、半透明の結界の表面にそっと掌を添える。
ゆっくりと目を閉じて意識を集中させ、己の魔力を結界の外層へ全域へ広げるようにして、その全体像を感覚だけで捉えようと試みた。
「(仕組みまでは分からないけど……もし異変があるなら、魔力の流れに違和感が生じてるはず。それを辿れれば……)」
だが国一つを包む結界の規模はあまりに広大で、そもそも繊細な魔力操作に長けていないマキナの技術では、全容の把握など到底及ばぬ領域であった。
「(……ダメだ。半分どころか三分の一も分からない。あと五回くらいに分けないと……だったら、結界の周囲を走った方が早いかも)」
即座にそう判断し、結界から手を離して駆け出そうとしたその時だった。
「あまりこの手の作業は得意じゃないんだねぇ。でも発想は悪くないさ」
突如として真横の耳元に届いた声に、マキナは条件反射で律儀に応答してしまう。
「あ、ありがと……」
だが一拍遅れて、全く気配を感じなかったその声の異常性に気付いた。
「〜〜〜ッ!?」
マキナは弾かれたように全力で背後へと振り向くと、その警戒する視線の先には悠然と佇むひとりの女性の姿があった。
突如向けられた強い視線に驚いたのか、女性はぱちくりと大きな目を開き、きょとんとした表情を浮かべたあと、子供のようにいたずらっぽく笑ってみせた。
「わぁ、驚いた〜!!」
「こっちの台詞なんですけど!?」
心臓を跳ねさせながら思わず怒鳴るマキナに対し、女性はカラカラと鈴を転がすように愉快な笑い声をあげた。
全く見覚えのない、異質な雰囲気を纏う人物であった。
身長はおよそ160センチほどで、細身のシルエットの中にすらりと伸びた手足のしなやかさが際立っていた。
引き締まった身体に、衣服の上から女性らしい柔らかなシルエットが浮かび上がっており、決して派手すぎ無いバストラインが、彼女の魅力を静かに主張していた。
整った顔立ちにぱっちりと開いた意思の強い瞳が印象的で、その一瞥に思わず言葉を詰まらせてしまいそうな堂々たる美貌が備わっている。
艶やかなブロンドヘアーは、背中を水の流れのように滑り落ち、根元から真っ直ぐに伸びた髪は途中でふたつに分かれ、ゆるやかな弧を描いて背面から前方へと流れていた。
その結び目はいわゆるツインテールよりもずっと低い位置で控えめにまとめられており、無造作でありながら計算されたような、大人の落ち着きと少女の可憐さを両立した見事な髪型だった。
「なんだい、じっと見つめて?」
「え……あ、すいませ……」
「まぁボク可愛いから仕方ないね!!」
「自分で言っちゃうんだ……」
ハッハッハ!と朗らかに笑う彼女の姿はまるで真昼の太陽のように明るく、その一切飾らぬ振る舞いの底には何者にも揺るがない絶対的な自信が色濃く滲み出ていた。
「そ、それで貴方は……」
「君、この結界を魔力で覆って全体を把握しようとしたんだろう?」
「聞いてない……」
マキナの警戒を含んだ問いをあっさりと遮り、逆に女性の方が興味深げに身を乗り出して口を開く。
「は、はい……その方が結界の状態を早く把握できると思って……」
思わぬ追及にマキナはたじろぎながらも生真面目に答えると、それを聞いた女性はまるで教師のように深く頷いた。
「さっきも言ったけど、発想は悪くないんだよね。肉体労働やるよりも遥かに効率的で合理的だと思うよ」
「ど、どうも……?」
「でもやり方が良くない!!」
不意の誉め言葉に照れかけた瞬間、容赦のない明確な否定が刃のように飛び、マキナは思わずビクッと身を震わせて涙目になる。
「ハッハッハ!!まぁ気にしないで良いさ!!そもそも結界を弄ろうなんて普通は考えないからね!!君とボクが特殊なんだよ!!」
優しく慰められているようで、同時に技術の未熟さを胸に刺してくるちぐはぐな感覚に戸惑いながらも、マキナは気を取り直して再び問いかける。
「それで……じゃあ何が悪いんですか?」
「ふむ……」
女性は口元の笑みを絶やさず、ふわりとした重力のない動きで結界へと歩み寄り、戸惑うマキナを手招きする。
おずおずと近付くと、彼女はマキナの小さな手を取り、優しく結界の表面に触れさせた。
「結界を覆うとなると、様々な支障が生じるもんさ。先ず最初に問題になるのは、結界の広さにあるんだけど、これは今、体感したよね?」
理路整然とした言葉を受けてマキナは静かに頷く。
国全体を包み込む不可視の防壁の広大さを前にして、魔力を隅々まで行き渡らせることは不可能。
彼女の操作が不十分だったのではなく、魔力が遠くへ届くよりも遥かに早く、限界を迎えた魔力の膜が千切れて断絶してしまっていたことを理解する。
「まぁ、基本的にこれは出来ないと思った方が良い。莫大な魔力と、それを緻密に操れる技術があれば不可能ではないが……そんな存在、そうそういない。落ち込む必要はないよ」
先程までの悪戯っぽい態度とは打って変わった、柔らかくも底知れぬ理知的な微笑みと説得力に、マキナは少しだけ肩の力を抜いた。
「さて、もう一つの問題だが……これは結界魔法の複雑さからくるものだね」
そう言うと、女性はそっとマキナの小さな手に自分のしなやかな手を重ねた。
「目を瞑って、意識を集中させてごらん」
何をするのか理由も説明もない唐突な言葉であったが、不思議と彼女の透き通る声には魂を委ねたくなるような力があり、マキナは疑うことなく目を閉じて心の内側の静寂へと意識を沈めていく。
「先ずは触れている部分の結界にだけ意識を向けて。そのまま結界の魔力を感じ取るんだ」
その導くような言葉に従い、まるで分厚い薄布の向こう側で息づく巨大な何かに触れようとするかのように、見えない空間へと感覚の糸を伸ばしていく。
結界を流れる魔力の脈動を感じ取ると同時に、自らの魔力をそっと断つ。
──次の瞬間。
「ッ!?」
感電したように思わず跳ねて結界から手を引き剥がし、重ねられていた女性の温かい手の存在すら忘れて、全身が硬直するほどの強い緊張と恐怖に包まれていた。
呼吸が浅く乱れ、胸の奥では心臓が肋骨を叩き割る勢いで喚くように打ち鳴らされていた。
まるで本能が鳴らす警鐘のように激しい脈動が、身体の感覚を支配していた。
「どうだった?」
乱暴に腕を振り払われたはずなのに女性の表情は一切揺らがず、全てを見透かしたような微笑みを浮かべたまま静かに問いかける。
息を呑むマキナは荒れる呼吸を必死に整えてぽつりと答えた。
「生き物……いえ、まるで自然の奔流……その中に片手を突っ込んだような衝撃でした」
「良いセンスだ♪」
冷や汗を浮かべて戦慄するマキナを前に、女性は心底満足げにパチンとウインクした。
「この結界はね、魔族との争いが始まってから取り掛かった結界技術でね、何百年にも渡り紡がれた魔力と技術の結晶なんだ。数え切れない先人たちが誇りと知恵を捧げ、魂を込めて織り上げた魔法の極みさ」
女性は今度は自らの意志で結界にすっと手を触れ、既にこの世にいないはずの術者たちがそこに息づいているかのように、指先に歴史の重みを感じ取って静かに目を細めた。
「巨大樹の根が地の底深くまで伸びているように、この結界も国の隅々まで張り巡らされている。この国の歴史そのものと呼ぶに相応しい存在だよ。その魔力を一瞬でも感じ取ったなら、驚いて当然さ」
未練なく結界から手を離すと、女性は再びマキナの方へと真っ直ぐに向き直った。
「さて、ボクの言いたかったことは伝わった?」
「……結界は、外枠こそ一つの魔法として収まってはいるけど、中身は無数の魔法で敷き詰められてる?」
「及第点、ってところかな」
白く細い指を顎に添えながら、女性は我が子の成長を見るように嬉しそうに頷いた。
「君の言う通り。この結界は極めて複雑な構造で成り立ってる。だからこそ、内側からも外側からも魔力が不規則に交差していて、魔力の膜一つ張るのも安定させるのは困難なんだ」
マキナは思わず眼前の見えない結界へと畏怖の視線を向ける。
一見しただけでは不安定さなど微塵も感じられないが、実際に触れ歴史の魔力を感じたことで、初めて内部がいかに濃密で多層的で恐ろしい仕組みになっているかを理解させられた。
「じゃあやっぱり、私のやり方じゃ意味は無かった、ってことですよね?」
「だから違うって。言ったでしょ?発想は悪くないって」
明確に否定されたようで完全な否定ではない。
そんな禅問答のような曖昧な言葉にマキナは少し混乱して首をかしげ、女性はそれを見てクスリと笑いながら再びマキナを手招きした。
「じゃあ正解を教えようか。もう一回結界に触れてもらえるかな?」
「え……でも」
結界自体にこちらを害する敵意は感じないが、身に受けた奔流の圧力を思い出すと、再び無防備に手を伸ばすことに躊躇いが生まれる。
異常を調べるためだと頭では理解していても、敬意と本能的な畏怖は常に紙一重だった。
しかし目の前の女性は、再び明るく明瞭な声でこう続けた。
「大丈夫。今度はボクも手伝うからさ」
※本日の後書きはお休みさせていただきます
本日もお読みいただきありがとうございました。
次回の更新は月曜日の朝7時頃を予定しておりますので宜しくお願いします。




