1話『新たな英雄』
臓腑を揺らすような咆哮が、荒れ果てた戦場に幾重にも木霊する。
人類の領土を蹂躙せんと進軍する魔族の群れと、その進撃を死守せんとする人類の軍勢が、種の存亡を懸けた凄惨な殺し合いを繰り広げている。
その混迷を極める戦場の一角で、重厚な兜と鈍色の鎧に身を包んだ一人の兵が、魔族の男と激しい攻防を演じていた。
「【風の刃〈ウィンド・カッター〉】!!」
熾烈な肉弾戦の末、魔族の男が一瞬の隙を突いて掌を翳すと、緑の魔法陣が空中に鋭く展開され、不可視の刃と化した烈風が、銀の兜を戴く人物へと容赦なく襲いかかる。
「ぐっ……!!」
鈍色の鎧が刃の一部を弾いたものの、防護の薄い皮膚が深く裂け、鮮烈な血飛沫が舞り、鎧の継ぎ目からは赤黒い生血が滲み出し、焦土へと重く滴る。
「貰った!!」
魔族の男が確信に満ちた勝機を見逃さず、地を力強く蹴って一気に間合いを詰めた。
「今度こそ終わりだ!!この『悪魔』め!!」
憎悪に満ちた怒声と共に、魔力を収束させた拳を天高く振りかぶった刹那───
「……やぁ!!」
兜の人物は最小限の動きで身体を捻って致命の追撃を回避し、次の瞬間、矢の如く鋭く突き出された拳が、魔族の腹部を深々と貫いた。
「バ、バカな……!?なぜ……あの傷で動ける……っ」
信じられぬといった戦慄の表情を浮かべたまま、魔族の男はその場に力なく崩れ落ち、その巨躯は霧散する黒い瘴気へと変じ、戦場の風に溶けるようにして消え去っていく。
魔族は魔力を糧にその肉体を構成しているため、命の循環が絶たれれば形を保てなくなり、それが彼らにとっての絶対的な『死』であった。
「……はぁ」
拳を下ろし、全身の強張りを解いた瞬間、僅かに震える溜め息が漏れる。
兜の人物はゆっくりと立ち上がり、損壊した鎧の隙間から覗く生々しい傷口を確認するも、溢れていた出血は既に凝固し、裂けた皮膚も肉を盛り上げながら急速に塞がり始めていた。
痛み自体は残っているはずだが、直ぐに体勢を立て直し、次なる獲物を求めて再び戦場へと駆け出す。
●●●
「今ので最後ですか?」
兜の人物は、粒子となって消えゆく魔族の残滓から目を離さぬまま、傍らに控える兵士へと声をかけた。
「はっ!!他の部隊からも、魔族の魔力反応は全て消失したとの報告が入っております!!」
「そうですか……ではすぐに撤退の準備を。一時間ほど身体を休めたら、次の戦場へ向かいます」
「了解しました!!」
兵士が指示を伝達すべく離れたのを見届けると、兜の人物はまた深く重苦しい息を吐いた。
周囲は火の粉が舞い散る焦土と化し、足元には誰かがそこにいた証が赤く染まった大地に無惨に散らばっている。
「この戦いで……一体どれほどの人たちが、命を落としたんだろう……」
ゆっくりと瓦礫の上に膝をつき、沈痛な面持ちで頭を垂れながら、今は亡き者たちへの哀悼の意を祈りとして静かに捧げる。
「戦いの終わりが見えない……でも、それでも……戦いの手を止めるわけにはいかない。私は、人類の未来を託された英雄なんだから……」
その声に英雄としての威光はなく、ただ悲痛な義務感だけが滲んでいる。
それでも、兜の人物は再び大地を踏みしめて立ち上がり、血と灰にまみれた戦場を背にし、新たな死地へと歩み出した。
●●●
百年ほど前、天界と魔界、そして人間界を隔てていた不可侵の境界が突如として崩壊した。
これを好機と捉えた魔族の大規模な侵攻により、人類は圧倒的な魔力の前に滅亡の危機に瀕する。
しかし、窮地に天界より突如顕現した天使達が魔法と叡智を授けたことで、戦況は熾烈な拮抗状態へと持ち込まれた。
終わりの見えない血を洗う戦争――その膠着を根底から覆したのは、人類の間に産み落とされた一人の少年。
当時十歳に満たぬ少年は、瞬く間に魔族の軍勢を殲滅し、たった一人で戦争の天秤を傾けた。
凄絶な武威は魔族から『悪魔』と恐れられ、人類からは『英雄』として至高の賛辞を贈られた。
だが、人類最強の個体がもたらした希望は、唐突に終わりを告げる。
幾多の窮地を救ってきた英雄が、あろうことか人類最大の禁忌『天使殺し』に手を染め、姿を消したのだ。
多くの者が身の潔白を信じ、帰還を願い続けたが、どれほどの月日が流れても彼が再び姿を現すことはなかった。
英雄という抑止力を失った人類は、魔族との戦争が再び激化する恐怖に怯え、やがて冷たい絶望へと沈んでいく。
そんな暗闇に沈む世界へ、新たな希望の産声が届いたのは、かつての英雄が消えてから更に数年が経過した日のことであった。
人類に、新たな英雄が現れると。
●●●
魔族との第二次戦争が勃発してから、十五年の歳月が流れた。
人類の必死の反撃も実を結び、地上は各地で徐々に復興の兆しを見せ始め、現在では主要な都市に国が再建され、自らの領土を護るようにして堅牢な城壁を聳え立たせている。
しかし、国々の復興は同時に目を背けられぬ深刻な格差を人々の間にもたらした。
国の壁の内側で暮らす特権的な人々は、領土を護る結界によってある程度の平和と安全が保証された生活を享受している。だが、その安息の領土には当然ながら限りがあった。
選別から冷酷に外された者たちは路頭に迷い、飢えた魔物や魔族の襲撃に怯える過酷な日々を余儀なくされている。
一部の者は身を寄せ合って小さな村落を築くなどの知恵を絞ったが、自衛の手段を持たない彼らでは限界があり、多くの集落は魔族の手によって無惨な壊滅へと追い込まれていった。
第一次侵攻の際に見られた人類の一致団結した姿は、国の再建と自衛によってもたらされた平穏の中で、すっかりとその影を潜めてしまった。
いまや各国は、自国の防衛と利益を最優先とする閉鎖的な姿勢を強めており、それはここ、『エルゼルク王国』も、その冷然とした例外ではなかった。
「マキナ様が帰還されたぞ!!」
「英雄の凱旋だぁ!!」
王国の巨大な鉄門が重低音を響かせて開城されると、熱狂に浮かされた群衆から大地を揺らすほどの歓声が沸き上がった。
『英雄』と呼ばれる兜の人物───マキナは、沈黙を保ったまま手を振り、狂奔する歓声に静かに応えるが、彼らから発せられる歓声は、どこか狂気さえ孕んだ異常なまでの喜びであった。
マキナがこれほどまでに盲信される理由は、自衛に徹する各国に代わって前線に立ち、魔族を屠るその鬼神の如き戦果だけではない。
マキナが表舞台に姿を現す直前、世界中の空に響き渡った厳かな声───百年の沈黙を破って降り注いだ、天使からの天啓である。
『人間よ、新たなる英雄の誕生です。彼の者は必ずや魔族を滅ぼし、貴方たちの世界に平穏をもたらすでしょう』
かつての英雄の裏切りによって絶望の淵に立たされていた人々にとって、天使の保証のもとに顕現し、その言葉通りに活躍を続けるマキナは絶対的な心の拠り所であった。
だからこそ、群衆はマキナに対して割れんばかりの歓声を上げる。
この新たな英雄だけは、今度こそ自分たちを裏切らぬようにと、祈りを込めて。
●●●
「マキナよ。実に見事な働きであったぞ」
王城の最深部、静謐な空気が支配する玉座の間。
その中央で静かに膝をついたマキナは、『エルゼルク王国』の統治者であるロス国王に対し、深々と頭を垂れていた。
「国王様にその様なお言葉をいただき、身に余る光栄です」
「畏まるな。私は国王だが、民の支持は『英雄』である其方に軍配が上がる。其方は名実ともに世界の希望なのだからな」
謙遜を交えた台詞ながら、ロスの声音には隠しきれない傲慢な響きが混じっていた。
現に彼は、決してマキナに顔を上げるよう促そうとはしない。
言葉では敬意を表しながらも、その内心では王としての絶対的な威厳を誇示していた。
「さて、帰還早々で悪いが、西の隣国より魔族の目撃情報が入っておる。準備が整い次第、其方には直ちに新たな戦地へ赴いてもらおう」
「……はっ。しかしロス国王。ここ数ヶ月は絶え間なく戦が続いており、兵らの表情にも色濃い疲労が滲んでおります。ほんの僅かでも、休息の猶予を……」
思わず顔を上げて進言したマキナだったが、その瞬間、射抜くような冷ややかな視線が向けられていることに気づき、慌てて再び頭を垂れた。
「……失礼、致しました」
「兵の疲労か。確かに、それでは勝てる戦も取りこぼす事態になりかねん……」
意見が聞き入れられたかと思い、再び顔を上げかけたマキナだったが───
「ならば兵はすべて新しいものと入れ替えよう。そうすれば、其方は再び心置きなく敵を殲滅しに出陣できよう?」
静かに、しかし有無を言わせぬ響きで返された王の言葉に、マキナの表情が兜の内側で凍りついた。
確かに兵を入れ替えれば戦力は維持されるだろう。自分と共に戦うことを誇りとする志願者は絶えない。
だが───
「(……それじゃあ、私は……?)」
誰の目にも留まっていなかったが、マキナの装備は既に限界を迎えつつある。
鎧は薄汚れ、あちこちに剥がれた塗装と無数の打撃痕が走り、兜の表面には微細な亀裂すら生じている。
その身に蓄積された疲労もまた、発せられる声の節々に滲み出ており、いくら英雄として気丈に振る舞っていても、隠し通せるものではなかった。
本当は兵を口実にしたのは建前で、マキナ自身が、ただ一時の安らぎを得たかったが、それでも英雄という神格化された立場が弱音を吐くことを許さない。
「(前の英雄だって戦い続けたんだ……私にだって、やれるはず!!)」
兜の内で奥歯を砕けんばかりに強く噛み締め、目元に宿る光が、次第に深い苦悩と過剰な使命感に揺らいでいく。
その時であった。
「お待ちください、国王様」
冷徹な静寂を切り裂くように、鈴を転がしたような透き通る声が広大な玉座の間へと響き渡る。
マキナが驚いて顔を向けると、そこにはフェイスベールでその貌を隠した女性が静かに佇んでいた。
素顔の多くを覆いながらも、その溢れ出る気品と美貌は一目で判別できる。
抜群のプロポーションに加え、どこか人ならざる妖艶な威圧感───場の空気すら一瞬で支配する、底知れぬ雰囲気を放っていた。
「おぉ、アークルか」
言葉を遮られたにも関わらず、ロス国王はその女性───アークルの名を呼び、咎めるどころか満足げに頷く。
女性は音もなく玉座のそばへと進み、王の隣へと傲然に並び立った。
「王のお言葉を遮ってしまい、申し訳ございません」
「いや、構わぬ。宰相たる君の進言であれば、いつでも耳を傾けよう」
アークル=エンジェ。ロス国王の側近にして、実質的に国政の舵を握る美貌の宰相である。
「では、僭越ながら申し上げます……彼の者はこの数ヶ月、使命のままに魔族と戦い続けております。兵たちは交代によって休息を得ておりますが、肝心のマキナ本人の疲弊は、もはや見過ごすべき段階ではないかと」
「む……それは一理ある。だが、奴が戦場に出ねば……」
ロス国王は渋い表情を浮かべるが、アークルはベール越しに薄らとした微笑を湛えた。
「マキナが一時戦線を退くことが、直ちに敗北を意味するわけではありません……彼の者も生身の人間。無理をさせ過ぎれば、また英雄を失うことになりかねませんよ?それこそ、国にとって本末転倒ではございませんか、国王様」
その言葉に含まれた重みに、ロス国王の表情が一瞬にしてこわばる。彼はすぐに咳払いを一つして、自身の体裁を整えた。
「……確かに、アークルの言う通りだ。ではマキナよ、其方には三日の休養を許す。しかる後、一匹残らず魔族を討伐せよ。よいな」
「……国王のお心配り、痛み入ります。頂いた三日、しっかりと英気を養い、必ずや再び輝かしい戦果を挙げてご覧にいれます」
国王はアークルへ確認するように視線を投げ、彼女は満足げに静かに頷いた。
「では、下がれ」
命を受け、マキナはゆっくりと立ち上がる。そしてもう一度、深々と一礼したのち、静まり返った玉座の間を後にした。
その去り際───
兜越しに、マキナはアークルの方へ無意識に視線を送ると、不思議なことに、アークルはその視線に最初から気付いていたかのように、そっと手を振っていた。
ご無沙汰しております
初めての方は初めまして
琥珀と申します
長い闘病生活を経て復活致しました
更新は前作と同じく、基本は月、水、金の週3ペースで行おうと思いますが、4月の最初だけは3日連続で更新致します
1話辺りの文字数は3000字強を意識していますが、序盤は世界観展開のため多めになっております……
続けられる限り連載を続けて行きたいと思いますので、またどうぞ宜しくお願い致します。
お読みいただきありがとうございました。
次回の更新は明日、木曜日の7時ごろを予定しておりますので、宜しくお願い致します




