果てなき世界への旅路
視界のすべてを徹底して塗り潰す、果てなき純白の空間。
その無垢な世界の中央には、あたかも世界の理から切り離されたかのように、明らかに異質な漆黒の空間が鎮座している。
あらゆる干渉を拒絶し、光すらも底知れぬ深淵へと吸い込むその黒は、周囲の白を寄せ付けぬ絶対的な虚無の領域であった。
そんな色彩を失った境界線に、一人の女性が佇んでいる。
それは、この世の造形物とは思えぬ美しさを纏った女性であった。
年齢は二十代の前半ほどに見えるが、その立ち振る舞いには揺るぎない威厳と、俗世の喧騒から隔絶された崇高な気品が宿っている。
流れる星の尾を思わせる銀髪は、無彩色の世界で淡い燐光を放ち、見る者の魂を奪うほどの煌めきを湛えていた。
瞳は濃く澄んだ紫。真っ直ぐに何かを見つめているようでいて、その視線は遥か彼方の深淵を見据えているかのように、静かに凪いでいる。
そんな彼女の頭上では、光を拒むはずの漆黒の空間にありながら、尚も強く瞬く無数の光の粒子が、命の鼓動のように明滅していた。
彼女の紫の双眸は、その一つひとつの光に刻まれた膨大な物語を、静かに読み解くように見つめている。
「……見つけた。けど、この……世界は」
凍てついた静寂を破ったのは、聞く者を永遠の微睡みへ誘うような、涼やかで透明な呟きであった。
しかしその言葉を零した直後、彼女の華奢な身体が限界を迎えたようにふらふらと揺らぎ、ゆっくりと倒れ込む。
その瞬間、それまで気配すら存在しなかった別の人影が彼女の傍らに音もなく現れ、その身体を抱きしめるようにして優しく支えた。
「……また長時間、見てたのかい?」
現れたのは、一人の青年。
全身を闇に溶けるような黒基調の装束に包んでいるためその全容を捉えることは難しいが、その声色には倒れ込んだ女性を心から案じる深い慈愛が滲んでいた。
「……今の私には、これくらいしか出来ることがないから」
女性もまた、その青年に全幅の信頼を寄せているのだろう。
その表情には色濃い疲弊が刻まれているものの、見上げた瞳には柔らかな安堵の光が混じっていた。
青年は彼女を大切に抱きかかえ、いつの間にか出現していた、この虚無の空間には不釣り合いなほど優雅なティーテーブルへと向かう。
そして、彼女の身体を壊れ物を扱うように、静かに、ゆっくりと椅子へと座らせた。
女性は椅子に深く腰掛けると、一度大きな吐息を漏らした後、白皙の指先を軽く宙に振るう。
すると、卓上のティーポットが意思を持ったかのように独りでに動き出し、彼女の前に置かれたカップへと芳醇な香りを伴った琥珀色の液体を注ぎ込んでいった。
女性がそれをそっと口に運び、一口、その温もりを啜ると、ようやくその面持ちに平穏が戻っていった。
「それで、次はどんな世界を見たんだい?」
青年は女性の隣の椅子に腰を下ろし、頬杖を突きながら、ニヤけつつも飄々とした表情で問いかけた。
女性は再び、漆黒の虚空に散在する無数の光の粒子を見上げながら、静かに答える。
「世界そのものは、別に……特筆すべきことは何もない、平凡な世界よ。ベースは魔法のようね」
数多の世界を観測してきた彼女からすれば、その文明の在り方そのものは関心を引くには至らない、取るに足らない代物であったのだろう。
眼前の光の中に広がる情景には、もはや興味を失ったかのように淡々としていた。
「けれど、あの特有の濁りのようなものは確かに視えた。理の外側へとはみ出した『特異点』が生まれていることは間違いないわ」
それでも、己の眼が捉えた違和感は決して見逃さない。女性は確信を込めてそう告げた。
彼女が静かに見つめていた光。それは、無限に広がる多世界の概念。
世界は可能性の数だけ枝分かれし、実存する。
科学が極致まで発展した世界があれば、魔法という神秘が万物を司る世界、あるいはおとぎ話の住人たちが繁栄を極める世界もある。
そのいずれもが、それぞれの世界が持つ「理」という完璧な円環の上で淀みなく廻っているはずであった。
しかし、その完璧であるはずの円環の理に、突如として致命的な『特異点』が生じ始めた。
科学のみが支配するはずの世界に魔法が、魔法の理が満ちた世界に異質な科学が、はたまた人智を超越した超常的な生命の誕生が――。
数多の世界に生じた『特異点』は、徐々に理を歪め、崩壊させ、世界の存在そのものを蝕んでいく。
そして彼女だけが、その『特異点』を、正確に見通すことが出来るのだ。
「なるほどね。まぁ、行けばそのうち突き止められるでしょ。取り敢えず誰か連れて調べてみるよ」
青年も、初めから細かな情報が得られるとは思っていなかったのだろう。
女性の言葉を深く追求することなく、慣れた動作でゆっくりと席を立った。
「待って!!」
立ち上がった青年の背を、女性はそれまでの静寂を裏切るような、焦燥を孕んだ声で呼び止める。
「いま視た世界そのものは、取るに足らないことではあるの。でも、そうじゃなくて……次の世界は、貴方にとって……」
それまで感情を排して話していた女性が、この時初めて、何とも形容しがたい複雑な心境をその声に吐露した。
それ以上の言葉を紡がない女性を、青年はしばし動きを止めて見つめた後、頭上で輝く無数の光の海に目を向けた。
女性と違い、この青年に多世界を見通す力はない。
「なるほどね……」
しかし、彼女が言葉を濁し、己を案ずるその理由を、彼は敏感に察した。
その表情に一瞬だけ、拭い去れぬ過去の陰が宿る。
それでも、顔を上げた時には、既にそれまでと同様の、掴みどころのない飄々とした微笑に戻っていた。
「まぁ大丈夫だよ。もう俺は、あの時とは違うから」
青年は小さく穏やかな笑みを浮かべて背を向けると、迷いのない足取りで歩みを進めた。
「じゃあ、行ってくるよ」
蝕まれた世界をあるべき形に正す方法は、ただ一つ。
不純物である『特異点』を『リヴァイス』し、崩れゆく理を『リヴァイバル』させること。
彼らはその歪んだ連鎖を断ち切るために、果てなき世界を巡る旅路を続けていた。
※後書きです
ども、琥珀です。
序章からお読みいただきました皆様、初めましてorお久しぶりです
リヴァリヴァを投稿初期からお読み下さっている皆様ご機嫌よう
何で序章なのにこのような挨拶をしているのかと申しますと、この『序章』、第8話の後に投稿しております(8話の後書きにも書いてあります)
1章の『The Maiden's Requiem』の1話からの始まりでは、世界観や物語が唐突過ぎて、入り込めないのでは?と途中で思い至り、急遽作成致しました
なので1話からお読み頂いた皆様には、もしかしたら以前よりスムーズになった、と思っていただけるかも知れません(希望的観測)
『序章』から読んでいただけた皆様、どうぞこのまま1話へお進み下さい(←)
これで少しでも多くの皆様に読んでいただけるようになることを願うばかりに御座います……
本日もお読みいただきありがとうございました。
次回の更新は明日の朝7時頃を予定しておりますので宜しくお願いします。
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