114.準備運動②
数時間後、ドロミット岩峰周辺の荒野には夥しい数の魔族が倒れ伏していた。
苦しそうに呻くだけで全員息はしており、その中心地には、息一つ乱すことなく平然と佇むフェッランテが立っている。
その圧倒的で強靭な肉体に傷らしい傷は一つもなく、激しい戦闘の余波で舞い上がった土埃を被って、僅かに汚れていた程度であった。
「ん〜〜〜っ!!ちょっとはスッキリしたかな!!お前らもひとしきり暴れてスッキリしただろ!!」
その場でグィ〜!と心地よさそうに大きく伸びをし、フェッランテは周囲の大地に倒れ込む魔族達に向かってあっけらかんと笑って声をかけた。
何千人もの人間を容易く蹂躙できるだけの凶悪な戦力が束になってかかったというのに、土埃一つ払うだけで平然と立ち尽くす女の肌には、掠り傷一つついていない。
自らの血と泥に塗れて這いつくばる、フェッランテに挑んだ三百余りの魔族たちは、見上げるほどに高い絶対的な『壁』を前に、ただ絶望的な彼我の差を思い知らされる。
「(こ……こんな……同じ魔族だぞ?何故ここまでの差が出る……!!)」
その内の一体、丁度フェッランテの背後で倒れ込んでいた魔族が、全身を苛む痛みに身体を震わせながら、彼女を睨むようにして憎悪の視線を向けていた。
「(こんな……遊び半分に弄ばれて、しかも傷一つつけられない!?こんなことがあって……たまるか!!)」
手元にギリギリまで溜め込まれていた魔力が更に高まり、その鋭い手先がフェッランテに向けられた、次の瞬間───キィ……ン。
フェッランテの背後から攻撃を仕掛けようとしていた魔族の全身が、一瞬にして氷漬けにされていた。
「やり過ぎ」
フェッランテの燃え盛るような圧のある声色とは違う、芯から凍りつくような冷たさを帯びた声が、戦場一帯に行き渡る。
一拍遅れて、その場に伏せている全員がガタガタと身を震わせるほどの冷気が周囲に漂い始め、どこからともなくヴィンセリスが音もなく姿を現した。
「ひょ、『氷晶の執政官』、ヴィンセリス……」
どこからか畏怖と共に囁かれた言葉にヴィンセリスが冷たい目を向けると、声を発したと思われる魔族がビクッと身体を震わせた。
しかしヴィンセリス本人は特に行動に移すことなく、ゆっくりとフェッランテの方へと歩き始めた。
「なんだよヴィンセリス。お前も来てたのか」
「うん、楽しそうだったから。まぁあんまりだったけどね」
何気なくつまらなそうに溢されたその一言に、再び周囲の魔族達の表情が屈辱に歪む。
「よせよヴィンセリス。実力差があったのは全員分かってた筈だろ。その上でコイツらは私に死ぬ気で挑んできた。その気概を讃えてやるべきだ」
しかしその後に紡がれたフェッランテの真っ直ぐな言葉が、魔族達の顔から黒い怒気を払っていった。
「そんでもってコイツもだヴィンセリス」
完全に氷漬けにされた魔族をコンコン、と軽く叩きながらフェッランテは嬉しそうに続ける。
「実力差に打ちひしがれながらも、せめてもの一撃を喰らわせようと再び立ち上がった。最高じゃねぇか。勝負の世界ではその死に物狂いの気概が勝負を分けることもある」
その場で巨大な握り拳を作ると、必要最小限の的確な力で氷を叩きつけ、ビシビシ!と蜘蛛の巣状にヒビが入っていく。
やがて氷がパリンと割れ、中にいた魔族が倒れるようにして現れた。
「ゲホッ!ゲホッ!」
「よぉ、大丈夫か?」
魔族は急激な凍結で青ざめた身体をガタガタと震わせながら、自身の前で座り込んで笑いかけるフェッランテを呆然と見上げる。
「悪ぃな邪魔しちまってよ。結果として攻撃は届かなかったが、良い感情だった。その調子で本番も頼むわ」
そう優しく告げると、フェッランテは魔族の太い腕を抱えて強引に起き上がらせ、ポンと肩を叩いて離れていった。
そして魔族たちの中心地辺りまで移動すると、フェッランテは深く大きく息を吸い込んで、全員の魂に響かせるように声を張り上げて語りかけた。
「よぉお前ら!!ストレスは発散出来たかよ!!」
ビリビリと大気が震えるほどの凄まじい声量。
しかし彼らが最初に感じた理不尽な暴力の圧はそこにはない。
圧倒的な力でねじ伏せられながらも、自らの戦意を真っ向から受け止め、称賛してくれた絶対的な強者に対し、魔族たちの瞳には恐怖ではなく純粋な畏敬の念が宿り始めていた。
「じゃあもう大丈夫だよな!!」
フェッランテと血を流して一戦を交えた者。
ただ外野で見物していただけの者。
どちらも問わずにフェッランテの言葉を静かに聞き入れる。
「安心しろ!!人間どもとの戦いはもう直ぐだ!!お前らがその鬱憤と真価を爆発させる舞台は、もうすぐ訪れる!!」
一部の意気消沈していた魔族達の目に、再び野心の炎がメラメラと灯っていく。
「お前らの力はこのフェッランテがしっかりと見せて貰った!!あとはこれを人間どもに容赦なくぶつけてやるだけだ!!」
熱を帯びた声が強い鼓舞となって、倒れ伏す魔族達の心に伝播していく。
「やってやろうぜぇ!!今回の戦闘に勝てば、人間界の侵攻は一気に進む!!世界の全てを、我ら魔族の手に!!」
「「「我ら魔族の手にぃ!!!!」」」
その熱き言葉がその場にいた魔族全員に広がり、そして雷鳴のような雄叫びとなって繰り返される。
フェッランテの放つ凄まじい熱量に呑み込まれた荒野は、ただ一人の強者に心酔する魔族たちの狂熱の坩堝と化し、大地を震わすほどの雄叫びが鳴り響いていた。
●●●
「よぉ!!終わったぞ!!」
「ただいま〜」
出撃前の退屈を紛らわす暴力を存分に満喫したのだろう、まるで心地よい汗を流した後のようなスッキリとした顔つきで、フェッランテが洞窟へと戻ってくる。
その後ろでは、上機嫌に鼻歌でも歌い出しそうな様子でヴィンセリスが静かに付いてきていた。
「……その様子だと、上手く鎮圧出来たようだな」
フォルゴールがフェッランテに尋ねると、彼女は首を横に振って否定した。
「いやいや、鎮圧なんかしてねぇよ。毒抜きと言うか、ちょっとばかしストレス発散してきただけだ。お互いにな」
そう言いながら、フェッランテは非常に清々しい笑みを浮かべた。
「フェッランテ、凄かったよ」
いつの間にやらフォルゴールの隣に来ていたヴィンセリスが、普段の淡々とした口調を僅かに上擦らせて報告する。
「同胞達を煽りまくって戦い始めたかと思えば、千切っては投げ千切っては投げ……」
「それは私達基準で見ても、全く大丈夫とは言えない話だと思いますが……」
そのひどく物騒な内容に堪らずマリアルザがツッコミを入れるも、ヴィンセリスは構わず淡々と続ける。
「全員をのしたあと、全員を鼓舞して見事にまとめ上げた。これで、集まった魔族達の士気は問題なくなったよ」
「……そうか、それは僥倖だな。お前にこんな器用な特技があったとはな、フェッランテ」
フォルゴールにそう言われたフェッランテは、僅かに真面目な表情となって静かに口を開いた。
「アタシじゃねぇよ。これは『イニャス』が得意だったことだ」
フェッランテの口から出たその名前に、『クイントスクーロ』の面々の表情が固まる。
「まぁ……あの方は不遜ながら、荒くれ者をまとめ上げるのがひどく得意でしたからね。一人が好きだと言いながら……」
「イニャス……負けちゃったんだよね、『英雄』に」
「……倒す手立てなどいくらでもあっただろうに、また真っ向から挑んだんだろう。奴の欠点だったからな」
そう静かに話すフォルゴールだが、その重い口調からは彼を貶すような意図は全く感じなかった。
「アタシはアイツを真似たに過ぎねぇし、実際にやってみてスゲェ難しかったよ。一番若輩だったとは言え、やっぱスゲェ奴だったな」
『クイントスクーロ』の間に、同胞を偲ぶような僅かな沈黙が続く。
「だからこそ、アタシらは人間共を叩き潰さなきゃいけねぇ。舐めてかかれる相手じゃねぇのは、十分体感したからな」
その沈黙をフェッランテが破ると、グッと大きく伸びをして、再び岩の柱にどっかりと腰掛けた。
「やるんだろフォルゴール。やれるんだろ、フォルゴール」
発散したはずの熱が再び腹の奥底で燻り始めたのか、フェッランテは血に飢えたようなギラついた目で尋ねる。
「無論だ」
そしてそれに即答するフォルゴールもまた、戦場を見据える鋭い瞳で力強く頷いた。
※後書きです
フェ「ところでこの洞窟のなかジメッとしてねぇか?」
フォ「……止めろと言ったはずだぞマリアルザ」
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