9.赤髪のメイド②
その一喝は、爆音となって群衆を沈黙させた。
圧倒的な声量に加え、射貫かれた者が息を止めるほどに鋭利な視線が突き刺さる。
怒気を孕んだ女の一声が、淀んだ場の空気そのものを切り裂いていた。
「助ける理由? 必要性? 知ったこっちゃねぇよ!! 人を助けるのにいちいち動機がねぇと動けねぇのか、テメェらは!!」
荒々しい声が風を裂き、堰を切ったように感情の奔流が迸る。
「まだ自分じゃ何もできねぇガキが、家族を守ろうと体を張ってんだぞ!! 涙を流して縋ってんだぞ!! なにが犯罪者だ!! 無防備な子供を寄ってたかって甚振ってるテメェらの方が、よっぽど罪深ぇよ!!」
その怒号は、魂の深淵を揺さぶるような、抗いがたい響きを帯びていた。
マキナは、自身の胸を打つ鼓動が激しく早まるのを自覚していた。
「それから、そこのテメェ!!」
女の鋭い指先が少年を蹂躙していた男を正確に指し示し、男は脊髄を氷でなぞられたように肩を震わせ、大粒の汗を額に浮かべて硬直した。
「コイツをこのまま痛めつけ続けてたら、どうなってたか解ってんだろうな!? 命の重さを、その足りねぇ頭で少しは理解してんのかよ!!」
「い、いやその……お、俺は……そこまで、するつもりじゃ……」
「そこまでするつもりじゃなかった? そんなつもりじゃなかった? はっ!! 追い詰められた野郎が吐く、使い古された常套句だな!!」
言い訳を挟む隙すら与えず、女は静かに一歩踏み込む。
その足取りには洗練された殺意が宿り、紅蓮の瞳には一切の情を排した凍てつくような冷光が灯っていた。
「言葉で言って分かんねぇほど脳味噌が腐ってんならよ――」
死を宣告するように、男の耳元で低く、冷酷に囁いた。
「……テメェにも、同じ痛みを味わわせてやろうか?」
その一言で男の膝は支えを失ったように崩れ落ちた。
無様に地に伏しわななく男を見下ろして、女は退屈そうに鼻で笑う。
そして再び、捕食者の視線を群衆全体へと向けた。
「まだ、アタシのやり方に文句のある奴はいるか?」
女の低く鋭い声が、空気を切り裂く。
反論を許さぬその絶対的な眼光に射すくめられ、広場には誰一人として言葉を返す者はおらず、時が凍りついたような沈黙が広がっていた。
「よし、じゃあ行くぞ」
女が少年の体を抱え上げ、歩き出そうとした、そのときだった。
「う、うん……痛ッ!!」
少女が苦痛に顔をしかめて足を庇い、立ち止まってしまう。
声の震えには怪我の痛みだけでなく、理解を超えた女への恐れも滲んでいた。
「あン? 足をやってンのか」
女は無造作にしゃがみ込み、少女の足首をそっと検分する。
その所作は乱暴な口調とは裏腹に、驚くほど正確で無駄がなく奇妙な対比を際立たせていた。
「捻挫だな。無理に歩かせるのも効率悪ぃし……」
女は立ち上がると、観察眼に満ちた鋭い目をマキナに向けた。
そして、少女を指差して言い放つ。
「そこのお前。手が空いてんならこっちのガキを抱えてくれ」
「え……」
不意を突かれたマキナが一瞬だけ逡巡を見せると、周囲で見守っていた男が制止するように声を荒げた。
「お、お前!!あの方が誰だか知らないのか!?あのお方は英雄マキナ様だぞ……!!」
「ごちゃごちゃとうるせぇんだよ。じゃあお前が今すぐこのガキを担いで歩いてくれんのか?」
女の声が再び大気を震わせる。
その圧倒的な威圧感に気圧された男は、屈辱に唇を噛み黙りこむしかなかった。
「おいお前。手伝うのか、手伝わねぇのか。早くしろ」
女がもう一度、今度は真正面からマキナを射抜く。
マキナの心にもはや迷いはなかった。
先ほどの沈黙はただ予想外の人物にペースを握られた当惑に過ぎない。
「手伝います」
短くも重みを持ったその言葉に、周囲が波打つようにどよめいた。
「ま、マキナ様!!なぜ、そんな薄汚い余所者を……っ!?」
混乱と驚きの声が上がる。
人々の目には、目の前の三人は国境を侵した罪人としてしか映っていない。
そんな彼らを助けるマキナの行動は国民に対する裏切りとさえ受け取られかねなかったが、マキナは毅然とした声で言った。
「皆さん、いま目の前にいるのは怪我をした子供です。まずは治療を施すのが人として守るべき先決事項です」
無闇に感情を煽らぬよう、穏やかながらも明確な口調で。
騒がず、威圧せず、けれど決して揺るがない信念を伝えるために。
「し、しかし……その者たちは国外の不浄な者で……」
「全ての人々のために動くのが、私の不変の使命です。そこに国の内外という境界線は不要です」
その言葉には、空虚な理想論ではなく、実際に行動する者の重みがあった。
群衆の口が次第に閉ざされ、誰もがマキナの覚悟に言葉を失っていた。
「はっ……大層な使命だこと」
赤髪の女が、僅かに感嘆を混ぜた声を漏らす。
彼女の中で、マキナという存在がただの他人から多少は信頼に足る他者へと変わったようだった。
「嬢ちゃん悪いな。アタシは兄ちゃんを運ぶ。お前はそっちのお堅い鎧におぶって貰え」
「う、うん……」
少女が恐る恐る振り返る。
その目はまだ怯え、不安を抱いていた。
マキナは、彼女の心をほぐすように静かに膝を折り、背を向けておんぶの姿勢を取る。
その所作に、少女は戸惑いながらも次第に毒気を抜かれ、静かにマキナの背に体を預けた。
足を刺激せぬよう慎重に立ち上がると、傍らにはすでに少年を軽々と抱えた女が並んでいた。
「じゃあ行くぞ。しっかりついてこい」
振り返ることすらなく、不遜に言い捨てて女は歩き出す。
「少し揺れるかもしれないけれど……痛かったら、すぐに言ってね?」
「は、はい……」
少女の細い返事に、マキナもまた歩み始めた。
周囲の視線が鋭い刃のように刺さり続ける。
だが、マキナは決して振り返らない。
己が正しいと信じた行いに、悔いなどなかった。
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予感はしていた。だからこそマキナは驚かなかった。
赤髪のメイドが向かったのは、国の外壁を越えた、外の世界であった。
もっとも、壁の外に出たからといってすぐさま魔物に襲われるわけではない。
この国の外壁には、魔族や魔物を寄せつけない強力な結界が張られている。
その余波は一定範囲にまで広がっており、壁に近い場所ほど魔物は姿を見せなくなる。
現在、彼女たちが歩いているのは壁にほど近い位置に広がる鬱蒼とした原生林の中。
森の奥深くにまでは結界の加護も届かないが、開けた平地を進むよりは遥かに遮蔽物が多く、比較的安全ではある。
それでも魔物が現れる可能性は排除できず、マキナは周囲を警戒しながら赤髪のメイドの後に続く。
木々の間から差し込む断片的な陽光が、揺れる枝葉を照らし、不規則な影を地面に描いていた。
マキナは、隣を歩くメイドの女性にちらりと視線を向ける。
彼女は少年を抱きかかえたまま、出発してから一度として沈黙を破っていない。
マキナに唯一提示されている目的地は、『館』であるということだけだ。
しかし、人目を避けるように森を進み続けるその様子に、微かな不安がよぎる。
彼女が嘘をついているとは思えない――が、それゆえに警戒を解くことは許されなかった。
やがて、樹海の一角で女性は唐突にぴたりと足を止めた。
「この辺りで良いだろ」
周囲を見渡せど、視界に入るのは古びた巨木のみだ。ただの森の中である。
マキナの戦士としての警戒心が、一気に最大まで膨張した。
一方、女性は少年を抱えたまま左手でそっと赤髪をかき上げる。
彼女の赤い瞳と同じ色をした宝石のピアスが耳元で煌めいている。
その宝石が突如、強い輝きを放ったかと思うと、眩い光に視界を奪われ、反射的に目を細める。
だが――
「……えっ」
光が収束し、世界が色彩を取り戻した頃。
そこにあったのは、先ほどまで確かに存在しなかったはずの、重厚な装飾が施された巨大な扉だった。
「よし、入るぞ」
「ちょちょちょ、ちょっと待ってください!!!!」
空間の理を無視した余りに唐突な展開に、マキナはつい声を張り上げてしまう。
「なんだよ……耳元で騒ぐんじゃねぇよ」
「いやいやいや!!なんなんですかこれ!!なんでこんな、急に扉が……!?」
あたかも「何を当然のことに驚いているんだ」とでも言いたげな態度に、マキナは困惑と苛立ちを滲ませる。
女性は隠そうともせず、露骨に面倒くさそうな表情を浮かべた。
「認識阻害と空間歪曲の魔法だよ。こう……グニャグニャってやって、グルグル〜……って、そんな感じだ」
「そんな単純な擬音で済む話じゃないでしょう!?絶対にもっと精密で複雑なやつですよこれ!!」
「うるせぇな!! アタシだって構造の詳細は知らねぇんだよ!!」
思いもよらぬ逆ギレに、マキナは言葉を失う。
マキナの背にいた少女までもが、「え〜……」と顔をしかめるほどだった。
「いいから黙ってついて来い!!詳しく知りたきゃ、アタシのご主人にでも聞け!!」
苛立ちを隠さず、女性は扉を乱暴に開けて中へ入っていく。
「(確か、ラヴィスさんも、そんな風に呼んでいた気がする……やっぱりこの人も……)」
共通する異常な力と呼称に疑念が頭をよぎるが、今は背中の子供たちの命が最優先だと自分に言い聞かせた。
扉をくぐると――
「えぇ……!?」
「うわぁ……!!」
マキナは驚愕に目を見開き、少女はその瞳を輝かせた。
そこには、外観からは想像もつかないほど広大で荘厳な屋敷の内部が広がっていたのだ。
「(卓越した大魔法使いは空間そのものを操ると聞いたことはあるけれど……これほど大規模で、しかも複雑な魔法を操れる人間なんて……)」
幾多の戦場を潜り抜けてきたマキナの経験を以てしても、これほどの奇跡を行使する者など心当たりがなかった。
「おい、いつまで呆けてんだよ。早く来い」
女性の声に我に返り、マキナは慌てて後を追った。
歩調を合わせながら、再び彼女に視線を向けるが――
「先に言っとくが、アタシはこの空間魔法についても一切知らねぇからな」
問いかけるよりも早く言葉を遮られてしまい、マキナは閉口するしかなかった。
しばらく廊下を歩くと、空間が開け、屋敷内の広場と思われる場所に辿り着く。
女性が辺りを見渡した、その瞬間だった。
タイミングを見計らったかのように、正面の扉が一切の音を立てずに開かれる。
そして現れたのは――
※後書きです
ども、琥珀です。
気付いたんですけど、後書きに時事のことを書いても、読んでいただけたタイミングによって、あまり伝わらないこともありますよね
となると時事ネタはあまり宜しくない……?
豆知識でも書けば良いのかな?
本日もお読みいただきありがとうございました。
次回の更新は4月20日の月曜朝7時頃を予定しておりますので宜しくお願いします。




