8.赤髪のメイド
※本日後書きにお知らせが御座います
視界を埋め尽くした鮮烈な青い炎が意思を持つ生き物のように瞬く間に広場へと広がり、逃げ惑う人々を一瞬にして飲み込んでいった。
だが不思議とその猛火に巻かれた誰一人として肌を焼かれる痛みはない。
炎は人々の目の前で淡く幻想的に揺らぎながら、役目を終えたかのように静かにその勢いを鎮めていった。
「(今のは……魔法? でも、魔力の残滓なんてほとんど感じられなかった……)」
マキナは混乱の渦中にありながらも、本能で冷静に状況の分析を試みていた。
つい先ほどまで胸を黒く支配していたやり場のない怒りや、出口のない不安、そして焦燥。
そうしたドロドロとした負の感情が、冷たい水で洗い流されたかのように不自然なほど綺麗に霧散していたのだ。
それは彼女だけではない。
先刻まで殺気立って混迷を極めていた群衆の様子が、まるで何かに魂を宥められたかのように、一転して不気味なほどの静けさに包まれていく。
まるであの得体の知れない青い炎が、焼く代わりに人々の荒ぶる心を鎮めたかのようであった。
静寂が戻った広場で、マキナの鋭い目が一人の異質な人影を捉える。
「どいつもこいつも、何をギャーギャーと無様に騒いでんのかと思えば……」
静まり返る人混みを乱暴に押しのけるようにして現れたのは、燃え盛るような赤髪に意思の強そうな紅蓮の瞳を持つ、一人の女性であった。
見覚えのある、仕立ての良いメイド服に身を包んでいたが、その立ち姿から放たれる圧は昨日見かけたラヴィスとは決定的に異なっていた。
「(ラヴィスさん……じゃない。でも、あの顔立ちは……?)」
纏う空気も、乱暴な立ち振る舞いも、ラヴィスとはまるで別人。
しかしその顔立ちの面影に、マキナの直感が決して無関係ではないと警鐘を鳴らしていた。
赤髪のメイドはマキナに対して無愛想な一瞥をくれると、すぐに興味を失ったように視線を逸らす。
そして地面に蹲って震え続けている二人の子どもたちの方へと迷いなく歩み寄った。
周囲の民衆は、彼女から放たれるただならぬ覇気と冷徹なまでの目つきに気圧されたのか、本能的な恐怖に突き動かされるようにして後退り、道を開ける。
「おい、大丈夫か。どこをやった」
赤髪のメイドは一切の躊躇なく膝をつき、高価な布地が泥で汚れることも厭わず、幼い兄妹にそっと低く声をかけた。
そのぶっきらぼうな口調には、先程まで大衆に向けていた苛立ちなど微塵も感じさせない。
相手を威圧せぬよう、あくまで静かに少女の心へ届かせるような響きで語りかける。
だが絶望の淵に立たされた少女は恐怖のあまり声が出せず、差し伸べられた救いの言葉に応じることすらできない。
それでも彼女は、折れそうな腕で必死に兄と思しき少年を抱きしめ、自分に降りかかるであろう災厄から彼を庇い続けていた。
メイドの女性はその健気で痛ましい献身にしばし沈黙し、やがて鋭かった表情を僅かに和らげながら、諭すように言葉を継いだ。
「安心しろよ嬢ちゃん。アタシはそこのバカ共みたいに叫んだり、罵倒したり、ましてや力任せに殴ったりなんてしねぇからよ」
彼女は適切な距離を保ったまま、決して意思を無理強いはせず、それでいて確かな安心の防壁を築くような口調で語りかける。
刺々しかったはずの言葉を選び直し、まるで凍りついた少女の心に触れるように、慎重に語りかけていく。
「……ソイツは、お前の兄ちゃんか?」
少女は小さく、けれど意志を持って、確かに頷いた。
「そっか。こんな恐ろしい場所で兄ちゃんのことずっと守ってたのか。優しい奴だな」
ふっと、凍土が溶けるような明るく柔らかい笑顔が、彼女の横顔に浮かぶ。
その純粋な光を宿した笑顔に、少女の強張っていた顔がほんのわずかに緩んだ。
「そんでそこに転がってる兄ちゃんの方も、お前のために死ぬ気で必死になってたんだろ?誇っていいぜ、妹想いの最高にカッコいい兄ちゃんだ」
薄汚れた衣服、打撲による無惨な傷。
彼らが過酷な国外の地獄から逃れてきた人間であることは一目でわかる。
それでも彼女は醜い偏見など欠片も見せず、ただ目の前の二人に向き合っていた。
その迷いのない真っ直ぐなまなざしに射抜かれ、少女の瞳から溜まっていた大粒の涙が、ぽろりと地面へ零れ落ちる。
赤髪の女性はその変化を逃さず、ゆっくりと間を詰めながら、今度は専門家としての声色に変えた。
「いいか嬢ちゃん、よく聞け。アタシはちょっとだけ人より医術に覚えがある。見たところ、お前の兄ちゃん、だいぶ身体が痛んでやがるんだ。放っておけば命に関わる、本格的な治療が必要だ」
「イジュツ……? チリョウ……?」
少女は不安そうに首を傾げる。
教育を受ける機会のなかった国外の民にとって、その専門用語の意味までは理解できていない様子だった。
女性は少し困ったように乱暴に頭を掻きながら、子供に教えるように言い直す。
「あー……つまりな、アタシはお前の兄ちゃんを助けてやりたいんだ。死なせたくねぇんだよ」
「え……でも……」
少女の潤んだ瞳に深い迷いの色が映る。
信じたいという願いと、裏切られてきた過去の恐怖が、彼女の中で激しくせめぎ合っていた。
そんな残酷な逡巡が続いた、その時だった──。
「ゲホッ、ゲホッ!!」
少年の吐き出した苦しげな咳が、張り詰めた静寂を無惨に切り裂き、少女の瞳が絶望に揺れる。
「大丈夫だ。アタシを信じろ」
女性は逸らそうとする少女の視線を真っ向から受け止め、瞳の深淵を見つめた。
言葉による説得ではなく、その揺るぎない視線の力で、心に直接語りかける。
そして──少女の中で、張り詰めていた最後の糸が、静かにほどけた。
「……お願いします。お兄ちゃんを、助けてください……っ」
涙で濡れた頬のまま、少女は救いを求めて深く頭を下げる。
赤髪の女性は静かにその小さな頭を撫で、安堵の微笑みを浮かべた。
今度は瀕死の少年の方へと冷静に向き直り、その熟練の指先をそっと伸ばした。
「ちっ……肋骨が何本かいってやがるな。それに、執拗に蹴られた衝撃で内臓も痛んでやがる……」
彼女が行っているのは、無駄のない迅速で的確な触診であった。
触れる指先は迷いなく、折れた骨の角度や皮膚の下にある筋肉の張りから、少年の肉体に刻まれた損傷を即座に見抜いていく。
「この場で応急処置だけ施すんじゃ、却って命取りになるか……。しゃーねぇ、危険だが屋敷に連れて帰るか」
苦々しく低く呟くと、女性はひょいと少年の軽すぎる体を羽毛のように抱え上げ、その場を立ち去ろうとする。
だがその行動が、再び醜い憎悪の火種となった。
「ふ、ふざけるなよ! 何の権利があって連れて行くんだ!」
静寂を裂くような卑劣な怒声が、平和な空気を再び汚染する。
叫んだのは、先ほどまで少年の命をゴミのように痛めつけていた張本人の男であった。
顔を真っ赤に茹で上げ、口角から唾を飛ばしながら喚く男。
その後ろでは、同調するように次々と大衆の醜悪な声が重なり始める。
「そうだ!! そいつが他人の貴重な財布を盗んだから、こんな大騒ぎになったんだぞ! マキナ様もそれを厳しく咎めるために出てこられたんだろうが!」
「その通りだ!! あのガキが怪我をしたのは、身から出た錆、自業自得だろ!」
「そもそも国外の薄汚い人間が、この聖なる国にいるだけで万死に値する重罪なんだよ!」
「助ける理由も、その必要もねぇ! さっさと衛兵に突き出せ!!」
一度収まったはずの火種が、一気に燃え広がる野火のように拡大し、根深い偏見と選民思想が群衆を飲み込んでいく。
「(嘘……やっと落ち着きを取り戻したのに……また、こんなことに……)」
マキナは内心で激しい焦燥を抱えながらも、不用意な言葉を発してはならないと己を強く律していた。
今この場で彼女が口を開けば、それは瞬時に“英雄による公的な発言”として恣意的に切り取られ、大衆の歪んだ正義を正当化する道具として利用されてしまう。
国外の不可触民が国内の崇高な法を犯したという『理解しやすい悪役』として、少年と少女は、社会の歯車によって簡単に押し潰されてしまうのだ。
先程までの、理性を失った虐殺に近い光景が、その恐怖を何よりも雄弁に物語っていた。
「(でも、このままじゃ、あの人たちまで危ない……っ)」
怒号の波は高まり、もはや暴動寸前の危うい熱が辺りに漂い始めていた。少女は再び怯え、震える小さな体で、目の前の赤髪のメイドにしがみつく。
「ったく……どいつもこいつも、いつまでもいつまでも……」
女性は守るべき少女を強く抱き寄せながら、地を這うような低く冷徹な声で呟き、そして――
「ごちゃごちゃとうるせぇんだよテメェらぁ!!!!」
※後書きです
ども、琥珀です。
明日4/16(木)の朝7時に『序章』を公開します(重要なのはここまでです)
作成に至った経緯は、現在の1章『The Maiden's Requiem』の第1話だと、物語の始まりが唐突過ぎて、没入感が足りないかもしれない……と今更思い至ったからです
よって、世界観がもう少し伝わるように、第1話に入りやすいように、『序章』作成しました
最新話ではなく、一番最初の部分に割り込まると思いますので、ご了承下さいませ
以上、お知らせで御座いました
本日もお読みいただきありがとうございます。
次回の更新は、『序章』を明日の朝7時に、本編は明後日金曜日の朝7時頃を予定しておりますので宜しくお願いします。
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