表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Laughingstock  作者:


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/5

第2章 泥をすする日々、そして「怪物」との遭遇

1.

初舞台の惨敗から半年。

太一と蒼の日常は、絵に描いたような「売れない若手芸人」のそれになっていた。

太一は昼間に居酒屋の仕込みバイトを入れ、夜は蒼のアパートに転がり込んでネタを書く。蒼は配送センターの夜勤を続けながら、朦朧とする意識の中で太一のボケにツッコミを入れ続けた。

「違う、太一。そのボケ、3行前と脈絡がない。お前は勢いで誤魔化そうとしてるけど、客は置いてけぼりだ」

「でもさ、ここで俺が変な顔して叫んだら、一発で空気変わるじゃん?」

「それは『お笑い』じゃなくて『びっくり箱』だろ。俺たちがやりたいのは、言葉と関係性で笑わせる漫才だろ」

蒼の指摘は日ごとに鋭くなっていった。分析型の蒼は、売れている芸人の動画を何百本もガラケーやスマホで研究し、なぜその笑いが起きているのかをノートに因数分解していた。

しかし、現実は甘くない。

相変わらず地下ライブの客席は冷たく、時には観客が3人しかいない日もあった。

「お前ら、もうやめちまえよ。25だろ? 人生の損切り、早い方がいいぞ」

楽屋で、先輩芸人からそんな言葉をかけられることも増えていた。

そんなある日、二人は新宿の小さな劇場で、ある漫才コンビの舞台を目撃する。

コンビ名は「アルタイル」。

彼らも二人と同世代、24歳の若手だった。

「どうもー、アルタイルです」

ボケの男が舞台に現れた瞬間、劇場の空気が物理的に変わったのがわかった。

圧倒的な華。そして、一言発するごとに客席がドカン、ドカンと地鳴りのように揺れる。

太一が半年間、血を吐くような思いで考えても出せなかった「爆笑」を、彼らは呼吸をするように簡単に生み出していく。

舞台袖の隙間からその光景を見ていた太一は、言葉を失っていた。

握りしめた拳が、悔しさと、恐怖で震える。

「……なぁ、蒼」

「あぁ」

蒼の顔からも、いつもの皮肉めいた余裕が消えていた。

「あいつらが、今年の『笑覇杯しょうははい』の優勝候補筆頭らしい」

「アルタイル」が舞台を降りてくる。客席の熱気をそのままに、涼しい顔で歩いてくる二人の姿は、太一たちと同じ泥水をすすっているようには到底見えなかった。

すれ違いざま、アルタイルのツッコミの男が、チラリとアカハナの二人に視線をくれた。ゴミを見るような目ではなかった。それよりも残酷な、「視界にすら入っていない」目だった。

「……行くぞ、太一」

蒼が太一の肩を叩く。

「帰って、ネタ合わせだ。あいつらをぶっ倒すネタを作るぞ」

太一は、小さく、しかし深く頷いた。胸の奥の劣等感が、どす黒い炎となって燃え上がっていた。

2.

芸人になって1年が経とうとする頃、二人の前に「現実」という名の壁が立ちはだかる。

ある週末、蒼は実家に呼び出されていた。

実家のリビングで待っていたのは、父親と、テーブルの上に置かれた1枚のチラシだった。地元のまともな企業の求人票。

「蒼、お前、夜勤の仕事のあとに何やってるんだ。風の噂で聞いたぞ。太一くんと、お笑いなんてやってるらしいな」

厳格な父親の声は低かった。

「太一くんは会社を辞めたそうだが、お前まで巻き込まれることはない。24だ。もう遊びの年齢じゃないだろ。来月からここに行きなさい」

蒼は黙って求人票を見つめた。

安定。安心。親の安心させる顔。

それを手に入れる代わりに、あの深夜二時のコインランドリーで交わした約束を、太一のあの弾けるような笑顔を捨てるのか。

「……断るよ」

蒼は静かに言った。

「俺、太一と、本気でテッペン目指してるんだ。笑覇杯で優勝するまで、やめない」

「お前たちみたいな何者でもない奴らが、テレビに出られるわけがないだろう! 世間はお前らなんて求めてないんだ!」

父親の怒号を背中に浴びながら、蒼は実家を飛び出した。

同じ頃、太一もまた、アパートの自室で頭を抱えていた。

通帳の残高は、ついに3万円を切っていた。

今月の家賃を払えば、来月の食費はない。居酒屋のバイトを増やせば、ネタを作る時間がなくなる。

「人生で一番楽しいのは、人を笑わせてる時だ」

あの日、大見栄を切って家電量販店を辞めた時のセリフが、呪いのように頭をループする。

本当にそうか?

今、俺は楽しいか?

スベり倒して、金もなくて、幼馴染みの蒼の人生まで巻き込んで、俺は何をやってるんだ?

太一は暗い部屋の真ん中で、膝を抱えて動けなくなっていた。

その時、ガタガタと激しくドアがノックされた。

開けると、息を切らせた蒼が立っていた。実家から走ってきたのか、肩が大きく上下している。

「……蒼? どうしたんだよ、そんな汗かいて」

蒼は太一の部屋にズカズカと入り込むと、机の上に1枚のプリントを叩きつけた。

それは、全国漫才コンテスト「笑覇杯」のエントリー用紙だった。

「太一、書け」

「え……でも、俺たち、まだ劇場でもウケてないし、お金も……」

「関係ねえよ」

蒼は太一の胸ぐらを掴まんばかりの勢いで、その目を真っ直ぐに見つめた。いつものクールな蒼からは想像もつかない、剥き出しの情熱がそこにあった。

「俺は親と絶縁する勢いで家を出てきた。お前も仕事を辞めてここにいる。もう後戻りなんてできるかよ。笑いものになるなら、全国民の前で、派手に笑いものになってやろうじゃねえか」

太一の瞳に、ジワリと涙が浮かんだ。だが、すぐにそれを袖でゴシゴシと拭い、最高のニヤリ顔を作った。

「……あったりまえだろ。俺たちの漫才で、全員ひっくり返してやるよ」

太一はペンを取り、力強い筆跡で記入した。

【コンビ名:アカハナ】

何者でもない二人の、命懸けの予選が幕を開ける。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ