第41話:バール平原戦②ーー現れたS級魔術師と元メイドの対決
ズドォォォォンッ!! タァン! パンッ! タタァンッ!!
白銀の山肌は、硝煙と鮮血でドス黒く染まっていた。 斜面に配置されたバール軍の大砲が火を噴くたびに、サクレアの重装歩兵たちが纏めて数十人単位で吹き飛んでいく。陣形を組もうと密集すれば大砲の的になり、散開して逃げようとすればマスケット銃の無慈悲な『三段撃ち』の網に引っかかる。
「ひぃぃっ! ば、化け物だ! あいつら魔法も使わずに遠くから……!」 「退け! 退けぇっ!!」
剣を振り上げる間もなく、魔法の詠唱を終える間もなく、サクレアの誇る大軍はただの『肉の的』としてすり潰されていった。かつて大陸最強と謳われた2万の軍勢は、すでに数千にまで減少し、岩陰や雪の窪みに身を隠して震えることしかできない。
完全なる蹂躙。 後方の山頂から降りてきた俺は、その一方的な殺戮の光景を見下ろしていた。
「……やりすぎたか」
俺は双眼鏡を下ろし、小さく呟いた。 勝つための計算を積み上げた結果だが、目の前に広がるのはファンタジーの常識を根底から覆す地獄だ。
「俺は、この世界に『数世紀先の戦争』をもたらしてしまったようだ。……我ながら、恐ろしいパンドラの箱を開けた気分だよ」
近代兵器がもたらす、個人の努力や武勇を完全に無価値にする圧倒的な暴力。これを見た他国は、いずれ必ずこの技術を模倣し、さらなる惨劇を生むだろう。勝利の歓喜よりも、コンサルタントとしての冷徹な予測が、背筋に薄ら寒いものを走らせた。
「……ルイ様」
護衛についていたシーフのビーナが、震える声で俺を見た。 彼女の目には、眼下の惨状への恐怖だけでなく、これを涼しい顔で盤面から操作している『俺とサラ』への、底知れぬ畏怖が浮かんでいた。
「あなたたちは……本当に、人間なの……?」
「ああ。ひどく臆病な、ただの人間さ」
俺は自嘲気味に笑い、本隊の指揮所へと足を速めた。
◇
「ルイ! 無事だったわね!」
前線基地に合流すると、指揮をとっていたサラが安堵の表情を見せた。
「状況は?」 「見ての通りよ。敵は完全に戦意を喪失して散り散りになっているわ。あとは残党狩りだけど……」
ドゴォォォォンッ!!!
突然、前線の防壁のすぐ近くで、今までとは比べ物にならない巨大な爆発が起きた。 バール軍の兵士たちが悲鳴を上げて吹き飛ばされる。
「なっ……大砲の誤射か!?」
「違う、上よ! 空を飛んでる!!」
サラの叫びに上空を見上げると、一人の男が吹雪の中で宙に浮いていた。 黒いローブを翻す、白髪交じりの痩せた男。
「来たわね……『サクレアの悪魔』」
サラがギリッと歯を食いしばった。 サクレア最強の魔術師。三種の基礎魔法を極め、独自の魔法すら操るという伝説的な存在。本来ならこんな前線に出てくるはずのない大物だ。
「第一陣、銃撃てぇぇっ!!」
現場の隊長が叫び、一斉にマスケット銃が火を噴く。 だが。
「……煩い蠅どもだ」
男が指を鳴らした瞬間、空中に見えない分厚い壁が展開され、数百の鉛玉が空中でピタリと静止し、無力に雪へ落ちた。
「塞げるのか……っ!」
俺は即座にスキル【国家盤面】を発動し、男を睨みつけた。
【ビスマルク(通称:サクレアの悪魔)】
【年齢:45歳】
【職業:S級魔術師】
【レベル:530】
「……レベル530だと!? これはえぐいな……」
バール軍の平均レベルが30〜50の世界で、文字通り桁が違うバグのようなステータスだ。サラは120ほどになって、俺は50くらいだ。ビスマルクは片手を掲げると、空中に巨大な炎の槍を何本も生成し、バール軍の生命線である「大砲台」へと次々に撃ち下ろした。
ドカン! ガシャァァン!!
頼みの綱の近代兵器が、個人の異常な暴力の前になす術なくスクラップに変えられていく。前線が崩壊し始めていた。
「ここで陣形を崩すな! サラ、引き続き歩兵への制圧射撃を指示しろ! 残った敵兵はレベルが高い連中だ。こちらも高レベルの近接部隊を前へ出せ!」
俺が必死に立て直しを図った、その時だ。
ドンッ! と、隣にいた影が弾かれたように飛び出した。
「おい、待て! サーシャ!!」
俺の制止を振り切り、黒いメイド服……いや、戦闘服を纏った彼女は、一直線に空中のビスマルクへと向かっていった。
(……ミカ様の死で、私は学んだのです)
サーシャの目に、迷いはなかった。
(ただ命令に従うだけのメイドでは、大切な人は守れない。……時には命令に背いてでも、自らの意思で脅威を排除しなければ。だから私は……メイドを辞めたのです!)
サーシャの体は、文字通り『瞬間移動』に近い速度で宙を蹴った。 レベル500越えの化け物を前にして、彼女のスピードは全く引けを取っていなかった。
「……なんだ、あの小娘は」
ビスマルクが驚きの表情を見せ、咄嗟に周囲に超高温の「マグマ玉」を数個生成し、サーシャに向けて放つ。 だが、サーシャは空中で信じられない軌道を描き、軽々とマグマの弾幕を掻き潜った。
「シッ!」
サーシャの鋭い手刀(指突き)がビスマルクの喉元に迫る。 ガキンッ!! ビスマルクは間一髪で極厚の『氷の防御壁』を展開してそれを防いだ。
「甘い——」 「甘いのはそっちです」
防がれた瞬間、サーシャは空中で体を錐揉み回転させ、遠心力を乗せた強烈な踵落としを氷の壁に叩き込んだ。
パァァァンッ!!
S級の防御魔法が、純粋な物理の衝撃で粉々に砕け散る。 さらに、砕けた氷の破片を足払いでボーリングのピンのように弾き飛ばし、散弾銃のようにビスマルクの全身に浴びせた。
「ぐはぁっ!?」
破片がローブを切り裂き、ビスマルクの体が後方へと大きく吹き飛ばされる。
「ありえない!!」
その光景を見て、遠くで隠れていたサクレアの将軍が発狂したように叫んだ。
「兵士もほぼ全滅し、誇り高き我が軍が、あんなチンケな集団に蹂躙されたというのに……! サクレアの悪魔なんて、ただの弱々しい爺ではないか!! おい、くそっ! そんなものか、お前は!!」
その将軍の無能な暴言に。 空中で体勢を立て直したビスマルクの肩が、ピクッと反応した。
「……無能が、喚くな」
ビスマルクの瞳に、底知れぬ怒りと魔力が宿る。 だが、サーシャは攻撃の手を緩めない。近接型である彼女の波状攻撃は、詠唱を必要とする魔術師にとって最悪の相性だ。 ビスマルクはサーシャの神速の連撃をギリギリで避け続けるが、明らかに防戦一方になっていた。
「ハァッ!!」
サーシャが回転蹴りで周囲の岩石を飛ばす。 ビスマルクがそれを結界で弾き、避け切ったと安堵したその瞬間――。
「……後ろです」
彼の背後に、音もなくサーシャが現れた。 彼女の両手がビスマルクの肩を掴み、そのまま全体重を乗せて、遥か下方の雪原へと叩きつけた。
ズドゴォォォォォォンッ!!!
山が揺れるほどの地響きが轟く。
「やったか!?」
だが、クレーターの中心で、血まみれのビスマルクが不気味に嗤っていた。
「くそ……小娘が。舐めるなよ」
彼の手が地面に触れる。
「『イラプション(大噴火)』!!」
それは、彼にしか使えないS級の特有魔法。
周囲の雪が瞬時に蒸発し、地面がドロドロのマグマと化して隆起し始めた。火山地帯を人為的に作り出し、自由自在にマグマを操る最悪の範囲魔法だ。
「まずい、このままでは部隊ごと飲み込まれる!」
俺が絶叫した、その時。
「——させません」
マグマが完全に噴き上がるよりも早く。 サーシャの腕が、ビスマルクの腹部を深々と突き抜けていた。
「……が、ぁ……!?」
ビスマルクの目が見開かれる。 発生しかけていたマグマの海が、魔力の供給を絶たれて徐々に黒く硬化していく。 レベル530のサクレアの悪魔は、信じられないという顔をしたまま、ゆっくりと黒い岩肌の上に倒れ伏した。
静寂。
圧倒的なイレギュラーの死を前に、戦場全体が息を呑んだ。
「ま、まさか……悪魔がやられただと!?」
サクレアの将軍が顔面を蒼白にして後ずさる。
「おい、残った者ども! 俺を守れ!! 早くここから逃げるぞ!!」
将軍の身勝手な命令。 だが、残存していたサクレアの兵士たちは、互いに顔を見合わせると……武器を捨てた。
「は? お前ら、何をして……や、やめろ! 放せっ!!」
将軍は自らの部下たちに取り押さえられ、雪の上に引き倒された。 そして、サクレア軍の陣地から、力なく白い布が振られた。
「……勝った」
誰かが呟いた。 次の瞬間、バール軍の陣地から、鼓膜が破れるような大歓声が沸き起こった。
「やった! 勝ったぞぉぉっ!!」 「俺たちの勝利だ!!」
サラが子供のように飛び跳ねて喜び、横にいた部下のユースたちとバチーン!とハイタッチを交わした。 そして、そのままの勢いで俺の首に飛びつき、力いっぱいハグをしてきた。
「ルイ! 勝ったわ! 本当に……本当にありがとう!!」
「っ……ああ。皆のおかげだよ、サラ」
俺は照れ隠しに彼女の背中を軽く叩き、そっと引き剥がした。 そして、歓喜に沸く陣地を抜け出し、一人で前線のクレーターへと向かった。
黒く固まった溶岩の上で、戦闘服をボロボロにしたサーシャが、膝をついて肩で息をしていた。
「サーシャ」
俺が声をかけると、彼女はビクッと肩を震わせ、ゆっくりと振り返った。
「……ルイ、様」
彼女の目から、ツツーッと一筋の涙がこぼれ落ちた。
「私……ルイ様のために、頑張りました。……もう、誰も失わせないと……」
「……ああ」
俺は膝をつき、命令違反を咎めることもせず、ただ強く、彼女の小さな体を抱きしめた。
「本当に、ありがとうな。お前がいなければ、全滅していたかもしれない」
俺の腕の中で、サーシャの体がカッと熱を持ったのが分かった。 抱きしめられたまま、彼女は顔を真っ赤にして俺を見上げた。
「る、ルイ様……?」
「馬鹿野郎。勝手に飛び出しやがって……。すごく心配だったんだよ。相手はレベル500越えだぞ。死んだらどうするつもりだったんだ」
俺の心からの安堵と叱責を聞いて、サーシャの瞳がパァッと輝いた。
「心配……してくださったの、本当なんですね」
彼女は俺の胸に顔を埋め、ふにゃりと愛らしい笑顔を見せた。
「……嬉しいです、ルイ様」
近代兵器がもたらした血塗られた戦場の真ん中で。 俺たちは、生き残った確かな温もりを、ただ静かに分かち合っていた。




