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「どうした。手が痛むのか」
翌朝、自分よりも先に食堂にいたライラックを見かけ、ライラックの前に自分の朝食を置きながらルピナスは問う。
ライラックははっと顔を上げ、先程までなにやら握って開いてを繰り返していた右手を引っ込めた。
「いや、別に。おはよう、ルピナス」
そう話しかけてくるライラックは、最近見慣れたいつもの笑顔だ。
昨日ウィステリアと話していたことが頭から抜けず、ルピナスはじっと彼女の顔をみつめた。
「なに、どしたの。食べないの?」
「お前、怪我したの?」
「ああ、ウィステリアから聞いた? 任務でちょっとね。別に痛くもないし、大したことないよ」
そんなはずがない。ウィステリアが言うには、かなり深い傷だったそうだし。
「珍しいな、お前がヘマをするなんて。最近あんまり怪我することなかっただろ?」
「ねー、気が緩んでたのかな」
別に何ともなさそうな相槌を打ちながら、ライラックはパンを頬張る。
その様子を見ながら、ルピナスは聞いた。
「そういえばさ、お前、この間はじめての殺しの任務だったろ。一昨日もだっけ。どうだったんだ?」
一瞬、ライラックの手が止まった。
「どうも何も、普通だよ。別に大したことないなあって感じ。今のところ、だいたい寝込みを襲ってるだけだし」
「怪我は……反撃されてできたやつじゃねえの?」
「まぁね。殺そうと思ったところで起きちゃって。思ったより機転が利く奴だったみたいでさぁ」
まるで食べた食事の感想を言うみたいに、あっさりとした言い方だった。
殺しの任務。ダチュラが来た夜、言及していたから、ライラックの変化はそれに起因するものなのかと思ったけど、それにしては軽くないか。
それに……命を奪う、ということ。ルピナスがアイーマに入ってもう二年だ。任務は全て世間一般では犯罪と言われるもので、それにはもう慣れたとはいえ、人を殺すのはかなり重いことだという思いが、未だに頭から抜けない。
「お前……なにも思わねぇの? 殺人に対して」
思わず言葉が口をついて出た。その責めるような口調に、まずいと思う。
任務に対して何を思えっていうの、とライラックが不機嫌になると思った。
身構えたルピナスとは裏腹に、ライラックは軽い笑みを保ったまま、首を傾げる。
「何を思うべきなの? 殺されちゃって可哀想、とか?」
それは酷く軽い言葉だった。
ライラックは口元に小さく笑みをたたえたままだ。その瞳はどんな色も映さず、ルピナスはごくりと唾を呑んだ。
何を考えているのか、全くわからない。ライラックは、こんなにも軽い言葉を口にする子じゃなかった。
「それよりさ、今日の任務なんだけど、夕方に入ったよ。私とルピナスとウィステリア、三人で合同。久しぶりじゃない?」
「あ、あぁ……」
「最近、近くの通りで幅を利かせてる連中がいるらしくて。アイーマの組員を襲ってきてて煩わしいから、根城ぶっ叩いて殲滅させて来いってさ。日が沈んだら出発するよ」
「分かった」
「ウィステリアにも伝えておいて。じゃあ行くね」
ライラックは食事を終え、席を立つ。
その姿を見送りながら、ルピナスはふと思った。
(最近、あいつあんまり食事や鍛錬を俺やウィステリアと一緒にしなくなったな……)
*
「事前の情報によると、この先の倉庫では二十人くらいが溜まりにしてるらしい。アイーマにもうちょっかいかけてこないようにしたいから、私たちがアイーマだって知らせた上で徹底的に潰す。けどいつも通り、止めは刺さなくていいよ。むしろ、去る前に火は放つから、ほどほどに逃げられるようにしておいて」
日が沈んですぐ。集まったウィステリアとルピナスに、移動しながらそう話すライラックは静かな目をしている。
……朝の様子から、殺して回るくらいなのかと思ったけれど、火からも逃げられるように配慮するとは、少し予想外だった。
「こっちは三人だけど。弱い人間二十人くらい、余裕だよね?」
ニヤリと笑って見せたライラックは、寂れた町外れに現れた倉庫群を示して見せた。今はもう使われていない廃倉庫だ。このあたりの領主はその管理はしていないらしく、治安も荒れ放題だ。
街灯一つの暗がりの中で、廃倉庫の方から人の気配がぽつぽつと感じられる。
「あいつらアイーマだぞ! 野郎ども! 獲物だ!」
息を潜めるような夜の静けさの中で、男性の野太い声が叫んだ。その声が真横から聞こえて、ルピナスはギョッとする。
──今の、ライラックが出したのか。中の奴らをおびき出すために?
ライラックは、その視線にニッと笑い、いくつもの倉庫から現れた獲物に向かって駆け出した。
初めて見るライラックの大胆な策に顔を見合せながら、ルピナスとウィステリアは後を追いかけた。
*
ライラックの言った通り、倉庫に隠れ潜んでいた連中はみな弱く、いちばん小柄なウィステリアでさえ大きめの実体化の棍棒を使いながら大柄の男を難なく倒していた。
三人でかかれば、二十人程度なんてあっという間だ。気を失っている男どもを見渡してから、ルピナスはライラックに尋ねた。
「それで、火をつけるんだっけ。この状態でここ全部火をつけたら、逃げられずに死ぬんじゃないか?」
ライラックは、困ったように肩をすくめる。
「やっぱり? 意識を失わないくらいにって思ってたんだけど、やりすぎたかな。一旦全員まとめて外に──」
「そこを動くなよ」
突然、知らない声が響いた。はっとライラックとルピナスは振り返って、息を飲む。
「ウィステリア!」
「仲間を助けたくば、動くんじゃねえぞ」
ウィステリアの口を抑えるようにしてを抱えあげ、もう一方の手で鋭い大ぶりのナイフを突きつけながら、刈り上げ頭に刺青をした屈強な男が、倉庫の入口の方から近づいてくる。
「ったく、俺の留守の間にこんなことになりやがってよぉ……しかも、こんなガキ共にやられたのか。頭が痛くなるぜ」
捕まったウィステリアは、どうにか拘束から逃れようと身をよじるが、力では勝てない。魔力を伸ばそうとして、それに気づいた男が、結界でウィステリアを包んだ。
宙に浮かぶ、卵のような結界に放り込まれたウィステリアは、その結界を壊せないようだ。
──こいつ、強い。さっきまでの奴らとは比べ物にならない。
「リーダーかな」
ライラックが呟いた。その静かな声色に、焦っていないのかとルピナスは驚く。
次の瞬間、青紫の閃光が迸った。目にも止まらぬ速さで、ウィステリアを捕まえた男の胸を射抜く。
「なっ……」
驚きの声を漏らした男は、目を見開き固まること数秒。崩れ落ちるように倒れた。
ウィステリアを閉じ込めた結界がサァーッと塵のようになって消えていく。宙の結界から突然解放されたウィステリアは、落ちる際に受身を取って起き上がった。
「ウィステリア! 無事か!」
駆け寄ったルピナスに、ウィステリアはこくりと頷いて見せた。
「それじゃ、さっさと退散しようか」
ライラックの発した言葉に、ルピナスはハッとする。振り向けば、ライラックはいつもの笑みを浮かべてそこに立っていた。
「まだ気絶してるヤツら外に運ぶから、手伝って」
「お、おう」
立ち上がるウィステリアに手を貸しながら、ルピナスは聞く。
「ライラック。そいつ、……殺したんだよな。よかったのか?」
大男を三人同時に魔力で持ち上げたライラックは、丁度倉庫を出ようとしていた。
「しょうがないじゃん」
立ち止まって、外を見たままそう言う。その表情は見えない。
一瞬の間があった後、ライラックは振り向いた。ルピナスを見て、ニッと笑みを深める。
「やっぱり、見せしめは必要じゃん? リーダーっていうのも、ちょうど良かったし」
ルピナスが答える前に、ライラックは倉庫を出て行ってしまった。
そうして、三人は黙々と男達を運び出した。
死んだ男の遺体も含め全員運び出したら、ライラックが魔術で倉庫に火をつける。
その夜は風が強く、火の回りは速かった。
轟々と炎をあげる倉庫を三人並んで眺めた。
「ここまで火がついたら大丈夫でしょ。帰ろうか」
ふう、とライラックが小さく息を吐きながらそう声をかけてくる。
ルピナスは、ウィステリアが隣でライラックをちらちら見ているのに気がついた。
「ウィステリア、どうかしたか?」
「……ライラック」
「ん、どしたの?」
ウィステリアを見るライラックの目は、優しい気がする。
「ありがとう……助けて、くれて」
「どーいたしまして」
ふ、と小さく微笑むライラックを見つめながら、ルピナスは先程のライラックを思い出していた。
ウィステリアを捕まえた男に攻撃する直前。
冷静そうな声を出しながら、青紫の瞳に一瞬煌めいたのは、確かに怒りの色だった。
一年前、ウィステリアがアイーマに入ってきたばかりの頃、訓練と称して執拗にウィステリアを痛めつけようとする組員に対して見せた怒りと、同じだった。
(変わってないんだ)
変わってしまったと、思っていた。
でも、分かった。
ライラックは、変わっていない。




