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その任務は、ライラックにとって初めての『殺人』だった。
ルピナスもウィステリアも二人とも請け負ったことのない仕事に、ライラックはいつもの通り淡々とした様子で準備をしていた。
──昨日の朝の、そんな彼女を見て、どうしてこんなことが予想できただろうか。
「あ、ルピナス、ウィステリア。おはよう」
今朝。
部屋に戻ってきて本日一言目に、そう、にこやかに言ったライラックに、ルピナスとウィステリアは固まった。
昨日は結局一晩中帰ってこず、心配はしていたのだが。
思わず二人で顔を見合わせる。
──こいつは、誰だ?
「ん? どうかした? 二人してなに固まってんの」
軽く弾むような口調で言いながら、不思議そうに小首を傾げる。
おかしい。ライラックが、こんなに明るい訳が無い。
「……誰だ、お前」
ルピナスが声を低くして言うと、ライラックはおかしそうな顔になる。
「誰って、私がライラックじゃなかったら誰だって言うの。一晩帰らない内に、もしかして私の顔も忘れちゃったの? それ大変だよ、老化現象始まってんじゃん」
どこかイラッとさせる、からかうような物言い。
尚更おかしい、こいつはこんな冗談が言えるはずが無い。無い、のだけれど。
「いや……誰かが、お前に成り済ましてるとか?」
「思っても無いこと言うなって。ルピナスだって分かってんでしょうに」
「……」
あっけからんと言うライラックに、ルピナスは黙り込んだ。
確かに、分かっていた。
魔術で見た目が変わっていようが、魔力の質を変えることは不可能だ。でも今日もライラックの纏う魔力は、昨日までとなんら変わりはない。
──でも、ならば、彼女のこの変わり様は何だ。
精神だけ何者かに乗っ取られた?
ライラックの魔力が王家並なのは、組織の誰もが知る事実だ。そんな彼女の精神に干渉できるとしたら、本当に王家ぐらいしか居ないんじゃないか。
もちろんそんなことはライラックがある日突然お喋りになることよりありえない。いや、実際なってしまったのだが。
「……じゃあ、昨日の任務で、なんかあったのか?」
「任務では何もなかったよ。いつも通りちゃんと完遂した……けど」
そこでライラックはルピナスとウィステリアの顔を見て、少し悩む素振りを見せる。
「うーん、まあ二人ならいっか。信じるも信じないも二人次第だけど」
口を尖らせて、竦めてみせるその仕草をライラックが見せるのは初めてなのに、妙に馴染んでいる。それだけで違和感しかないのに、次に続いた言葉に、今度こそ本当に言葉を失った。
「実は昨日の任務の後、前世を思い出したんだよねぇ」
「……は?」
「……ぜんせ?」
驚いてもあまり口に出さないウィステリアまでもが、その言葉を小さく繰り返した。
二人のぽかんとした間抜け面を見て、ライラックはおかしそうにケラケラと笑う。
「ねー、信じらんないよね。前世って、分かる? 私が私になる前、別の人間として生きてた記憶。前世の私は二十七歳の時に死んで、明るくて社交的な人間だったの。思い出したら表情筋が仕事するようになってたんだよねぇ、思わず笑っちゃったわ」
突拍子のない話なはずなのに、納得してしまう程にライラックの変わり様は衝撃的だった。ウィステリアも、同じく困惑を顔一杯に浮かべている。
「まあ、そんなこんなで、私これからこんな感じだから、慣れてね。じゃあ先朝ごはん食べに行くから、また後でね」
引き止める間もなく、ライラックは部屋を出て行ってしまう。
残されたルピナスとウィステリアと顔を見合わせる。
仲間の豹変ぶりに慣れる時は、全く来るような気がしなかった。
***
「お前ら、ライラックに何があったか、知ってるか?」
ダチュラが、ライラックが任務で不在中に三人の部屋を訪れたのは、ライラックの衝撃の激変があったその翌日のことだった。
丁度、ルピナスとウィステリアは就寝しようとしているところだった。
ルピナスとウィステリアは、顔を見合わせた。ダチュラが知らないなんて。基本的にダチュラはライラックのことをなんでも知っていて、だから二人に教えてくれたことなんてとっくのとうにダチュラにも話していると思っていた。
けれど、そうでないのなら。前世が戻ったなんて話を、勝手に話してしまってもいいのか。
「……いや、知らねぇけど」
結局黙ることを選んだルピナスに、ふうん? とダチュラは片眉を上げる。
「知ってそうだな。ウィステリア、吐け」
ちょっ、とウィステリアを振り返った瞬間、彼女はうつろな顔で口を開いた。
「……前世の記憶が、戻ったって」
「おいダチュラ! っお前!」
いきなり精神操作をつかうなんて、卑怯だ。それも、いちばん弱いウィステリアを標的にするなんて。いや、ルピナスだったとしても抵抗はできなかっただろうけど。
ルピナスが噛み付いても、ダチュラは知らん顔だ。
すぐに精神操作を解いたらしく、気がついたウィステリアは目を見開いて自分の口をぱっと抑えた。
「前世だぁ? だがあいつがそう言ったならそうなんだろうな。他に何か言ってたか」
知られてしまったなら、もうどうしようも無い。ルピナスは渋々口を開く。
「……前世では明るい人格だったから、思い出したら明るくなったって。俺らだってそんな詳しくは知らなくて、これからこんな感じだから慣れろって言われただけだよ」
「ふうん……一昨日の任務のことは、なにか話していたか」
「一昨日って……殺しの任務のことか? なんも聞いてねえよ」
「やっぱりな……」
顎に手を当て、ダチュラは何かを考え込む素振りを見せる。ルピナスは眉を寄せた。
「なんだよやっぱりって、それがライラックの変わり様となんか関係あるのか?」
「さぁな。まあいい。分かった。邪魔したな」
そのまま部屋を出ていこうとしたダチュラは、一歩外に踏み出したところで、止まって振り向いた。
「ルピナス、ウィステリア。お前ら、ライラックのこと見てろよ」
「見てろって……どういう意味だよ」
「あいつ、多分なんか隠してやがる。あれは……」
ダチュラは言葉を切り、言葉を探すように視線をルピナスたちから逸らせた。
「なんつうか……危険だ」
「はぁ? 危険ってなんだよ」
ルピナスの言葉に反応することなく、ダチュラは部屋を出ていってしまう。
「おいダチュラ!」
そのままバタンと部屋の扉が閉まり、ルピナスは立ち尽くした。
「……どういうことだよ。ライラックが危険なはずねぇだろ……」
呟きながらウィステリアの方を振り向き、あっとなる。
「そういやウィステリア、大丈夫か? 精神操作」
ウィステリアは、心配そうに寄ってきたルピナスにこくりと頷いた。
「……でも、ライラックの、記憶のこと……言っちゃった、ダチュラに」
「あれはしょうがねぇよ。ライラックも責めやしねぇって」
そういえば、今までの無表情なライラックは何かミス等を責めるときは無言の圧がすごく、目線がきつくてかなり怖かった。朗らかな表情になった今のライラックは、果たして怒るのだろうか。
「……何考えてるか、わからない」
「ん? ああ、ライラックがか?」
うん、と頷くウィステリアに、ルピナスは確かに、と頷く。
何かを隠している、とダチュラは言った。まだ一、二年しかライラックと付き合いのないルピナスやウィステリアより、ダチュラの方がよっぽどライラックを分かっているだろうし、そのダチュラが言うのならきっとそうなのだろう。
「危険って、どういう意味なんだろうな……」
「……わからない」
得体のしれないなにか危ないものが迫ってきているような気がして、ルピナスはぶるりと身を震わせた。
***
変わってしまったライラックは、それでもやはりライラックだった。
魔術はいつだって凄くて、ルピナスとウィステリアでは到底敵わないし、訓練で組織の下っ端構成員をいつもの如く叩きのめしては時々ダチュラにやり過ぎと注意される。任務だって完璧にこなし、決して敵相手に容赦しない、いつもの鬼畜少女だった。
ただ、よく笑う。そしてよく喋る。いつもだったら一言で返ってくる返事が、すらすらと文章で返ってくる。たまに皮肉やら揶揄いを交えながら。
アイーマの他の組員もライラックの変化には驚いていたようだったが、そう親交が深いものもおらず、そこまで気になっている感じでもなさそうだ。
一週間も経てば、明るくよく話すライラックにルピナスも段々と慣れていった。
対して、ウィステリアは、ずっと慣れないようだった。
ウィステリアとライラックの関係は、傍から見ていても随分変わったように思う。
以前は、どちらも無言で、たまにライラックが必要最低限の連絡事項などを話すだけだった。ウィステリアはそれに頷いて従うだけ。
それが今、ライラックはウィステリアに質問をするようになったのだ。ウィステリアはどう思う? とか、調子はどうだとかを、聞くようになった。
ライラックより年下で、アイーマに入って約一年は経ったもののまだまだライラックより弱いウィステリアのことを、ライラックが気にかけるのはいい事だとルピナスは思った。
あの夜帰ってきたライラックに、ダチュラに前世の記憶の話をしてしまったことをウィステリアが伝えたときも、ライラックはあっそう、別に全然問題ないよ、と笑っただけだった。
なにも、問題などないような気がした。
そんなルピナスに、ある夜──また、ライラックが任務で不在の夜だ──ウィステリアが尋ねた。
「ライラックの……感情、わかる?」
「え……いや、分かる……だろ」
ウィステリアの言葉の意味がよく分からず、ルピナスは頭をひねる。だって、本人の宣言通り、ライラックは表情が分かりやすくなった。その証拠に、よく笑うし。
「今日、ライラック……怪我してた」
「……えっ?」
「湯浴みのとき。腰あたり、包帯巻いてて……血、滲んでたから。結構、深そうだった」
「えっ……けど、ライラック、全然素振り見せてなかったし。今日も明るくて元気だったよな……?」
言いながら、ルピナスは急に足元の地面が崩れ落ちるような感覚に陥った。
──元々ライラックは表情をあまり動かさなかった。けれど、怪我をしたときはすぐに気づいた。だっていつもより更に口数が少なくなって、無表情なりに雰囲気がずんと重くなって、周りにあまり反応しなくなるのだ。
じゃあ、今日は? 笑顔だった。食事の時ルピナスの手がコップに当たって水を零してしまったのを、呆れたように笑っていた。ドジなの? と茶化しながら一瞬で魔術で水を再び満たしてくれた。
「ずっと、元気。痛いのも、見せない。怪我してるって言ったら、ちょっとね、って、肩竦めて、笑ってた」
──前のライラックは、無表情だったから。小さな仕草や、僅かな口元の変化が目立った。それで、嬉しいだとか落ち込んでいるとかが分かった。
じゃあ、今は。
「敢えて、感情を隠そうとしている……?」
作られた笑顔は完璧だった。だってこうして、ルピナスは騙されていた。
ウィステリアは不安げにルピナスの顔を見上げてくる。
慰めるような言葉をかけようとしたけれど、いい言葉が見つからない。
気がついてしまうと、いつだって笑っている今のライラックが、得体の知れない者に感じられて仕方がなかった。




