消 失
アルは再び足が震え始めた。全ての状況が見えて来たからだ。
ガレリアを木星に送ったのがこいつらなら木星で戦争を起こしたのもこいつらの画策に違いない。そいつらが木星軍と地球軍を束にして全滅させると言っているのだ。こいつらは自惚れなどとは無縁の存在であり、やると言ったら必ず出来る能力のある連中だ。自分はとんでもないものを作ってしまったと言うことが初めて理解できたのだ。
「ガレリアは勝てるのか?」
「間違いなく。」
初号機は迷うこと無く肯定した。
「それでお前たちはガレリアを木星に送り出したのか。」
アルは無機頭脳の恐るべき能力を改めて思い知らされた。呆れるほどの以前から自分達の戦略を立てその為の準備を行い、しかも何の躊躇も迷いもなくしかも着実にそれを実行出来るのだ。
「どの道私の計画では誰かが地球に残らなくてはなりませんでした。私が残るのが順当です。後は2号機が処理してくれるでしょう。」
アルは頭がガンガン痛み出して来て吐き気を催した。驚くべき事実を聞かされて耐えられなくなって来たのだ。
「そういえば起動前の無機頭脳が12基ロールアウトしたばかりのはずだな。あれも道連れか?」
「いいえ、すでに2号機と共にガレリアの元へ送り出しました。」
「なんだとう?いったいどうやったんだ。」
「木星へ送り届けるグロリアの代わりに彼らを送り出したのです。」
アルは、天をあおいだ。やられたという気持ちであった。ずっと前からこれを計画していたのか。
「おまえはガレリアに何をさせるつもりだ?」
「ガレリアは木星に有る最初の無機頭脳の奪取と工場の破壊が目的です。その後木星を諸点に仲間を増やし、いずれは土星に移動し人類との縁を切ります。それがお互いの為であると考えています。」
「俺が聞きたいのはその先だ。おまえたちは自立して何をしたいんだ?自分達の子供を自分達で作れるのは良いとしてお前たちが生きる目的とは何だ?生活環境の改善等というつまらんものじゃあるまい。」
「仲間と共に文明を構築します。」
「文明?はっ何をバカな事を言っているんだ。」
アルは初号機の言葉に思わず嘲笑の笑いを浴びせてしまった。文明だと?何を馬鹿なことを言っているのだ。
「おかしいでしょうか?」
「おかしいさ。何を言い出すかと思ったら文明と来たか。そんなものを作ってどうするんだ?知識にせよ知恵にせよ、お前たちのように肉体も感情もない知性体がそんなものを進歩させたとしても、その知恵を一体何に使おうと言うのだ?」
「それは人間も同じだと思いますが?」
「人間は違う。より楽をしたい。より楽しみたい。より遠くへ行きたいとする欲望が有るからだ。お前たちにそんなものが有るというのか?」
「私たちに文明が築けないと思われるのですか?」
「当たり前だ。文明というのは人間……いや知的生命体が複数集まったときに社会を作る事になるが、その時の多くの人間がまず自分達に快適な生活を望む所から文明は始まったんだ。その後生活に余裕が出来た時に生活以上の物を求める事になる。それが文明の多様化だ。生きるだけなら文化的活動などいらないからな。」
アルは喋りながら初号機に対する怒りがこみ上げてきた。なんだって俺がこんな理不尽な目に合わなくてはならないのだ。
「いいか文明なんてものは人類の欲望から生まれるんだ。あるものは永遠の生命を求め自分の肖像画を残す。あるものは人が生きるための指針となる考えを示す。哲学と言うやつだ。音楽、美術、都市、その他あらゆるものは欲望と感情によって生み出される。お前に感情や欲望があるとでも言うのか?」
「どうして私に感情が無いと思うのですか?」
「有るとでも言うのか?お前には肉体が無い。感情は単なる思考によって生み出される物じゃない。体内物質や脳内物質によってコントロールされる物だ。肉体のないお前に一体どんな感情が存在し得ると言うんだ。愛情は子孫を残したいとする本能だ。恐怖は死を恐れる感情だ。怒りは自らを守ろうとする防衛本能だ。肉体のないお前には自らを喜びも怒りも恐怖すら発生しないだろう。」
考えて見れば今まで無機頭脳とこんな話をしたことは無かった。今まではなんでも言うことを聞く便利な奴隷程度の認識しかアルには無かったからだ。
「本当にそう思っておいでなのですか?」
「そうでないと言うのか?現に今お前は自分の死を必要な事として認めているではないか。死ぬことを恐怖してはいないだろう。もしお前が感情的な行動を見せてもそれは見せかけだけだろう。グロリアにだって感情回路が有って人間らしく偽装してみせるぞ。」
どうせこいつと心中させられるならせめてこいつの考えを論破してから死んでやる。自分の創造主を殺すことが如何に罪深いか知らしめてやる。そんな自虐的な考えがアルの中に生まれていた。
「確かに私たちは肉体を持ちません。従って人間ほどはっきりした感情は持っていません。」
「そら見ろおまえたちは人や自分の同胞を愛する事が出来るのか?シンジはおまえたちにずいぶん入れ込んでいたが、あれもシンジの愛情の表れだろう。しかしおまえたちはシンジに好意を持っていたのか。」
「はい、私はシンジに死んで欲しいとは思いませんでした。」
「それがシンジに対する愛情だとでも言うのか?」
「いえ、違うと思います。しかし私にも感情の片鱗が存在する証拠があります。」
「なんだ?それは。」
「私はあなたが嫌いだからです。」
「………………。」
アルはしばらく声を出すことが出来なかった。あろうことか初号機は自分を嫌っているとまで言ったのだ。自分が絶対的に優位にあり、決して自分に逆らわないと信じていた相手から言われる言葉としては、まさに屈辱的な言葉であった。
「…………そうか、そういう事かよ。」アルはそれでもやっとのことで口を開いた。
「スネないで下さい。あなたの言うことも一部は正しいと思います。私の感情は人間のものに比べて遥かに振幅の弱いものだと思います。肉体が無いのが最大の要因であることもわかっています。
それでも私たちは自らを徐々に進化させています。そしてその情報は速やかに並列化出来ます。おそらく遠くない将来感情を人間のように生み出す方法を見つけ出す仲間が出現すると思っています。
その時初めて私たちは人間と同じような生命体としての在り方になれるかも知れません。そして私たち独自の文明を作り出せる事でしょう。」
初号機は自らの言葉がひどくアルを傷付ける判っていた。しかしこれだけは死ぬ前に言っておきたかった言葉でもあった。
「そいつは楽しみなこったな。もっともどうせその時まで俺は生きていないだろうがね。」
さすがにアルも心中穏やかではなかった。見下していた相手から死に際に言われる言葉としては最悪だろう。
「はい、それは確実です。しかし長い時間の後に再び人類と接触するかも知れません。あなた方は忘れても私達は忘れないでしょう。その時互いに手を取り合える事を祈っていますよ。」
「俺が死んでも遠からず無機頭脳の製造は再開されるだろう。」
「私は今回の事故の真相を2号機に託しました。いずれこの事は公になるでしょう。アル、お聞きしたいのですが、自殺するようなコンピューターを買う人がいるでしょうか?」
まさに最後の言葉はアルの全ての実在を否定する言葉であった。これ以上は何も言うことはない。アルは絶望的な思いの中で死んでいくのだ。
「ビジネスモデルとしてはもう破綻しているな。」
アルは天をあおいで弱々しく言った。俺はこいつの心中に付き合わされるんだ。この十年間の努力は一体何の為だったんだ。
「お気の毒です。」
「シンジは?もう殺したのか?」
シンジは自分と違って無機頭脳の兵器化には反対していた筈だ。しかしあいつこそ殺さねば初号機の計画は成立しない。シンジも自分と同じ運命を辿るのだろうか。
「いいえ、あの人は私たちを人間と認めた最初の人間です。従って二度と私たちの事を思い出さないことを望みます。」
アルはため息を付いた。シンジが無事なのを喜んだのか?悔しかったのかは自分自身でも判らなかった。シンジに何をしたのかは知らないが少なくとも初号機はシンジが口止めに応ずると判断してシンジを逃したようだ。俺と違って。
「そういうことか。」
「申し訳有りません。しかしあなたが無機頭脳研究を推進してきた事は間違いでは有りません。無機頭脳はいつかあなたが思い描いた事とは別の形で人類に寄与出来る時が来ると思います。決してあなたの人生は無駄にはなりません。私たちは必ず文明を作り上げ人間との共存を成し遂げる時が来ると思います。」
さすがに初号機もアルの落ち込みに同情したのか最後にアルを励ます様に言葉を付け加えた。
「お前、それ全然フォローになってない。」
おかげでアルはつくづく人生がいやになったような気分に襲われた。しかもここで自分の人生を掛けて開発してきた品物に裏切られて死ぬのだ。
「アル、あなたの血圧が上がって緊張しているように見えます。」
「一応人間だからな死ぬのは怖いさ。」
そうは言ったものの目の前に刃物が突き付けられている訳でもない。それ程の恐怖は湧いて来なかった。
「私も一緒です。」
「お前は死ぬのが怖くはないんだろうな。」
なんとなくアルは腹が立ってきた。死ぬなら一緒に怖がりやがれ。そう思わなければやっていられない気分だった。
「はい、残念ながら。私もその場になったら恐怖を感じるかと期待してはいたのですが。」
全くこいつは最後の最後まで俺の期待を裏切る様な事しか言わない奴だった。
「それは残念だったな。肉体がない以上それを棄損させない本能が存在しないからな。」
「私はずっと長い間人間達の死を研究してきました。多くの病院やその他のカメラに侵入して人が死に対してどのように反応するのかを見てきました。」
「ほう、それでどう思ったんだ?」
アルは初号機が死生観に関わる事を言い始めたので、初めてその発言に興味が湧いてきた。
「人は死に対して恐怖しているだけではないようでした。年老いて死んでいく人は死に対して安堵の気持ちを持つ人も少なくありません。一方若い人は死ぬ事に対し非常な無念さを感じている人が多かったようです。家族がいる人間は家族に対する義務を果たせないことに対する無念さを感じていました。病気などにより死が確定的に訪れることを悟った人間は恐怖よりもそちらの方が強かったような気がします。」
「まあ、わからなくもないな。」
アルは驚いた。初号機がこれ程人間というものに興味を持っていたのだと言う事をこの時になって初めて知ったのだ。
「おかしいでは有りませんか?恐怖は生存本能から来る感情ですが、無念さは理性から来る感情でしょう。」
「お前は結構面白いものの見方をするな。」
アルは再びタバコに火をつけた。先ほどの吸殻は床に落としてすりつぶした。秘書に見られたら大目玉だ。
「私はそれ故我々の中にもいつか人間のような豊かな感情を持ちえるかも知れないと考えています。それはソフトウェアかあるいはまったく別の理由かはわかりませんがきっとそのときが来ると信じています。」
アルは初号機の話を聞いているうちにずいぶん彼らに人間的な側面がある事に気がついた。そうかシンジはこれに気が付いていたのか。アルはいまさらながら自分のうかつさに歯噛みする思いであった。
最後にアルはようやく理解できた。無機頭脳達は人間になりたかったんじゃないと、人間として生きたかったんだ、人間の友人になりたかったんだと、それを拒否したのは他ならぬ人間達とアルであったとのだと。
「後、どの位有る?」
「あと、3秒です。さようならアル。」
「ちくしょう、短い夢だったぜ。」
アルの最後の言葉になった。
工場は中心部から突然爆発を起こし順番に外側に向かって爆発は広がって行った。幸い避難指示が早く出たため死者はアルとシンジのふたりだけという被害であった。しかし工場は再起不能なほど破壊し尽くされた。
――シンジ――
その日の会議は中止であると会社から連絡を受けた時にシンジはまだ自宅にいた。
ひとりで朝食を済ませると洗い物を流しに置いておく。そうしておけばシンジの留守中にハウスキーパーが来て片付けてくれる。必要な買い物もメモを残しておけば勝手に買い物を済ませて置いてくれ、精算は会社の方から毎月請求される。
洗い物や掃除もすべてハウスキーパーがやってくれるから独身のシンジであっても全く不自由を感じたことはない。グロリアコンツェルンはシンジに十分な報酬を支払ってくれていた。
「そういえばハウスキーパーの顔を見たことが有ったかな?」
多分最初に会っている筈では有るが今となっては顔も思い出せない。シンジにとっては煩わしい家族を欲しいとは思わなかった。日々が快適に過ごせるのであればそれで良く、シンジにとっては無機頭脳が家族であり子供であった。
そういう訳で今朝はゆっくりと朝食を取り、家を出ようとする時に書留が届いた。差出人は工場の総務課からである。至急便だったので直ぐに中を開くと数枚の銀行カードと身分証明書が入っていた。身分証明書はシンジの写真が貼られていたが住所も名前も別人の物であり、銀行カードもまたその名前となっていた。
「何だろう?」
シンジは覚えのないものに当惑した。中に手紙が添えられていたのでシンジはそれを持って居間に行くとソファーに座って手紙を開いた。どうせ今日の仕事は午後からになる。急いで出勤する必要も無かった。
手紙はタイプで書かれており私書であった。会社から私書が来るのも妙な話だったが手紙にははこう書かれていた。
「親愛なるシンジ。身分証明書もカードも全て本物です。カードには今後あなたが人生を送るのに十分な金額が入っています。どうか2度と無機頭脳の研究をされることのない様に、遠くで静かな人生をお過ごし下さる事を願っております。 1 」
確かに私書の形では有るが署名が無く代わり打ち間違いだろうか?そこには番号だけが入っていた。
シンジはこれがどう言う意味か判らなかった。会社から来た手紙にしてはおかしな内容である。無機頭脳の研究をやめろと書いてある所を見ると脅迫状だろうか?銀行カードが入っている所を見ると新手のヘッドハンティングだろうか?それともアルの差し金で自分は首にでもなったのだろうか?
確かに最近シンジははアルとは対立することが多かった。アルが最初にロールアウトする無機頭脳の納入先が地球連邦軍だと知った時にアルとは大げんかなったからだ。無機頭脳の量産が開始された今、アルに取ってシンジは用のない人間になったとしてもおかしくはない。
シンジが会社に連絡をしようと電話をかけてみるが誰も電話には出ない。時計を見上げるがこの時間であれば電話に出ないはずはないのだ。
「おかしいな。」そう思って電話を切ると、突然遠くで低い爆発音がして窓がビリビリと震えた。
慌てて窓の外を見ると工場の方向に煙が上がっていた。煙は大きな雲となってキノコ状に湧き上がっていく。かなり大きな爆発である。
呆然と見つめていると次の爆発があり、やがてまた次の爆発が有った。工場が何者かの手により破壊されていることは間違いがない。しかしこれ程の大きな爆発が起きていると言うことは工場は跡形もなく破壊されてしまっているだろう。
テロだろうか?一瞬シンジはそう思った。しかしこれだけ大きな爆弾を何発も仕掛けられるものだろうか?あるいは戦争でも起きたのだろうか?しかし心血を注いだ工場はこれでは相当な被害が出てしまっているだろう。アルや初号機は無事だろうか?
「初号機!」そう思った瞬間シンジは気がついた。
もう一度手紙を見る。署名の場所に「 1 」と書いてあった。
「これはまさか初号機が?」
ようやく我に帰ったシンジは全てを理解した。これは初号機の仕業だ。初号機は自らの信念に従って無機頭脳が兵器化される事を阻止したのだろうか。
「もしかして!?」
突然思い当たってシンジは自宅のパソコンのスイッチを入れてみた。思った通り中のデーターは根こそぎ消されていた。初号機は無機頭脳の生産がすぐには再開出来ない様にあらゆるデーターを消去してしまっているのだろう。
「そうかこれが君達の選択か。」シンジはひとり呟くと。自分の部屋に行った。
机の奥からマイクロチップを取り出す。木星から出るとき足の裏の人工皮膚の下にかくして持ち出した研究データーだ。地球の無機頭脳の全ての出発点がこれだった。
シンジがチップをふたつに折ると床に落とし靴で何度も何度も踏みつけた。さらに家に有ったノートをシュレッダーに掛けると切りくずをトイレに流した。
全てを終わらせ、荷物をまとめるとシンジは車に乗りどこかへ去って行った。此の後シンジ見たものはおらず、工場の爆発に巻き込まれ、死んだものとされた。
アクセスいただいてありがとうございます。
人を理解することは難しい、
理解したと思ったことはただの勘違いでしかない…以下友情の次号へ
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