第3話 3時のマカロンとティーカップ
午後の柔らかな陽射しが、魔王城の大きな窓から静かに差し込んでいた。
魔王は壁に掛けられた時計を見上げ、小さく頷く。
「3時だ」
そう呟くと、慣れた手つきでエプロンを身につけ、食堂の厨房へと入っていく。
棚から小麦粉、アーモンドプードル、粉砂糖を取り出し、丁寧に計量していく姿は、まるで長年菓子職人をしてきたかのように無駄がない。
「今日は何を作るんです?」
食器を片付けながらクロウが尋ねると、魔王は嬉しそうに振り返った。
「マカロン」
「……またですか」
「まただよ」
にこりと笑う魔王に、クロウは苦笑する。
「そんなに好きなんですか?」
「うん」
迷いなく、嬉しそうに魔王は頷く。
「甘い物を食べるとね、幸せな気持ちになれるから。」
その答えにクロウは少しだけ目を細めた。
どこか、懐かしい記憶を思い出すように。
「魔王様らしい理由ですね」
魔王は卵白を泡立てながら、どこか楽しそうに鼻歌を歌い始める。
静かな厨房に、泡立て器の軽やかな音が響く。
カシャ、カシャ、カシャ……
窓の外では、小鳥が枝から枝へ飛び移っていた。
今日の魔王城は、とても静かだった。
魔王はふと窓の外を見つめ、小さく呟く。
「今日は来ないみたいだね」
クロウは何も聞き返さなかった。
誰のことを言っているのか、聞かなくても分かっていたからだ。
「じゃあ、今日は二人分ですね」
その言葉に、魔王は少しだけ笑って頷いた。
「うん。でも、多めに作ろうかな」
「……予備ですか?」
「そう」
優しく微笑みながら、生地を絞る。
「誰かが来るかもしれないから」
クロウはその横顔を見つめ、静かに笑った。
「でしたら、紅茶も少し多めに淹れておきます」
「ありがとう」
今日も魔王城では、穏やかな時間がゆっくりと流れていた。
クロウは棚から茶葉の缶を取り出し、静かに蓋を開けた。
ふわり、と爽やかな香りが厨房いっぱいに広がる。
「今日はダージリンにしますか」
「いいね」
魔王は焼き上がったマカロンをオーブンから取り出し、満足そうに眺めた。
「綺麗に焼けた」
「毎回思いますが、本当に上手ですね」
「何回も失敗したからね」
魔王は少し照れくさそうに笑って、マカロンを見つめた。
「最初は全部ひび割れちゃったよねぇ」
「覚えてませんよ」
「クロウも笑ってたよ」
「……そうかも知れません」
二人は顔を見合わせ、くすりと笑った。
魔王は丁寧にクリームを挟み、一つ一つ皿へ並べていく。
「はい、完成」
丸く可愛らしいマカロンが6つ。
「食べに来ないかな」
「魔王様が待つなんて、初めてですね」
「そうだね」
魔王はマカロンを2つずつ小皿に取り分け、残りのマカロンをしばらく見つめ、小皿へ移し替えると窓際に持っていく。
「窓際に置いておこう」
「冷めますよ?」
「うん」
魔王はマカロンが2つ乗った皿を見つめながら優しく笑った。
「でも、誰かが来た時に『もうないよ』は寂しいから」
クロウは返事をしなかった。
代わりに、湯気の立つティーポットを静かにテーブルへカップを3つ置く。
「クロウ?」
「…癖ですね」
魔王は思わず吹き出した。
「ふふっ」
「人のこと笑えませんよ、魔王様」
二人で笑い合う食堂は、とても静かだった。
外では風が畑を揺らし、小鳥が楽しそうに囀っている。
魔王城には全く似合わない情景だが、これが魔王とクロウの日常だった。
魔王は窓の外を眺めながら、ゆっくりと紅茶を口に運んだ。
「今日は静かだ」
「はい」
「畑も元気」
「はい」
「トマトも甘くなりそう」
「はい」
魔王のとりとめのない話に頷き、クロウは一口紅茶を飲み、小さく笑う。
「……勇者様が来ない日は、話題が畑しかありませんね」
魔王は少し考えてから、真面目な顔で頷いた。
「畑は毎日違うからね」
「そんな真剣な顔しなくても」
その言葉に魔王は目を丸くしたあと、嬉しそうに笑った。
「それもそうだ」
窓際のマカロンは、午後の陽射しを浴びながら静かにそこに置かれていた。
誰も食べないかもしれない。
それでも魔王は片付けようとはしなかった。
「また今度、一緒に食べよう」
誰に聞かせるでもなく呟いたその言葉を、クロウだけが静かに聞いていた。
————勇者。
今日もどこかで頑張っているのかな。
疲れたら、その歩みを止めて、マカロンを食べにおいで。




