第20話 エルピス
数日後、魔王城の扉が静かに開かれた。
クロウはゆっくりと顔を上げ、微笑むと真っ直ぐ前を見つめた。
「いらっしゃいませ、エルピス様」
名前を呼ばれたエルピスも真っ直ぐクロウを見つめた。
———クロウが、初めて自分の名前を呼んだ。
魔王もクロウも包み隠さずに全てを話してくれるのだという事が、エルピスには感じられた。
エルピスは一歩、クロウへと歩み寄り口を開いた。
「約束だ。今日は全部聞く」
クロウはただ静かに頷いた。
「魔王様がお待ちしております」
応接室ではルシウスが紅茶を二つ用意し、静かに窓の外を眺めていた。
「来たね」
「約束だからな」
「うん」
ルシウスは微笑み、向かいの席を勧めた。
「座って」
エルピスは何も言わず椅子へ腰を下ろす。
今日だけは紅茶の話も畑の話もクッキーの話もない。
静かな時間だけが流れ、魔王はティーカップへ視線を落とす。
揺れる湯気を見つめながら、悩ましい目をしていた。
「……何から話そうかな」
「最初から、全部だ」
悩む魔王にエルピスは即答した。
エルピスの返事に魔王はゆっくり頷き、微笑んだ。
「分かった」
魔王は一度だけ深呼吸をする。
「この世界にはね、昔から、一つの法則があるんだ」
エルピスは静かに耳を傾けた。
「魔法を持つ勇者が魔王を討伐すると次の魔王になる」
エルピスは数秒、言葉を失った。
「……は?」
戸惑うエルピスを見つめながら魔王は静かに続けた。
「魔王は、生まれつき存在するんじゃない。勇者が魔王になるんだ」
「そんな……」
「信じられないよね」
魔王は苦く笑った。
信じられなくて、当然。
むしろ初めからこの話をして、受け入れた勇者はいなかった。
「僕も最初はそうだった」
「最初……?」
魔王はゆっくりと目を閉じた。
「僕も昔は勇者だった。」
静かな部屋に、その一言だけが響いた。
「…………」
エルピスは息を呑んだ。
何も言えない。
何も理解できなかった。
目の前に座る魔王は角も生えていて、どう見ても魔族だ。
だけど…本当に勇者だったとしたなら、先日の剣の腕前の理由がつくと思えた。
「だから、僕は魔王なんだ」
魔王は穏やかな笑顔のまま言った。
まだ真実を飲み込めないエルピスは震えた声で問う。
「ソーマさんやレンさんは…」
「この話を知ってるよ」
「あの二人……」
「うん、だから討伐しなかった」
エルピスの中ですべてが繋がった。
ソーマとレンに初めて会った日から感じ始め、大きくなった違和感。
魔王と笑い合って、紅茶とマカロンを楽しみ、まるで友達のように語り合っていた。
そして、ソーマが「ルシ……」と言いかけたこと、あれは魔王の名前だったのではないだろうか。
2人の魔王との空気感も……討伐しなかった理由も……。
「…………」
エルピスは静かに俯いた。
「だから俺と戦わなかったのか」
ルシウスは首を横に振る。
「違う」
「え?」
「君だから、戦いたくなかった」
「…………」
「君を…歴代のどの勇者よりも優しさと勇気に溢れた君を」
魔王は優しく笑った。
その笑顔は今まで見てきた魔王のどの笑顔よりも優しかった。
「次の魔王にしたくなかったんだ」
エルピスは拳を握り締めた。
胸が痛かった。
今まで自分はこの人を倒そうとしていた。
世界を守るためだと信じて。
でもこの人は、自分を守ろうとしていた。
クロウは静かに二人を見守っている。
長い沈黙のあと。
エルピスは小さく口を開いた。
「……魔王…名前はあるのか?」
エルピスの言葉に魔王の瞳が揺れ、魔王は少し俯いた。
———人間だった頃の名前は魔王となった時から捨ててしまった。
ソーマにはあまりにもしつこく聞かれて、口を滑らせてしまったけれど…。
魔王は顔をあげるとクロウへと視線を向けた。
———クロウなら、どうする?
魔王の視線を受けて、クロウは目を閉じ、開くと、魔王へとただ静かに頷いた。
(魔王様、この子には伝えるべきです…)
魔王は視線をエルピスへと向けると、その目を真っ直ぐに見つめた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……ルシウス」
その名を聞いた瞬間、エルピスは目を見開いた。
確信したのだ。
この人は、本当に勇者だったという事を。
しばらく、応接室に沈黙が流れていた。
やがて、エルピスは口を開いた。
「…全部、話てくれた?」
「うん、全部」
ルシウスは紅茶のカップを手に取り、穏やかに笑った。
その微笑みは、もう隠し事などない。と言っている顔だった。
エルピスは立ち上がり、静かに応接室を去ろうと扉に手を掛けた時だった。
「やっぱ…歴代の勇者ってみんな魔法使えるんだ…」
そして、大きな溜息をついた。
「なんで俺、魔法使えないんだろう…」
エルピスの言葉でルシウスの動きが止まった。
「…………え?」
クロウも目を見開き、エルピスを見つめていた。
「…………」
しかし、そんな視線にエルピスは気が付かず、そのまま出て行ってしまった。
「ねぇ、クロウ…今、魔法使えないって言った?」
「……言いましたね…」
2人はしばらく驚いた顔で見つめ合った。
やがて、ルシウスは小さく息を吐くとゆっくりと目を閉じる。
その肩は小さく震えていた。
クロウは静かに目を伏せていた。
「……魔王様」
クロウの優しい呟きに、ルシウスは小さく笑った。
そして、涙が一粒だけ頬を伝った。
何百年も。
待ち続けた。
たった一つの希望が。
「そうか……ようやく、終われるかもしれない」
───今日の勇者。
今日、初めて本当の僕を知ってくれた。
そして、何百年も探し続けた希望が、
ようやく僕の前に現れた。
ありがとう。
エルピス。




