第1話 朝ごはん
長い旅の末、この魔王城の黒曜石の間に辿り着いた。
ついに、魔王を倒すんだ。
勇者は剣を持つ手に力を込めて、黒曜石の間の扉を押し開き、叫んだ。
「魔王ッ!!今日こそ、お前を…………いない?」
鳥のさえずりが森に響く。
雲ひとつない青空の下。
魔王城の裏庭では、一人の男が土を耕していた。
「よし……今日は機嫌がいいな」
しゃがみ込み、赤く色付いたトマトをそっと撫で、愛しそうな表情を見せる。
「あと二日……いや、明日でもいけるか?」
満足そうに頷くその姿は、世界を恐怖に陥れる魔王というより、収穫を楽しみにする農家そのものだった。
ジョウロで水を撒き、雑草を一本抜く。
「今年のナスは去年より出来がいいな。ツヤが素晴らしい」
そんな平和な時間をぶち壊すように、遠くから絶叫が響いた。
「魔王様ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
城内から飛び出してきた側近のクロウが、全力疾走で畑へ駆け込んできた。
「……うるさいなぁ」
「うるさいなぁ。じゃ、ないです!!」
息を切らしながら魔王の前まで来たクロウは、膝に手をついて叫ぶ。
「勇者です!!」
「…………」
「勇者が来ちゃってますって!!」
魔王はゆっくり立ち上がり、空を見上げた。
「もう来たのかぁ……朝早いなぁ」
心底困ったように頭を掻く。
「胡瓜の収穫してからじゃダメか」
「ダメです!!」
「いや、でも胡瓜は朝に収穫しないとさ、オバケに…」
「オバケ胡瓜でも大丈夫ですから!!」
魔王は畑を名残惜しそうに見つめた。
「……せめて水だけ」
「魔王様ぁぁぁぁ!!」
クロウのツッコミが晴れ渡った空に響き渡った。
魔王はやれやれと肩を落としながら、畑の入口に無造作に掛けておいた黒いマントを羽織り、黒曜石の間へと向かった。
「魔王ーーーッ!!逃げたのかよ!!」
黒曜石の間には魔王を探す勇者の声が響き、反響していた。
魔王は真底嫌そうに大きく息を吐くと、黒曜石の間へと足を踏み入れた。
「お前が勇者か」
落ち着いた、低い声が黒曜石の間に響くと勇者が魔王を見据えた。
剣を構え、今にも斬りかかって来そうな剣幕だ。
魔王はそんな勇者を見ながら小さく息を吐いた。
────また、勇者がやって来た……。
魔王が一歩踏み出すと、勇者が魔王へと一直線に走り出す。
「覚悟しろ、魔王!」
勇者の言葉を聞くと、魔王はスっと右手をあげた。
勇者が魔法攻撃か?!とその足を止めた時、魔王がゆっくりと口を開いた。
「朝ごはん、一緒に食べよう?」
「………は?」
黒曜石の間に、勇者の間抜けな声が静かにこだました。
側近は魔王の後ろで、額に手を当てて盛大なため息をついていた。
勇者はしばらく固まったあと、ゆっくりと剣を納めた。
「…………分かった」
クロウが目を見開く。
「えっ」
勇者は額に手を当て、大きくため息をつく。
「戦う気がない相手を斬るほど、俺も落ちぶれてない」
「ありがとうございます!」
クロウは思わず頭を下げた。
「ただし、飯を食ったら勝負だ」
勇者が魔王を睨みつけるのと対照的に魔王はにこやかな笑みを称えている。
「うん」
「軽いな!」
「約束するよ」
その笑顔が妙に真っ直ぐで、勇者は少しだけ拍子抜けした。
数分後。
食堂の長いテーブルの上には、焼きたてのパン、湯気の立つ野菜スープ、採れたてのサラダ、ふわふわのスクランブルエッグが並べられていた。
「…………」
勇者は料理と魔王を交互に見ていた。これは現実なのか?魔王の食事があまりにも人間的過ぎて、イメージが崩れそうだ。
「全部……手作り?」
「うん」
「料理長とかは?」
「いないよ」
「魔王なのに?」
「料理好きだから」
クロウがパンをちぎりながら言う。
「この人、趣味が料理なんです」
「魔王の趣味がおかしい」
「気が合うね」
魔王はパンを勇者の皿へ置いた。
「はい、どうぞ」
「…………」
「食べないの?」
魔王の趣味が料理?
そんな訳ない。
きっとこれは、俺を油断させる作戦で、普段の食事はきっと………想像するのも恐ろしい物に違いない。
出された料理も油断出来ない。
「毒入りだろ」
「そんな事しないよ〜」
「信用できると思うか?」
魔王は勇者の鋭い視線に「あ、そっか」と呟くと勇者の皿からパンを一つ取り、もぐもぐ食べ始めた。
「ほら」
「証明になってないわ!」
「美味しい」
「感想はいらん!」
そのやり取りをクロウはスープを飲みながら苦笑した。
「勇者様」
「なんだ」
「毒を入れるなんて卑怯な事、この方はしませんよ」
勇者はゆっくりとクロウを見た後、魔王へ視線を向ける。
魔王はにこやかにパンを頬張っていて、クロウは静かに頷いた。
「さて、いただきます」
魔王が両手を合わせると、クロウも続く。
「いただきます」
二人とも食べ始め、勇者だけが取り残された。
ぐぅぅぅ……
食堂に、やけに大きく響いたその音は勇者のお腹の音だ。
あまりにも美味しそうな匂いが空腹を呼んで、勇者は真っ赤になった。
長旅でこんなにちゃんとした朝食を目にしたのも久しぶりだ。
魔王はパン籠をそっと勇者の前へ寄せる。
「焼きたて、美味しいよ?」
「…………」
勇者は数秒葛藤し、勢いよくパンを掴んだ。
「これは! 戦いのための補給だからな!」
「うん」
「勘違いするなよ!」
「うん」
「……返事が軽い」
パンを頬張る勇者を見ながらは嬉しそうに笑った。
「いっぱいあるよ。おかわりもあるから、慌てないで?」
クロウは天井を見上げ、小さく呟く。
「……勇者様」
「なんだよ」
「もう戻れませんよ」
「なんでだ」
「この人、一回ご飯食べさせた相手は覚えます」
クロウの言葉に勇者の手が止まる。
「…………は?」
魔王は満面の笑みで言った。
「明日もおいで」
「来るかぁぁぁぁぁ!!」
勇者の叫びが、朝の魔王城いっぱいに響き渡った。
————今日の勇者。
朝ごはんを一緒に食べてくれた。
たくさん食べて、元気に旅をしてくれ。
そして、疲れたらまたおいで。




