第12話 今日から君は
差し伸べられた手を少年は、ただ見つめていた。
その手は剣を握る人間の手なのに、不思議と怖くなかった。
「…………」
伸ばしたい。
でも、怖い。
人間は殴り、蹴りつけ、石を投げてくる。
ただ存在しているだけで忌み嫌われる。
「化け物」と、そう呼ばれ続けてきた。
だから身体が動かなかった。
温もりを初めて知ることが出来るように感じていたからだ。
青年は急かす事なく、手を差し伸べたまま、ただ静かに待ってくれていた。
雪だけが二人の間へ降り積もり続けた。
「勇者様!」
兵士が焦ったように声を上げた。
「危険です!離れてください!」
青年は振り返らず、少年を見つめたまま、小さく首を傾げた。
「危険?この子が?私には、怯えている子どもにしか見えない」
その一言に、少年の瞳が大きく揺れた。
怯えている。
そう言ってくれた人は、初めてだった。
魔族だから。
化け物だから。
悪だから。
そう言われる事はあっても────。
「怖かったね」
青年は優しく、少年に微笑みかけた。
「もう大丈夫だよ」
その瞬間だった。
ぽろっ……少年の瞳から、一粒の涙が零れ落ちた。
止まらなかった。
次から次へと涙が溢れる、声も出ない。
少年は、泣き方すら忘れてしまっていたのだ。
青年は何も言わずに少年を愛しそうに見つめていた。
しかし、差し出した手を下ろす事はなかった。
そして、震える小さな手が、ゆっくりと。
本当にゆっくりと伸びていく。
少年がそっと触れたその手は、今まで触れた誰の手よりも温かかった。
青年は静かに少年の手を握ると、声をかけた。
「一緒においで」
その言葉に、少年は戸惑った。
「……え?」
声は掠れ、小さかった。
「うん」
青年は優しく笑う。
「お腹、空いてるだろ?」
少年は小さく頷いた。
もう何日もまともな食事を摂っていなかったのだ。
「まずは温かいスープを飲んで、それから、お風呂だ。そして、ちゃんと眠ろう」
まるで当たり前のように話す青年の様子に、兵士達は信じられないものを見る顔をしていた。
「勇者様!その子は魔族です!」
青年はようやく兵士達を見た。
「知っている」
「ですが!」
「だから?」
静かな声だった。
怒鳴りもしない。
だが、その一言だけで兵士達は口を閉ざした。
青年は少年へ視線を戻した。
「名前は?」
少年は少しだけ俯いた。
「…………ない」
「ない?」
「呼ばれたこと……ない」
少年の言葉に青年は一瞬だけ目を閉じると、柔らかく笑った。
「そうか。じゃあ、一緒に考えようか」
「君の名前を」
少年は目を丸くした。
名前。
自分も、そんなものを持っていいのだろうか。
青年は少年の手を引き、歩き出した。
「行こう。今日から君は、一人じゃない」
少年は勇者の背中を見つめた。
雪の中を歩く、その背中は大きかった。
初めてだった。
この人について行きたい。と、そう思えたのは。
その日、一人の勇者は、一人の小さな魔族を救った。
そしてそれは────
二人の長い物語の、始まりだった。
────さぁ、温まろう。
生きよう。




