31話 『母と娘 転』
昼休み。2階女子トイレ。
ミコトは洗面所で目覚まし代わりに顔を洗うと、ハンカチで顔を拭く。
「は、恥ずかしかった……」
まさかクラスメイト達の前で泣いてしまうなんて。
まさか自分があんな事で泣いてしまうなんて、思ってもいなかった。
「まだ赤いなぁ……」
鏡に映る自分の瞼は、赤く腫れ上がっている。
「ねぇ天月さん――」
鏡を見るミコトに、一人の女生徒が背後から声を掛けた。
「今、ちょっといいかしら?」
振り返ると、そこにいたのはクラスメイトの伊吹マヒルだった。
少し明るめの栗色の髪に、切れ長のまつげと大きな瞳。
学校の生徒会長も兼任していて、クラスの中心的人物だ。
「え、何?」
話したことの無い彼女からの急な呼び掛けに、戸惑った様子でミコトは答える。
「ちょっと話したい事があって、一緒に外まで来てもらえるかしら?」
「まぁ、別にいいけど」
断る理由も無いので、ミコトは言われるがまま頷いた。
「ありがとう」とマヒルは笑う。
そしてマヒルに促されるままミコトは1階に降り、あまり人気の無い校舎裏に着いた。
そこでマヒルは足を止めた。
「ねぇあなた、話って一体――」
ミコトがそう口を開いた直後、強く体を押された。
「きゃっ⁉︎」と声をあげ、ミコトは背中から地面に倒れる。
「調子乗りすぎよ、あなた」
低い声でマヒルはそう言って、ミコトを見下した。
この構図、前にもあったな――
そのマヒルの姿に、いつの日かとのニーナの事を思い出し、ミコトは苦い顔をした。
「あなたの両親って、たしか死んでたはずよね?今日のあの人は何?お金でも払って雇ったの?」
「顔が良くてスタイルが良くて、それに勉強も出来るなんて――貴方とは似ても似つかない素晴らしい人ね。私も雇いたいわ」
ドス黒い恨みを込めた声でマヒルは話す。
「そこまでしてクラスで目立ちたかったの?あなたみたいな無能が、私のように注目の的になりたかった?」
そうか。この人は今日の薬師町さんの事で、私が目立ってたのを恨んでるのか――
少し感じていた薬師町への信頼のようなものが、バラバラと音を立て崩れ落ちていく。
結局また、あの人のせいで私が巻き込まれた――
私は何もしてないのに。
「黙ってないで、なんか言ったらどうなのよッッ‼︎」
「別にいいよ……私が何て言おうと、どうせあなた信じないでしょ?」
不貞腐れたミコトの態度が、更にマヒルの苛立ちを助長した。
「何にも出来ない孤児が、私に楯突くんじゃないわよ――ッッ!」
叫び、マヒルがミコトを叩こうと手を挙げた瞬間だった――
「聞き捨てならならないわね」
低く冷たいその声に、マヒルの手が止まる。
「私の娘にそんな事を言うなんて」
そこに現れたのは、薬師町だった。
腕を組み、見下す姿勢でマヒルを睨む。
それに負けじとマヒルは口を開いた。
「娘……?嘘つかないでもらえませんか?あなたはこの人に雇われたただの――」
マヒルの言葉を、薬師町が遮る。
「天月ミコト、2065年1月1日生まれ。34週目で体重は1980グラムの未熟児だった。産まれた時に臍の緒が首に絡まっていて窒息死寸前。けれど奇跡的な回復力で、元気にここまで育ってくれたわ」
GRADのネットワークシステムを介し調べたミコトの情報を話しながら、薬師町はマヒルに近づく。
そして、
「どうぞ、私の身分証明書」
薬師町はGRADで発行した偽装身分証をマヒルへ見せた。
「天月……ヨウコ……」
そこに書かれた薬師町の“天月”という苗字に、マヒルの表情は青ざめていく。
「訴えられたく無かったら、今すぐここから去ることね。貴方だって内申点を下げられるのは本意では無いでしょう?」
「くっ……」
ギリリと音が鳴りそうな程にマヒルは奥歯を強く噛み、悔しそうに薬師町に背中を向けその場から立ち去った。
マヒルの姿が見えなくなったのを確認し、薬師町は倒れるミコトに近付き、屈むとミコトに触れた。
「ミコト、怪我は無い――」
「やめて下さい!」
自分の体に触れた薬師町の手を、ミコトは叩き払った。
マヒルにこんな事をされた怒りをぶつけるように、ミコトは薬師町に怒鳴る。
「何で薬師町さんのせいで、私がこんな目に遭わないといけないんですか!私は何もしてないのに!」
今回の事でよく分かった。結局どんなに頑張ったってこうなるんだ――
私が頑張ったって、誰かを不幸にするだけだ。
「私の事なんて放っといて下さい!」
目頭がまたじんわりと熱くなっているのに気付き、ミコトは蹲って顔を隠した。
「もう母親の真似事なんていいですから……帰って下さい……もう薬師町さんの事で、私を巻き込むのはやめて下さい……」
絞り出すような声で、ミコトはそう告げた。
これでいい。さっきまで感じていた感情も全部いらない――
私は一人でいいんだ。
風の音だけが耳に響く静寂。
「私にはね、娘がいたの――」
ややあって、おもむろに薬師町がそう口にした。
「名前はシセイ――貴方と同じ14歳。貴方のご両親が亡くなられた五年前の『ラグナロク・デイ』――シセイは亡くなったわ」
娘さんを――
そんな話を聞いたのは、初めてだった。
「あの子は人当たりが良くて、誰からも好かれる良い子だった。困っている人がいれば誰であろうと助け、自分の事など顧みない子で、そのせいで入院するほどの大怪我を負ったこともあった」
「私はね――」と一瞬そこで、薬師町が言葉に詰まった。
だが意を決したように、もう一度言葉を紡いだ。
「あの子を見て……正直、恐怖を感じたわ」
震える声で、薬師町は一言そう零した。
「見ず知らずの人の為に、そこまで出来てしまうあの子の事が理解出来なくて……私はあの子が怖かった……」
自然と力の入った指先が、地面の土を抉った。
今にも泣き崩れそうな表情で、薬師町は俯いた。
「だから私はいつの日からか……あの子をさけるようになった。そしてしばらくして……ラグナロク・デイが起きて、娘は亡くなったわ」
“後悔”の二文字だけが、ずっと薬師町の心に根深く残っていた。
「貴方の成績の事なんて、本当は建前でしかなかった。本当は、あの子へしてあげられなかった事を貴方にする事で、あの子への懺悔を私はしようとしていたの。貴方の言う通りね……私は自分の私情で貴方を巻き込んだ」
「最低な、人間よ……」
最後に一言そう零すと、薬師町は立ち上がる。
「貴方のお弁当、机に置いてあるわ。栄養面をちゃんと計算しておいたから、後でちゃんと食べなさい――」
蹲るミコトにそう言うと、薬師町はミコトに背を向け立ち去る。
だが、
「…………」
その薬師町のスカートの裾を掴み、ミコトが止めた。
「私は……薬師町さんの事、好きじゃありません」
蹲ったまま、ミコトは独り言のようにそう言葉を紡いだ。
「薬師町さんは初対面から失礼で――いきなり髪の毛抜いて、人類守れとか言うし。それに神になれって言ったくせに、今度はやめろとか……ほんと滅茶苦茶で、何も私の事を考えてくれない人です……」
頭に浮かぶこれまでの薬師町との思い出――それはどれも、綺麗で美しいものとはかけ離れているものだ。
「薬師町さんがいなければ、私はあんな怪物達と戦わないで、普通の静かな毎日を過ごせていました」
「けど――」ミコトの言葉に、熱がこもる。
「薬師町さんがいなかったら、私はずっと昔のままの私だったと思います」
そのミコトの言葉に、薬師町は驚いたように目を丸くする。
「薬師町さんに出会ったから、私は柊木さんやニーナ、それにカグラやアウラさんと出会えた。そしてもう一度、ピアノを弾こうと思えました」
薬師町との思い出は良いものではなかったが、そのおかげで築けた物は、たくさんあった。
自分は今まで薬師町の悪い面ばかりを見ていて、薬師町のしてくれた事からずっと背けていた。
「ジーヴァとの戦いの日々は辛いけど、自分の生きている意味に少しづつですが、戦う事で気づけてきた気がするんです」
「だから――」ミコトは深呼吸すると、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「今の私がいるのは、薬師町さんのおかげなんです」
『ありがとう』という言葉は、恥ずかしさが勝って、言う事ができなかった。
「お弁当……私だけ一人で食べるのは恥ずかしいので、一緒に食べて下さい」
蹲ったままそう言うミコト、その子供が拗ねたようなミコトの態度に、嬉しそうに薬師町は微笑んだ。
「えぇ、そうしましょう」
薬師町とミコトは、そこで初めてお互いを理解する事が出来た――
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
PM11:00。天月ミコト宅――
「ふんふふーん♪ふふふーん♪」
ミコトはベッドに寝転び、楽しそうに鼻歌を歌っていた。
「やけにご機嫌じゃない、アンタ」
鏡を見て化粧水をつけながら、ニーナが話しかける。
「え?そう?」
「アンタ自分で気付いてないの?鼻歌歌ってたわよ」
「なんか良い事あったワケ?」とニーナが質問する。
「う〜ん……良いことっていうか、新たな人の一面に気付いてなんか嬉しい、みたいな」
「何それ……アバウト過ぎて分からないわよ……」
呆れるニーナ。
ミコトは「ねぇねぇ」と思い出した様に話を続ける。
「ニーナ知ってた?薬師町さんって笑うんだよ!私今日初めて見た!」
自慢げにそう言うミコトに「Han」と小馬鹿にしたようにニーナは鼻を鳴らす。
「知ってるわよそんな事。アンタみたいな新参とは違って、ワタシ様はずうっと前からGRADの一員であり、神なのよ。知らないわけないでしょ」
「そうだったんだ……」
と自分だけが薬師町の笑顔を知っている訳じゃないのか、と落ち込むミコト。
「ま、笑ってんのを見たのは随分久しぶりだけどね――」
ニーナは化粧水をつけ終えると、机に頬杖をつく。
「昔は普通に笑うし怒るし、もっと感情のあるヤツだったのに――今の薬師町は、まるで何かに取り憑かれているみたいだわ」
深刻そうな表情でそうニーナが言った直後、二人のスマホが同時に鳴った。
同時に鳴った事に二人は状況を察し、顔を見合わせ、スマホの通話ボタンを押した。
「ミコトくん……ニーナ……」
電話の相手はアウラだった。
声にはいつものような覇気がなく、しゃがれていた。
後ろからは誰かの悲鳴と瓦礫の崩れる轟音が響いている。
「今すぐGRADに……薬師町が……」
「どうしたんですかアウラさん⁉︎薬師町さんに何かあったんですか⁉︎」
薬師町に何があったのか、不安がつもるミコト。
焦った声で、ミコトはスマホに向かって叫ぶ。
「薬師町が……ジーヴァに寄生されていた」
ミコトはスマホを地面へと落とす。
耳の奥では、何かが壊れた音が響いていた――
ヒステリックミコト




