30話 『母と娘 承Ⅱ』
三限目。美術。
「さて皆さん――」
と美術の担当の女教師が口を開く。
「今日の授業は『印象に残った風景』を皆さんに描いて頂く予定だったのですが――」
パンッと教室は手のひらを合わせ音を鳴らした。
「せっかく今日は皆さんの親御さんがいらっしゃっていますので、予定を変えて、皆さんで親御さんの似顔絵を描きましょう!」
「さぁご家族様もお触り下さい」と教師は教室の後ろで見学する参列者に手招きすると、それぞれの生徒の前に用意した椅子に家族を座らせた。
「よろしく頼むわね」
腕を組み、ツンとした趣きで薬師町がミコトを見る。
今にもお互いの膝が触れてしまいそうな程の近距離、こんな近くで薬師町と話すのは初めてだった。
「お手柔らかに頼みます……」
よりによって、嫌いな人の絵を描かないといけないなんて――
左手に持った6Bの鉛筆が、やけに重く感じられる。
薬師町は自分をジーヴァとの戦いに巻き込んだ張本人だ。
性格は冷徹で無愛想。笑っているところは愚か、怒っているところすら見たところが無い。ロボットのようにいつも思う。
薬師町の事が嫌いになったのは、初対面の時だ。
いきなり髪を抜いて「神になれ」だなんて訳の分からない事を言ったのは今でも許せない。
そしてその後は神になるのをやめていいなんて、自分勝手にも程がある。
本当に大嫌いな人だ。
だがミコトの心情とは裏腹に、順調に絵は完成していく。
「薬師町さん、少し顔が下がってます」
感情を込めず、無愛想な態度でミコトは言い放つ。
「ごめんなさい。こうかしら」
モデルにされたのは初めてなのか、薬師町はぎこちない動きで顔を上げる。
「それじゃ上げ過ぎですよ。もっと下です」
「……このぐらい、かしら」
やや上目がちな角度で薬師町がミコトを見つめる。
「はい、そのぐらいです。もう動かないで下さいね」
ピシャリとミコトはそう言い、再びキャンパスに視線を移すと、筆を走らせる。
薬師町さんって、こんな顔だったんだ――
描いていく中で、ふとミコトは気付く。
肌は雪のように白く、目は綺麗な茶色、鼻筋はやや高く目元のホリは深くて、どこかニーナのような異国の人のような顔立ちだった。
鉛筆を寝かせ、浅い黒で色を塗る。
こうして見ると、本当に整った綺麗な顔立ちの人なんだな……
ぼんやりとそんな事を考えながら、ミコトは筆を走らせた――
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
一時間後――。
生徒全員が描き終わったのを見計らって、先生が手を叩く。
「皆さん描けたようですね!」
「では――
「ではそれを日頃の感謝と共に、親御さんにプレゼントしましょう!」
プレゼント――
あまり絵に自信の無いミコトは、不安げに右手首のアンクレットをいじる。
「ママ!いつもありがとう!とっても愛してるわ!ぜひニーナの絵を受け取って!」
「楽しみだな、ニーナがどんな風に私を描いてくれたのか」
ミコトのでアウラの絵を描いていたニーナが、満面の笑みでアウラに絵を差し出す。
「我がフランスの誇る巨匠ゴッホよりアイディアを頂きました。作品名――『花の夜』よ!」
「えっと……私は何処だい?」
その絵を見てアウラは困惑した表情を浮かべた。
ニーナの描いたそれは、肖像画というより、もはやただの絵画だった。
暗い夜のロンドンの街――そこには薄暗いオレンジ色のランプ。そして真っ暗な空に浮かぶ月だけが、色付き輝いていた。
「ここよ、ここ!時計台の横にいるわ!」
ニーナは絵の端に映る小さな人影を指さした。
後ろ向きで描かれていて、顔は見えない。
「この真っ黒の人影の事かい?」
「Oui!ママ!」
「あ、ありがとうニーナ……嬉しいよ」
受け取ったアウラ苦笑を浮かべていたが、それでも大切そうにニーナの絵を受け取った。
「プレゼント……」
感謝の言葉って……一体何言えば――
描いた絵を膝の上に置き、ミコトは苦悩する。
別に薬師町に感謝をするような事など一つもない。
この人のせいでジーヴァと戦わされ、散々な目にあった。
感謝をされるべきなのは、むしろ自分の方だ。
人類をジーヴァの脅威から守る為に命をかけて戦っているのだから。
では今日親代わりに出席した事は感謝に値するか?
いや、それも違う。
私は頼んで無いし、薬師町が監視という名目で来ただけだ。
監視なんて……本当に嫌な人だ。
「……いつも、お世話になってます」
仕方なく、頭に浮かんだ定例文と共に、ミコトは薬師町にキャンバス。差し出した。
「…………これが、私?」
しばらくその絵を見つめた後、薬師町はぽつりとそう呟いた。
「ふっ……」
と鼻を鳴らす薬師町。
「下手だって……笑うんですか?」
ムッとして、ミコトは薬師町を睨んだ。
だが薬師町は「いえ……」と頭を横に振る。
「自分の事をこんな綺麗に描いてもらったのは、生まれて初めてよ」
薬師町は真っ直ぐにミコトの顔を見る。そして――
「ありがとう、ミコト。大切にするわ」
向日葵のような温かな微笑みを浮かべた。
「ど、どういたしまして――」
初めて……笑ってるところ見た――
予想とは全く違った薬師町の反応に、ミコトは焦った。
絶対に喜んでくれないと、自分を馬鹿にするに決まっていると決めつけていた。
「お〜!ミコ太郎の描いた絵、超上手いじゃん〜」
横から現れたクラスメイトが、薬師町の背後からミコトの描いた絵を眺める。
「そ、そんな事ないよ……普通だよ……」
人から褒められる事に慣れてないミコトは、目を泳がせ右手首にあるアンクレットをいじる。
「どれどれ」とミコトの周りに続々とクラスメイトが集まり、ミコトの絵を見た。
「へぇ〜凄い!天月さん絵めちゃくちゃ上手いじゃん!」
口々にそう言う生徒達、いつの間にかミコトの周りには大きな人だかりが出来ていた。
「ふ、普通だから……そんな褒めなくていいよ……」
大勢の人に囲まれ、耳まで真っ赤にし照れるミコト。
そのミコトの横目に、嬉しそうに貰った絵を見つめる薬師町の顔が見えた。
『ありがとう、ミコト』
薬師町の言葉が頭に響く。
母親ですら、くれなかった言葉。
自分が一番言われたかった言葉。
その言葉がじんわりと胸の奥を温めた。
お礼……私もちゃんと言えば良かったな――
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
四限目。数学。
眼鏡を掛け、厳格な雰囲気の男性教師が教科者に書かれた公式の説明をしている。
ミコトは元々数学は得意では無く、やっても分からないので漠然と深緑色の黒板をずっと眺めていた。
どうせやったって、誰かに褒めてもらえるわけでもないし――
昔、算数の授業で初めて満点を取った日の事が、頭をよぎった。
嫌な記憶だった。
ミコトはあの日、頑張る事をやめた。
誰にも見てもらえない努力は、する意味がない。
そうミコトは思うようになった。
「ではこの問題分かる方いますか?」
教師がそう言うと、再び生徒達が一斉に手を挙げる。
「はい!」
前の席に座るユキナに合わせ、ミコトは隠れるように手を挙げた。
だが――
「あっ、消しゴムが……」
ユキナは手を挙げた拍子に、消しゴムを床へ落とした。
拾い上げる為にユキナが手を下ろすと、隠れていたミコトの姿は教師からよく見えた。
「では、天月さん。前に出てお願いします」
「え…………」
突然の事に心臓が跳ねる。
「は、はい……」
覇気の無い返事をし、ミコトは立ち上がる。
その額には、緊張でべたっとした嫌な汗が滲んでいた。
「バカねアンタ。分かんないなら分かんないって言っちゃいなさいな。行っても恥かくだけよ」
隣に座るニーナが、ミコトの表情を見て小声で話す。
「わ、分からなくなんかないし……出来るから」
「そんな汗ダラダラで言っても、説得力なんて無いわよ……」
「だ、大丈夫だから……ニーナはそこで見てればいいよ」
強がり、そう言ってミコトは黒板へと向かう。
その弱々しい後ろ姿を、ニーナは呆れ顔で見届けた。
ホント……自分に嘘をつくのだけは上手いアンポンね――
「どうぞ」
と教師から白いチョークを渡され、ミコトは黒板の前に立つ。
「…………」
だがそれだけで、もうミコトは精一杯だった。
黒板に書かれている文字が、数式が、何を表していて自分は何を解けば良いのか、それをミコトは理解出来なかった。
「あのアンポン……だから言ったのに」
苛立った様子でニーナはミコトを睨む。
「どうしたんだろ天月さん」と呆然と立ち尽くすミコトを見て、教室がざわつき始める。
どうすれば――
話声の中に混ざる自分を嘲笑う声――
それが更にミコトの不安を煽った。
玉のような汗が、壇上に落ちる。
もう……やめよう……逃げればいい……体調が悪いとでも何でも理由をつければいい――
「あの……」
チョークを黒板からミコトが離そうとした、その時だった。
「ここの解法は、さっき先生が説明してくれていたでしょう?」
柔らかな温もりが、ミコトの右手に重なる。
「え――」とその感覚に思わずミコトは振り返る。
「や、薬師町さん――⁉︎」
後ろからチョークを持つ自分に手を重ねる薬師町。
少しでも動けば顔が触れ合ってしまいそうなそな距離に、ミコトは赤面し、驚いた。
「な、何してるんですか⁉︎授業中ですよ⁉︎」
「その授業中、貴方は一体何を聞いてたのかしら」
壇上へ上がった薬師町の奇行には、クラス中の視線が集まっていた。
「しっかりしなさいミコト。貴方は人類を担う神なのよ」
だがそれを気に留める様子も無く「借りるわね」と言ってチョークをミコトの手から取ると、数式を黒板に書いていく。
「数学なんて、公式を覚えてしまえば簡単なものよ。この場合このAの部分に担当する数字は――」
「ほ、本当に何してるんですか!そんなのいいですから早く戻って下さいよ!」
恥ずかしさに耐え切れず叫ぶミコト。
薬師町は黒板に書く手を止めると、静かにミコトを見つめる。
「今私が戻ってしまえば、貴方はこのあとどうするの?」
「やめて自分の席に戻ります……だって分かんないですから!」
分からないと言って、もう諦めて終わるはずだったのに――
そうすれば、今みたいなこんな恥を晒す事もなかったのに――!
興奮するミコトを、薬師町は優しく諭す。
「ミコト、嫌な事から逃げたら駄目よ。嫌な事から目を背けていれば、貴方はずっと今のまま――この問題が解けないままなのよ?」
「それで別にいいんです!頑張ったって――」
言葉に詰まる。
なぜ自分は頑張らなくなったのか。
母に褒められ、嬉しそうに笑う姉の姿を思い出す。
そうだ。私が頑張らなくなったのは、あの時からだ――
「頑張ったって私は……どうせお姉ちゃんみたいには出来ないんだから!誰も褒めてくれないんだ!」
ふと、ミコトは自分の視界が滲んでいる事に気付いた。
いつの間にかミコトの頬を、熱い涙が伝っていた。
「大丈夫よミコト。貴方はきっと出来る」
薬師町はミコトの涙をハンカチで拭う。
「そんな風に誰かと優越をつけて、自分を蔑む必要はないわ。だって貴方は、貴方一人なんだから」
「薬師町さん――」
見上げた視線の先にあった薬師町の顔は、心を落ち着かせるような――そんな微笑みだった。
「ゆっくりでいい。一緒に解きましょう」
そう言うと、薬師町はミコトにチョークを差し出した。
ミコトは頷き、それを受け取る。
薬師町は安心したように微笑むと、再び数式を黒板に書いていく。
「ではミコト。この公式に担当する部分はどこだと思う?」
恥ずかしさも忘れ、ミコトは薬師町と共に問題を解き始めた。
薬師町は公式を教えてはくれたが、それを使いどう解くかとまでは教えてくれなかった。
だから考えた。自分の脳を必死に動かした。
そして――
「……68」
ミコトはたどり着いたその答えを、黒板の一番下へ書いた。
「正解です!天月さん!」
教師が手を叩き、ミコトに賛美の拍手を送った。
「すごいぞミコ太郎〜!」
クラスメイト達もミコトへ歓声を送った。
教室が温かな拍手で包まれる。
「――――」
驚きと喜びが混ざりあい、ミコトは呆然と立ち尽くしていた。
そのミコトの頭に、薬師町の手がのせられた。
「よく出来たわね、ミコト」
まるで母に褒められた事のような喜びが、ミコトの心を包んだ。
だが――
「天月ミコト……何よあの子……」
窓側の席に座る女生徒――
他のクラスメイト達がミコトに拍手を送る中で、ただ一人恨めしそうにミコトを睨むクラスメイトの姿があった。
【その後のニーナ】
教師「では次、ロマンチェッタくん」
前へ出るニーナ。
ニーナ「え、えぇっとぉ……分かんなぁいアウラ様ぁ……チラッチラッ」
アウラ「ぐぅ……」
ニーナ「寝てるし⁉︎」




