27話 『母と娘 起Ⅰ』
――ねぇ、お母さん
小学生の時、一番苦手な教科は算数だった。
――何ミコト?
だから算数で満点を取れれば、母は喜んでくれると思った。
――あのね……私、今日学校でね……
けれど。
――見てお母さん!全教科100点!学年一位だよ!
けれどいつでも私の隣には、姉がいた。
――偉いわサナキ、流石サナキは天才ね
母はそう微笑むと、いつも姉の頭を撫でた。
しゃがみ込み、姉の目線の高さに合わせて褒めていた。
私の見る母の目は、いつだって頭の上だった。
――ねぇ……お母さん……
母に褒めてもらいたかった。
母に自分を見て欲しかった。
――お母さん。私も頑張ったんだよ……100点、取ったんだよ
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ん……朝か……」
カーテンの隙間から差し込んだ日の光が顔に当たり、ミコトは目を覚ます。
壁にかかっている時計を見れば、時刻は7時30。30分後には家を出なければいけない時間だった。
億劫だな――
ミコトは重い体を動かし、上半身だけ起き上がった。
先日ニーナと大喧嘩をした日からだいぶ日が経ったが、まだ体のあちこちがやんわりと痛かった。
「シャワーの音……?」
ぼーっとする中、1階にある浴室でシャワーを使う水音が聞こえた。
その後水音は止まり、浴室の扉が開き人が出てくる音が響いた。
考えられる人物など一人だけだ。
浴室からその人物があがってすぐ、階段を登る音が聞こえてきた。随分と早着替えだ。
2階に上がってきたその人物は、ミコトの部屋を開ける。
「ニーナ、お風呂入ってたの?」
眠そうに瞼を擦りながら、顔も確認せずミコトは俯いたままニーナに話しかけた。
「走って来たからね。汗かいたまま学校に行けないでしょ」
ニーナの濡れた足が視界に映る。
「走ったの?ダイエット?」
「違うわよ」と言うとニーナは手に持ったソーダ味のアイスバーを齧る。
「この前アンタにあんな無様な戦いをしたからね。次は圧倒出来るように鍛えてんのよ。それまでアンタとは休戦」
「ふーん。ニーナって案外ストイックなんだね」
眠そうにそう答えた後、ミコトは大きく欠伸をする。
「ふあぁ……さて、そろそろ起きないと――」
そう言ってミコトは目を開ける。
ぼんやりとしていた視界が徐々に明瞭になってくる。
「え……」
そしてミコトは、目の前にある光景に驚き声を上げた。
「な、何でニーナ裸なの⁉︎」
慌ててミコトは自分の目を両手で覆う。
指の隙間から見えるニーナは生まれたままの姿で、胸にかかった長い髪の下からは、ほんのりと桃色の肌が見える。少しでもズレれば今にも頂点が見えてしまいそうだった。
「Han?ここはワタシ様の部屋なんだから、自分の部屋でワタシ様がどんな格好してようと勝手でしょ」
「いや、私の部屋だけど!」
目を覆うのをやめると、ニーナへと反論する。
だが視線はニーナの裸を見ないように斜め横を見ていた。
「ワタシ様の部屋よ。そこにもそう書いてあるじゃない」
ニーナは部屋の扉にかけられている看板を指差す。
そこには『みことのへや』と書かれた文字の上にバッテンが引かれ、その上から『ニーナの部屋』と書かれていた。
「あれはニーナが勝手に書いたんでしょ⁉︎」
「全く……」とミコトは呆れて首を横に振る。
「本当ニーナって自分勝手なんだから。私の事殺そうとするし」
ミコトのその言葉にムッとニーナが眉間に皺を寄せる。
「またその話⁉︎それはこの前『アンタの覚悟を試すためだった』って、力の加減間違えたのも謝ったじゃない!」
「だって本当に自分勝手なんだもん。嘘だと思うじゃん、そんな言葉」
「Grr……ホントしつこいアンポンねぇ……」
素っ気ない態度のミコト。
自分に非があるのも分かってるニーナは悔しそうに奥歯を噛んだ。
「アンタ人の事ばっか言うけど、アンタだってワタシ様の事殺そうとしたじゃない!」
「う……」と図星をつかれたミコトは苦い顔をする。
「そ、それはぁ……ニーナの覚悟を試す……ため?」
「何で疑問系なのよ⁉︎」
ミコトとニーナと共同生活を初めて一週間が経った――。
平穏だった朝は無くなり、毎朝二言交わす間には口喧嘩が始まる。
だがそれ程、仲が悪いという訳ではない。
一週間前――ニーナと命懸けの喧嘩をし、そこでお互いの不満を曝け出したせいなのか、変に気を使う事が無くなりそれなりに仲の良い(?)生活は送れている。
ニーナが勝手な事をしたなら、我慢せずにそれに対して怒ればいい。
それが出来るようになっただけで、随分と心持ちは楽になった。
「というか服着てよ!目のやり場に困るから!」
ミコトは顔を両手で覆い、ニーナから視線を逸らす。
「別にいいじゃないのよ。ワタシ様の体は誰かに見られて恥ずかしい体じゃないわ。ワタシ様はミロのヴィーナスのように完璧なフォルムをしてるのよ!芸術なのよ!」
腰に手を当て、ミコトへと体を近付けるニーナ。
お互いの体が触れてしまう程の距離に、ミコトは赤面しニーナから目を逸らす。
「わ、分かったから早く服着て!服!」
「言われなくても着るわよ……全くうるさいわね」
ぶつぶつと文句を言いながら、ニーナはタオルで体を拭くと、机の上に置いておいた下着を手に取り、着替え始めた。
「はぁ……朝から本当大変……」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ニ〜ナ〜!早くドライヤー貸してよ。私も髪直したいんだけど」
制服に着替えたミコトは、洗面台の前で髪を乾かすニーナに地団駄を踏む。
その髪は寝癖でめちゃくちゃにはね上がり、まるで鳥の巣のようだ。
「見てわかるでしょう?今はワタシ様のターンよ♪」
緩やかな温風を髪に当て、手櫛で絹のようなサラサラの髪を撫でるニーナ。
「せめてローモードやめてさ、早く乾かしてよ」
「風を強く当てたら髪が痛むじゃない。ワタシ様の髪はアンタと違って繊細なのよ」
無理やりスイッチを切り替えてやろうか――
とミコトが息巻いたのとほぼ同時に、ニーナが口を開く。
「アンタの分の朝食、キッチンの方に置いといたから食べて待ってなさいよ」
ニーナのさりげないその一言に、ミコトは目を輝かせ、ぱぁっと表情が明るくなる。
「わ!今日何パン?」
「クロワッサン。今朝焼き上げた出来立てよ」
「えークロワッサン‼︎そんな難しそうなのも作れるんだ。凄いねニーナ!」
「材料があれば、作れない料理なんて世の中無いのよ。作れないんだとしたら、ソイツに知識が無いだけってワケ」
「そうなんだそうなんだ!やっぱり知識って重要なんだね。知識ってすごいね!知識知識!」
「そりゃ重要でしょ。アンタ何言ってんの?」
「うん!凄いなって!知識!」
食べ物で舞い上がったミコトは、ニーナの言葉を理解しないまま適当に相槌を打つ。
「じゃあ私、先食べてるから!」
「そうしなさいな〜」
洗面台を出たミコトは廊下を歩き、キッチンへと向かう。
「クロワッサン♪クロ♪ワッサン〜♪お日様はサン〜♪」
キッチンに入り、透明窓からオーブンの中を覗く。
冷めないようオーブンに入ったままのクロワッサンが2つ、そこにはあった。
「あち、あちっ」
出来立てのクロワッサンはまだ熱く、指の先で摘むように皿へと移す。
「ニ〜ナ〜。マーガリン何処だっけ〜?」
ドライヤーの音に負けないよう、やや大きめの声量で洗面台のニーナへ叫ぶ。
「冷蔵庫の右側、上から2段目よ。自分の家だってなら、そんぐらい覚えてなさいよ」
「はいは〜い」
冷蔵庫を開けて、言われた場所を見る。
「あった」
冷蔵庫の中は綺麗に整頓されていて、目的の物はすぐに見つかった。
こういう所は細かいな、と感心する。
ミコトはテーブルに着くと、白い皿の上に乗ったクロワッサンにマーガリンを塗る。
クロワッサンの熱でマーガリンはじわりと溶け、全体が光で艶やかに光る。
「いただきます――」
手を合わせると、ミコトはクロワッサンを一気に口にほうばった。
「ん〜〜♡」
今までの人生でそんな顔をした事があっただろうか。
そう自分でも疑問に思えてしまうぐらいに、そのクロワッサンの味に蕩けた表情と口元。
芳醇な香りと味が口いっぱい広がる。
空気を入れて膨らませたクロワッサンは食感が柔らかく、表面はパリパリとしているのに中は雲のように柔らかい絶妙な食感だった。
「美味しいなぁ――」
二つ目を食べ始める前に、夢見心地でミコトは背もたれへと体を預けてくつろぐ。
ニーナは本当に料理が上手い。
何でもそつなく作れるが、特にパン類に関しては一流だ。
ニーナは神となる為にGRADで訓練を受ける中、南から北まで世界各地を飛び回って行っていたらしい。
立ち寄った国の中には、パンそのものの文化が無い国もあったらしく、現地でいくつもの小麦粉や発酵素材を調達し自分でレシピを作って納得のいくモノを作り上げたそうだ。
その時の経験が、今の料理の腕前に一役かっているという事らしい。
「じゃ、ワタシ様先行くから。戸締りよろしく〜」
髪のセットを終えたニーナは、キッチンに少し顔を出すと、さっさと玄関から外へ出て行った。
「うん!行ってらっしゃ〜い♪」
クロワッサンを口にほうばりながら、にこやかにニーナに手を振る。
「さて……私も髪乾かしてそろそろ行かないと」
もっと味わいたい、という気持ちを我慢してクロワッサンを飲み込むと、ミコトは立ち上がり時計を見た。
だがそこに表示されていた時刻に唖然とする。
「もう出なきゃ間に合わないじゃない!」
時刻は8時。
今すぐに出ないと間に合わない時間だった。
至福の時間は終わりを告げ、現実は足速に目の前へと近づいてきて顔面に手痛いパンチを喰らわせた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
AM8:30
新東京第十三区画中学校。
「Bonjour,ロマンチェッタさん」
「Bonjour」
長い髪を靡なびかせ、薄い微笑を咲かせたニーナはクラスメイトに囲まれていた。
「ロマンチェッタさん髪綺麗だよね。そんなに長いと手入れ大変じゃない?」
「もちろん大変よ。けど人に美しく見られる為なら、我慢はしないとね」
「うわ〜ロマンチェッタさん大人だなぁ。やっぱ美人もけっこう苦労してるんだね」
「苦労と言う程ではないわ。我慢はすれど、苦だと感じた事はないもの。求めるものに対して、相応の事をしているだけよ」
「「カッコいい〜!」」
黄色い歓声が教室から響く最中、ガラガラと音を立てて教室の前扉が勢いよく開け放たれた。
「はぁ……はぁ……」
息を切らしながら現れたミコトに、教室中の視線が集まる。
その視線の見る先は一つ、ミコトの滅茶苦茶に跳ね上がった髪の毛だった。
せめて前髪だけでも寝癖を治そうと水を付けたが、鏡を見るうちに結局あれもこれもと気になり、頭から一気に水を被った。
だがそこで本当に時間が無くなった事に気付き家を出た。
そして濡れたままの髪は自然風により滅茶苦茶な方向に乾かされ、カールし、現代芸術のような作品を作り上げてしまった。
「Bonjour.天月さ――髪ヤバッ⁉︎」
席へと着くと、前の席にいる柊木ユキナが目を丸くしてミコトを見て驚愕した。
「おはよう……柊木さん」
ミコトの姿を見て驚愕するユキナに、ミコトは素っ気ない挨拶を返す。
自分でも今の状況には触れられたくは無かった。
「どうしたのその髪……?」
「うちの飼い猫が、どうも躾がなってなくてね……」
誤魔化しながらユキナに返答する。
「あぁ、この前言ってた猫。飼ってたんだ」
「新しい飼い主が見つかるまでね。仕方なく」
「そうなんだ。可愛い?」
「可愛くは無いけど、ご飯作ってくれるから別に良いかな」
「え……?ご飯?猫が?」
困惑するユキナ。
そのタイミングで、クラス担任の女教師が教室へと入ってきた。
「Bonjour!皆さん!お席にお着席おあおそばせ!」
担任のその一言で、立ち話をしていた生徒達はすぐに席へと着いた。
全員が席についたのを確認すると、再び口を開く。
話す話はいつも一緒。
他の先生方に迷惑をかけないようにしましょう。
友達とは仲良く。
今この瞬間を大切に。
の3点だ。
今日も決まりきったその構文が言われ、解散が促される。
「ところで皆さん――」
だが今日は、まだ続きがあった。
「毎年恒例の授業参観なのですが、今年も例年通り2月14日……つまり1週間後の月曜日に行いますので、ぜひぜひ親御さんをお誘い下さい!」
和やかに担任はそう言うと、プリントをまとめ教室を後にした。
「授業参観――」
ミコトはその言葉を聞いて、俯く。
授業参観は、嫌いだった――
ミコトのテンションが高い最初で最後の回




