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25話 『異国の寒風は心を醒ます 結Ⅱ』

 十年前。

 フランス/ロンドン郊外 


 ハエがたかる路地裏。

 夜の海に浮かぶ三日月の美しい黄金の光でさえも、そこを美麗には照らせない。


「ハァ……ハァ……」


 息を切らしながら、ボロボロの布を見に纏った幼い少女がいる。

 手には真っ赤な林檎を持ち、何かから逃げるように夜の貧民街を走っていた。


「こんな所にいたか!ドブネズミ!」


「…………⁉︎」


 少女の姿を見て、体格の良い商人の男が叫ぶ。

 その野太い声に少女は身を震わせ、走る速度を早めた。


「Ggy……!」


 真っ赤な林檎が地面に転がる。

 地面の間の溝につま先を挟み、少女は転倒した。


「手間取らせやがって……よくもウチの商品を盗んでくれたな、このスラムの卑しいドブネズミが!」


 男は少女を片手で持ち上げると、罵声を浴びせる。


「Grr!Ga!Gaa!」


 少女は逃げようと滅茶苦茶に体を動かすが、男には届かない。


「チッ……汚ねぇツバを飛ばすんじゃ――」


 不意に少女の足が、男の股間を蹴り上げた。


「なッッ……!テメェよくもッッ!」


 痛さのあまり、男は少女を地面に投げ捨てる。


「少し痛ぶって許してやろうと思ったが、テメェみたいなドブネズミには調教が必要だな」


 男はポケットからナイフを取り出すと、少女へと近づく。


「ドブネズミにはドブネズミらしく、醜い傷をつけてやるよ!」


 鋭く尖った刃が少女に振り下ろされた――その瞬間、


「子供相手に、随分手荒な事をするんだな」


 突然現れた女性が、男の背後から腕を掴んだ。


「あ?何だお前」


「通りすがりの日本兵さ」


 女性は男からナイフを奪い取ると、両腕を締め上げる。


「いっ……痛ててて!何すんだテメェ!」


「早く逃げた方がいい。私はナイフの扱いに慣れていなくてね、キミを楽に殺してあげられない」


「ひっ……!」と首に当てられたナイフを見て、男は情け無い声をあげるとその場から逃げていった。


「おいおいナイフを忘れてるぞ……まぁいいか。記念にもらおう」


 女性は鼻を鳴らすと、胸ポケットにナイフを収めた。


「Grrr――!」


 正体の分からないその女性に、少女は喉を唸らせ威嚇する。


「随分とボロボロだね。髪もボサボサ、これじゃどら猫だ。匂いもキツい」


 少女から漂う酸性の匂いに薄く笑いながら、女性は少女へと躊躇なく近づく。


「Gaa――‼︎」


 アウラが目の前に来ると、少女はアウラの腕へと噛み付いた。

 鋭く尖った犬歯が食い込み、血が滲む。


「フフッ、これは随分躾のなってない猫だな」


 怒る事も無くその女性は柔らかな微笑みを浮かべると、少女のごわごわの髪を撫でた。


「よしよし、安心しなさい」


「Uuu――‼︎」


 だが警戒した少女はまだ噛み付くのをやめない。


「私は敵じゃない。キミに乱暴な事をしたりしないよ」


 優しく言葉をかけ、女性は少女に寄り添い続けた。


「…………」


 やがて、諦めた少女は噛み付くのをやめた。


「キミ、名前はなんて言うんだ?」


「ドヴュ……ネジュミ……」


 言葉を知らない少女は、自分に浴びせられた言葉を名前だと錯覚していた。


「それは名前じゃないな――可哀想に、名前が無いのか」


 まるで自分の事のように、女性は悲痛な顔をした。


 それが少女には不思議でたまらなかった。


「両親は?」


「イナイ……ジンダ(死んだ)


「そうか……」


 難しい顔をしたあと、女性は何かを思い付いたように少女を見つめた。


「そうだ。じゃあ私がキミに名前をあげよう」


「ナマエ……」


「せっかくフランス人なんだし、フランスっぽい名前がいいなぁ――そうだなぁ――」


 顎に手を当て、しばらく考える。


 そして数秒後、女性は口を開くと、少女へ笑いかけた。


「キミは今日からニーナ・C・ロマンチェッタ。そして、私の娘だ」



 ※  ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「くっ……」


 背後から蹴り飛ばされ、数回地面に叩きつけられ転がった後、ミコトはふらふらと立ち上がる。


「な、何するのよ……流石に冗談が過ぎるんじゃない?」


 目の前には腕を組みこちらを見下すニーナの姿があった。

 雪でも降り出しそうな黒雲が、ニーナのFEZERを不気味に光らせていた。


「アンタ、やっぱムカつくってワケ。ワタシ様みたいなイデアたる神の隣には似合わないわ。だからここで死んじゃいなさいな」


「言っている意味が、分からないんだけど」


「ワタシ様のパートナーに相応しく無いって言ってるワケよ。トリ頭」


 ミコトのFEZERの頭頂部にあるトサカのような装飾を見て、ニーナはマスクの下で意地悪く笑う。


「アンタだってワタシ様みたいな完璧神を目の前にしたら、劣等感で死にたくなったでしょ?だからワタシ様が直々に殺してあげるって言ってるワケ。ありがたく思いなさいな」


「……やっぱり、人間性が違うな。全く意味がわからない」


 これ以上こんな奴に付き合ってられない。やっぱりこんな奴と協力なんて無理な話だった――


 ミコトは魔力をGRADに飛ばし、通信を試みる。


「薬師町さん、ロマンチェッタさんが暴走してますよ。早く止めさせてください」


 数秒、数十秒――

 だがどれだけ待っても、薬師町からの返答は無かった。


 どう言う事……?なんで通信が――


 戸惑うミコトを見て、ニーナがさも楽しそうに笑う。


「Aha〜n!ムダよムダムダ!アンタの魔法はワタシ様が完全にフリーズさせちゃったワケ。赤ん坊みたいに泣いたって、誰も助けに来てやくれないのよ!」


 辺りに立ち込めた氷の魔法。

 それは他者の魔法をそこに閉じ込め、外部へと逃がさない。

 まるで氷の牢屋だった。


「面倒くさいな……」


 マスクの内側でミコトは眉間に皺を寄せ、苛立った様子でニーナを睨んだ。


「さぁ、首をお出しなさいな。今なら大特価サービス、ワタシ様が痛くないよう瞬殺してあげるわ♪」


 長く細い腕を、ミコトへと伸ばす。


「ごめんだね。私、まだ死にたくないから」


「アララ……ワタシ様から折角のご慈悲だったのに。やっぱりトリ頭はバカね」


 やれやれ、といった様子でニーナは頭を横に振った後、伸ばした手を引っ込めた。


「じゃ、もう容赦しないから、いっぱいいっぱいめいいっぱい痛めつけてあげるから、覚悟しなさいな」


 マスクの内側で、ニーナは不敵に笑う。


「ねぇロマンチェッタさん」


 不意に、ミコトが口を開いた。


「あなたばかり自分の事言って腹立たしいから、ちょっといい?」


「Ha?」とニーナは小首を傾げる。


「あなたの認識は、一つ間違ってる」


「間違ってる?何が間違ってるってのよ」


「私があなたに相応しく無いんじゃない。あなたが私に相応しく無いんだよ」


 熱を帯びた瞳で、ミコトはニーナを睨む。


「Zut……チョベリバムカつくんですけど」


 ニーナは拳を強く握り、奥歯を噛んだ。


「冷たい地面はあげないわ。凍らせてあげるから醜く永遠に立ってなさいな」


「ロマンチェッタさんも、風穴開けられないよう気をつけてね」


 煽るように言うと、ミコトは腰から二丁拳銃を取り出し両手に構える。


「その減らず口――ぶっ凍らしてあげるワケ!」


 地面を蹴り上げニーナは高く跳躍すると、空中から飛び蹴りの姿勢でミコトへと襲い掛かる。


 両手に持った銃をクロスに交差させ、ミコトはその攻撃を凌いだ。


 くっ……重いッッ――‼︎


 威力の乗ったその一撃に、ミコトは顔を歪める。


「アハハハハ‼︎どうよワタシ様の一撃!最and高にクールでしょ‼︎」


「重い女は……嫌われるだけだよ!」


「Han⁉︎何つったワケ⁉︎」


 ニーナの重心が一瞬ズレる。

 ミコトはその隙を見逃さなかった。


「フォースA!展開!」


 ミコトのFEZERに巡らされたリジェクターが、桜色の光を放ち、背部にはAの文字が現れた。


 フォースにより何倍にも増幅した筋力で、一気にニーナを押し返す。


「Zut……こしゃくな‼︎」


 吹き飛ばされたニーナは苛立ち、唇を噛んだ。


「アルティミオス!斬撃モード!」


 ミコトがそう叫ぶと、銃身が割れ魔素で出来た光の刃が出現する。


 取り敢えず、アイツの暴走を止めないと――!


 そのままミコトはニーナへ斬りかかる。

 だが、


「くっ⁉︎硬い……ッッ!」


 ガキンッと重い音が響くと、氷の鎧に(はばか)られ、FEZERに傷を付けることは出来なかった。


 ニーナは得意げに笑う。


「残念ね♪ワタシ様には、アンタのザっコい攻撃は届かないのよ」


「固い女も……嫌われる原因だよ!」


「HaaaaaN⁉︎」


 ミコトは後退しニーナから距離をとると、銃から無数の魔力で出来た光弾を発射する。


「Zut……チョベリバ鬱陶しいんですけど!」


 雨のように降り注ぐ光弾を避ける事が出来ず、ニーナは苛立ち眉間に皺を寄せた。


 無数の光弾は少しづつ氷の鎧にダメージを蓄積させていく。

 そして――


 ビキッと氷の鎧に亀裂が入った。


 ミコトは地面を強く蹴り、一気にニーナとの距離を詰めると、再び光の刃で斬りつけた。


「Zut……‼︎」


 脆くなっていた氷の鎧は、今度は容易く剣で砕かれた。

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