13話 『翼を授かった日 転』
一時間後――授業と授業の間の中休み。
授業が終わったのを確認して、ミコトは後ろの扉から教室へと入った。
「天月さん!」
ミコトが教室に入るや否や、今まで教室では話したことの無いユキナが、ミコトの名を呼ぶと焦った表情で駆け寄る。
「心配してたんだよ。音楽室にはいなかったし、何処に行ってたの⁉︎」
今にも泣き出しそうなユキナの顔から、ミコトは視線を逸らす。
カグラにピアノの演奏で慰めてもらった後、ミコトは教室に戻るのも気不味く、学校の屋上で時間を潰していた。
「何処だっていいでしょ……あなたには関係ない」
相手に聞こえるかも分からない小さな声量で、ミコトは口を開いた。
その突き放すような話し方に、ユキナはミコトの心を察し顔を歪めた。
「やっぱり今日の事が原因だよね……」
「別に……」
「ごめんね……私、忘れてた訳じゃないの。むしろ楽しみにしてて……それで……」
「楽しみにしてたのに来ないっておかしくない?別にいいけど」
ミコトの言葉にユキナは俯き、押し黙った。
険悪な雰囲気の散る二人の間に、背の高い女生徒が割って入った。
「まぁ天月さん、この子許してあげてよ」
見知った顔だった。
その女生徒は、ユキナと仲の良い友人の一人だ。
昼休みも自分との約束を破ったユキナと共に、一緒に笑っていた。
「この子って、ちょっとおっちょこちょいなトコがあってさ。『今日は天月さんにピアノ弾いてもらうんだ!』って楽しそうに私達に話してくれてたんだけど、そしたら時間忘れちゃってたみたいでね。この子天月さんの相当好きみたいでさ、本当耳にタコが出来るくらい天月さんの演奏を褒めてて――」
「だから……?」
ミコトの冷たい声は、彼女の口を凍らせるには充分だった。
「え……?」と女生徒はミコトの言葉に戸惑い、沈黙する。
「だから何……?」
「だから何、って……この子を許して欲しいって事なんだけど……」
「許す……?別に許す事なんて無いんだけど」
ミコトはユキナの方を横目で見る。
「私はその人がしつこいから『そんなに来たいなら勝手にくれば?』って言っただけ。元からその人に演奏なんてする予定は無かったし、面倒だから嘘をついただけよ――」
「天月さん……」とユキナは震える声でそう言うと、唇を噛み涙をギュッと堪えた。
「大体何あなた?」
ミコトはユキナから視線を移すと、目の前に立つ女生徒を睨んだ。
「その人を庇ってるみたいだけど、私は褒めて欲しいなんて頼んでないし、その人が勝手に言ってただけでしょ?」
ずっと虚勢を張って生きてきた。
だからミコトにとっては、嘘をつく時の方が楽だった。
流れ出した空っぽの言葉は、もう自分でも止められなかった。
ただ虚勢を張る事でしか、ミコトは自分を救う方法を知らなかった。
「私は元からその人が嫌いなの。適当なことばかり言うし、やめてって言ってるのに何度も来るし……それに私の事を、知りもしない赤の他人にぺらぺらと喋るなんて本当に最低――」
そこでミコトの言葉は切れ、乾いた音が教室に響いた。
鋭い痛みが右頬に走る。
自分がぶたれたのだと、ミコトは数秒遅れて気付いた。
「あなた……ユキナに謝りなさいよ」
怒りに満ちた瞳で、女生徒がミコトを睨んだ。
今にももう一度殴りかかりそうな彼女に、ユキナが抱きついた。
「もうやめて……!私が悪いの!私が約束を破ってしまったんだから!天月さんは悪くないの!」
ユキナは堪え切れなくなった涙を流し、女生徒をミコトから離す。
「ユキナがあなたの事どれだけ心配してたか、考えた事もないくせに!」
激昂する彼女から目を逸らし、ミコトは教室の床を見た。
「そんな事……頼んでない」
自分は酷いことを言ってしまったのだと、ミコトは自覚した。
だが謝れるほど、自分は強い人間では無い。
だからその言葉は、せめて誰にも聴こえないよう呟いた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「あー海行きたーい、泳ぎたーい。なんなら良い男にナンパされたーい」
「海行きた〜い、女子の背中にサンオイル塗りた〜い。なんなら可愛い女子を食いつくした〜い」
「だ・か・ら、おっさんかってルリ」
教室の窓辺に体を預け、クラスメイトは何も生産性の無い話に耽っている。
退屈な時間だ。
もう明日の事に心をざわつかせる事も、今日の演奏について反省をする事も無い。
いつもの日常が、戻ってきた――
「……ん?」
窓辺にいる女生徒の一人が、何かを感じ廊下の方を振り向いた。
「なんか今、聞こえなかった?」
「うん、びしびし聴いたよ。なんか悲鳴的ななんかを」
先程より大きな音が、廊下の方から響いた。
確かな悲鳴――ミコトもそれに気付き、顔をあげ廊下を見た。
その直後、
「…………」
教室の前扉を突き破り、それは姿を現した。
異質な程に白い体は、不気味な雰囲気を放つ。
腕は長く巨大で、そのくせ不釣り合いに足は小さい。
顔の中央にある宝石のような単眼は、禍々しい雰囲気を放ち、輝いていた。
「何よコイツ……なんかのコスプレ?」
怪訝そうな表情で、女生徒はその物体を眺めた。
他の生徒達も、その異様な雰囲気に呆気に取られ、ただその白い怪物を眺めていた。
「すご〜い特撮の撮影だよ。ルリこういう怪人見たことあるもん」
一人の女生徒が、能天気に明るい声をあげた。
「はぁ?特撮……?」
「そうそう、一つ目怪人ジュノス〜」
女生徒はてくてくと歩き、その怪物に近寄る。
「本物初めましてだ〜。白くてカッコいい〜」
女生徒がその怪物に触れようとする。
その瞬間だった。
「はひょ……?」
怪物が女生徒に噛み付いた。
小さな体の三分の一以上の肉が、宙に浮く――頂点へと落下した肉は、重力に任せ床に落ちた。
べちょ、と嫌な音が教室に響くと、肉がひしゃげた衝撃で鮮血が飛び散った。
「………」
ふらふらと女生徒は前後に数回揺れた後、背中から床に倒れた。
「ルリが死んだ――ッ‼︎」
女生徒のその言葉に呼応するように、遅れて、教室の生徒達が一斉に悲鳴をあげて椅子から立ち上がって逃げ出した。
生徒達の悲鳴に触発された怪物は、雄叫びをあげ威嚇すると、逃げ惑う生徒達に襲いかかった。
噛みつき、抉り取る。
切り裂き、血の花を咲かす
断末魔が、その背景を彩った――
新設したばかりの白い校舎は、人の血で描かれた真っ赤なアートで染まった。
「白い……怪物……ッッ!」
教室の後ろで体を震わせ、ミコトは立ち尽くしていた。
五年前、トンネルで母と自分を襲った白い怪物――今目の前にいる怪物は、記憶の中のその怪物の姿と完全に一致していた。
怪物に襲われ、右手を掴まれた感覚が走った。
「連れていかれる……ッッ!」
自分の右手はあるのか確かめるように、恐怖に怯え、ミコトは右手首を抑えた。
冷たい金属の感触が伝わり、右手首を見る。
自分の右手首には、忌々しい白いアンクレットがはまっていた。
サナキの葬式の日――薬師町に言われた言葉をミコトは思い出す。
『貴方にFEZERを託しておきます。貴方はこれを使い、人類の敵であるジーヴァを倒しなさい』
これがあれば、あの怪物を倒せる――
一瞬浮かんだその考えを、ミコトは頭を振りすぐに掻き消した。
姉はあの怪物と戦って死んだんだ。
姉より劣る自分が、あんなのと戦って勝てるわけは無い。
「に、逃げなきゃ……殺されちゃう」
後退るミコト。
だが震えから足がもつれ、近くにあった椅子に躓き転倒する。
「いたっ……!」
その音に反応したジーヴァがミコトを見ると、咆哮をあげた。
「ひっ――」
ジーヴァは翼のようなその巨大な腕を地面につけ、獣のように四つ足でミコトへと襲い掛かった。
床で静まり返った生徒達が、無惨にジーヴァに踏みつけられる。
「いやああぁぁぁあああ――ッッ‼︎」
恐怖でミコトは目を閉じる。
ここで自分は死ぬのか。
何が起こったのかもわからないいまま――
だがいくら待っても、体に痛みを感じることは無かった。
ミコトはゆっくりと、瞼を開けた。
「あ……こ、こんな……」
周りが少し、暗かった。
一瞬、自分の視界が縮まったのかとミコトは疑った。
だがそれは間違いであるとすぐに気付いた。
「怪我はない……?天月さん?」
三日月状に抉られた腹部から、赤い水滴が滴る。
出会った時と変わらない顔で、ユキナはミコトに微笑んだ。
ルリが死んだ!




