038:師による弟子の組み立て工程
4日連続更新の四回目です。
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アストラ国に仕える6人の騎士と暫く旅をする事になった、翌日。
遠くの空が黒から紺、青色と移り変わり、鳥のさえずりが朝を伝える。
徐々に視界が開けてくると、周囲の草木の姿が黒いシルエットとして浮かび上がっていた。
最も暗い時刻が終わり、徐々に薄くなってくる夜の闇。
電気のインフラなど無い世界の倣いで、異邦人と冒険者の一行は、朝日が出ると同時に出発する事になる。
が、その前に朝食だった。
朝靄の中で皆が起き出し、昨夜と同様に簡易テーブルの上に食事が用意された。
パンをスライスして炙った物に、目玉焼き、厚焼きハム、イモのポタージュスープという、これまたこの世界基準にすると豪勢な内容。
作ったのは小袖袴をたすき掛けにした村瀬悠午だが、家事の勘を鈍らせたくないと、若奥様の梔子朱美も本日から参戦した。
隠れ目法術師の久島果菜実は、引っ込み思案故に出遅れた己を呪った。
「村瀬くん、こういうのどうやって作ってるの? 材料とか、レシピとか…………」
「タマゴとか……ホントに食べて大丈夫なんだろうな。いつのだこれ」
残り火の燻ぶる焚き火の前に座り込み、感心しながらモグモグ食べる女戦士、姫城小春。女子力で完敗している件は、もう諦めた。
卵の鮮度で色々怖いモノを見て来たジト目魔術士、御子柴小夜子は胡散臭そうな顔を隠そうともしていない。頼むから有精卵と無精卵は分けろ。
「前にもチラっと言ったと思うけど、オレ家じゃ割と料理やってたし。卵も凍らせてるって、御子柴さん前に言わなかったっけ?」
「凍らせてる方法にもよるんだよ」
陰陽やら五行やらで明かりを作ったり火を焚いたりお湯を用意したり、戦闘でもよく分からない特殊な技を見せたり。
この世界の住人ではないが、かといって自分たちと同郷のプレイヤーとも異なる。
小袖袴の少年は、ジト目魔術士にとって何ともモヤモヤさせられる相手だった。
便利といえば便利なのだが。
「プレイヤーって基本的に貴族より贅沢だよね。コノリーもそうだったけど」
ここぞとばかりに料理を貪り食うのは、斥候のビッパだ。
シャドウガスト討伐戦の折に知り合い、プロスレジアスの騒動以降も「こっちの方が儲かりそうだから」という理由でパーティーに同行している。
唐突に表れたという事もあり、パーティーメンバーとして数えて良いのか決めあぐねている者が多いが、斥候としては優秀だった。
明るく陽気な人物だが、悠午は何か本心を隠しているように思える。本心以外にも隠している事があるようだが。
「フィア様……」
「ありがとう。流石は我が師……これほど容易く料理にも術を用いるとは」
少し離れたところで主人の給仕を行っているのが、貴族家出身の従者の青年、クロードだ。
本来は別の主に仕えていたが、アストラ王室に一本釣りされた形で王女の世話係兼護衛としてパーティーに同行している。
寝耳に水の決定だった上に、果たしてこれが正騎士になれる栄達の道となるかは不明だ。帰ったら元の主であるヴィンセンタール子爵に忘れられているかもしれない。
かといって、騎士ですらないクロードに選択肢など無かったのだが。
しかし、その一方でクロードは別の希望も見出している。
クロードの求める騎士像とは、王宮や社交界の柵の中で人脈を以って権勢を振るう者ではない。
武功と正道を信条とし、王国と領民を守護する栄光に満ちた騎士だ。
その手掛かりとなる者は、この一行にこそ存在している。
そして、クロードに給仕されている側の、グラマラスな身体のラインが出るドレスを身に着けている女性。
現在地アストラ国の王女にして『魔道姫マキアス』の異名を持つ魔道士のフィアである。
悠午の術の技量を見込んで弟子として同行しているが、その師はロクに手間も掛けずに、あっさり術を行使して見せるという。
料理で魔術を使うとか、もうワケがわからなかった。
これに、ベテラン冒険者でありパーティーのご意見番であるゴーウェンを加え、計9人の体制で旅を行っている。
目的地は遠く、旅もまだ始まったばかりだ。
◇
朝食を終えて間もなく、悠午の一行と6人の騎士は南へ向けて出発した。
途中何度かのトイレ休憩を挟んだものの、7時間後には特に問題なく『リットの町』に到着。偉そうな騎士が「尻が痛い」とか「馬車を譲るべきだ」とぶつくさ言っていたのは、問題の内に入らないので省略する。
「旦那様! よくぞご無事で……」
「ブーイ! いや命を拾った」
「この役立たずが! 助けも呼ばずにこんな所で石でも売っていたか!?」
「ヒィイ!? 旦那様お許しを――――――!!」
町では、オーク襲撃の際に逃がされた従者たちが待っていた。
禿頭傷の騎士と太った従者が再会を喜ぶ一方、偉そうな騎士と痩せっぽっちの従者は険悪な事になっている。他の従者たちは、概ね雇い主の生存を喜んでいた。
そんな一幕の一方で、喜べないのはプレイヤーの女戦士である。
「それじゃ、ゴーウェンよろしく」
「いーけどよ…………ホントに売るのか? コハルの嬢ちゃんとか物凄く何か言いたそうだが…………」
そこそこ規模の大きな町だったので、悠午はここで予定通り馬車を引くウマ2頭を売る事とした。
では、今後馬車はどうするのか、というと、女戦士の小春が人力で引くという話になっている。
小春にしてみれば何を言ってるか分からねーと思うが、やっぱり何を言われているか分かりたくなかった。言葉の言い回しとか比喩的表現じゃない、もっと恐ろしい物の片鱗を感じるものである。
つまり言葉のままという意味だが。
「小春姉さんパワーはあるんだし、そんなに問題無いよ。必要ならオレも穴を埋めるし」
「いや俺が言いたいのはそういう事じゃないんだが…………もういいか…………」
「良くないよがんばって!!」
前衛職が馬車を引いて戦闘には耐えられるのか、そもそもプレイヤーだからと言って重い馬車を引けるものか、引けたとしても見てくれ的にどうなんだ。
等、ベテラン冒険者としては色々問いたい事はあったのだが、必要とあって悠午の意志も変わらぬようで、ゴーウェンも諦めた。
そして、馬車馬にされる小春としては堪ったものではない。
隙さえあれば鬼のように扱かれ、一方で美味しい食事で餌付けされ、地獄の極楽マッサージで骨抜きにされる日々。ここに昨日から風呂まで加わった。
戦い方を教えて欲しいとは言ったが、まさかここまでシステマティックに改造されるとは思わなかったヨ、と大学生グラビアアイドルは語る。
「馬車を引く事で、重心を落して前進する力に変えるのを身体で覚えてもらいます。重い物を引っ張るというのは全身運動ですしね」
「…………毎日の特訓と、モンスターとの戦いは?」
「もちろん外さないです」
ただでさえ先行きの見えない旅がより一層大変になりそうで、小春は今にも挫けそうだ。
そんな弟子を気遣う様子もなく、小袖袴の師匠は町の商店を廻りに行く。
そしてゴーウェンは、恨みがましい視線を背中に受けつつ、馬二頭を引いてその場を去った。
◇
まだ日は高いのだが、従者と合流した騎士の旅支度などもあり、この日はリットの町で休むという話になった。出発は明日早朝だ。
この間に悠午やプレイヤーの姉さん方、魔道姫と従者のアストラ組、職業冒険者である大男と小柄な斥候も、各々必要な事に時間を使う。
買い物後に確保した宿へ戻る悠午は、食材を保管する為、室内に設置したドールハウスに入った。
見た目はただのミニチュアハウスだが、引き込まれた者にとっては普通の大きな家屋敷となる特別なアイテムだ。
本来は中にヒトを閉じ込める為の物だが、どこぞの武道家が中から玄関ドアを蹴破ったので、今は出入り自由である。
手ずから改造を施した食料庫(冷蔵庫)に食べ物を入れると、フと悠午は気配を感じて台所からエントランスに向かった。
ドールハウスには大きな地下室がある。館の両翼と中央の、計3つ。食堂の下はそのまま食糧庫として利用しており、浴場地下は保留。
そして中央の地下は、魔道士のフィアが自らの陣地として使っている。
もともとはフィアの持ち物だったので、特に仲間内から異論も出なかった。
地下への入り口は、エントランスにある階段の裏にある。
扉を開いて少し降りると、そこは何本もの石の柱に支えられたひとつ部屋になっていた。
広さは、エントランスの半分ほど。何本かの柱にランプが掛けられ、淡いオレンジの光が部屋の作りをぼんやりと浮かび上がらせている。
グラマラスな身体に薄手のドレスを身に着けた魔道士は、中央の地面に魔法陣のような物を書き、その上に立っていた。
ただ突っ立っているワケではない。
非常にゆったりとした動きで、一歩を踏み出し、体を捻り、長い杖を頭の上まで持ち上げ、旋回させ、またゆっくりとした動きで振り下ろし、今度は振り返り同じ動きを繰り返す。
そんな動きをしながら、呼吸は七つ吐き、四つ吸う。それも、肺よりも胴の中心の窪みを強く意識し、吐く際には身体から一滴の空気も残さないつもりで。
静かな動きに反して、それは非常に重労働となっていた。
ジャージのような運動着を持たないフィアの身体には、薄いドレスがピッタリ張り付き、布地のピークのところで透けている。
やべぇ、と悠午の少年の部分が呻いていたが、武人の端くれの部分が冷静さを維持していた。
なるほど、キツイだろうに弟子は真面目にやっているようである。
「そこまで」
と師が言うと、弟子は動きを止め一礼していた。いっそ初対面が懐かしくなるほど素直だ。
そんな思いを頭から追い出すと、悠午はフィアの経絡と気血の流れを見定める。
「……少し焦り過ぎ。『丹田呼吸法』は単純なテンポじゃなくて、自分の身の丈に合ったリズムを探していかないと、効率良く“気”が集まらない。上滑りするよ。
『基本功』の動きも、丹田に“気”を集めて全身の気脈を運動で動かし流れを促進させるのが目的だから、まず“気”を十分に溜められるようになるのが肝要」
「は……至らぬ弟子で申し訳なく…………」
「この短期間でここまで出来れば上等だとは思うけどね」
悠午がフィアに教えたのは、“気”の運用の基礎の基礎とも言うべき呼吸法。そして、太極拳と有酸素スロートレーニングの要訣を組み合わせた錬気法の一種だ。
その効果は前述の通り、精“気”を身体の中心に集め、感覚任せにするのではなく実際の身体の動きで気脈に流し、全身に行き渡せる事となる。
ちなみに、気功術を抜きにしても長寿健康に良い。
フィアはこれを教えられて以来、時間を見ては実践を繰り返している。悠午としては、正直すぐに飽きると思ったのだが。
その為、フィアの身体は“気”の充実が始まり、気脈の動きも良くなっていた。
だが、やり過ぎている為か高効率とは言えず、肉体の疲労と疲弊の度を考えれば、収支はややマイナスと言ったところ。
「呼吸を矯正する。基本功無しで丹田呼吸法のみ。オレのリズム通りに……初め。いち、に、さん、し――――――――」
師がテンポを刻み始めると、フィアはそれに従い身体から空気を吐き出す。
更に、悠午はフィアの腹と胸の間、肋骨の下に手を当てると、そこを押して徐々に力を入れた。ジト目の姉さんに見つかると、セクハラ扱いで殴られそうだ。一刻も早くフィアには自分で塩梅を覚えてもらわなくてはなるまい。
そんな事を考えながら地面に目をやると、そこにはフィアが描いたらしき魔法陣があった。
直径3メートルほどの円に、中央には4つの記号。
一片の欠けた四角形、片翼の中心間近だけ途切れている矢印、頂点に穴の開いた三角、真下が切れている丸。
円陣に沿って細々とした文字が記されているが、そうでなくても悠午はこの世界の文字が読めない。意味を読み解く事は出来なかった。
「――――――――なな、いち、に、さん、し。このリズムを忘れないようにね」
「ハ……ハ……はい……ありがと……ざいま……した」
師匠がのんびりしている間に、弟子の王女は呼吸困難で死にそうになっている。
しかし、悠午にしてみれば、これは修行以前の基本的な生き方に過ぎなかった。
言うなれば基礎工事であり、ここが終わらないと先に進めない。
先があれば、だが。
呼吸ひとつ取っても、人間は無駄が多い。
生きている限り人間は呼吸する必要があり、また心臓の一生分の拍動数は、ほとんど生物に共通して決まっている。呼吸を合理的に行うだけで、肉体機能も寿命も劇的に変わってくるのだ。
悠午の実家、叢雲一門では呼吸の仕方、歩き方から徹底して叩き込まれる。ましてや悠午は直系の跡取り有力候補。物心付く前からの教育により、意識しなくても最適の呼吸法が身に染みていた。
だが、一般人同様に意識せず浅い呼吸だけで生きてきた王女には、意識的に呼吸するという事だけで大変な負担となる。
慣れれば気血の流れが良くなり、心肺能力も上がり、体力もスタミナも太くなるが、そこまで行けるとは悠午も思っていなかった。
こんな地味で“気”の長い修行を、王女様が続けられるものだろうかと。
「ところで……この魔法陣は? 何の意味があるんです?」
「は…………?」
とはいえ、弟子二号への判断は保留中である。
悠午は雑談のように、話題を足下の魔法陣の事に変えた。
魔術の事など知らない悠午だが、微妙に“気”の相が特定の属性へ誘導されているのが見て取れるのだ。
今はあまり影響も無いが、勝手な事をされてフィアに変な影響が出ても、師として責任を取りかねる。
フィアの方は息も絶え絶えだったが、師に問われた事を何とか説明しようとしていた。少し悪い気もしたが、息が上がったところの運動は心肺能力を鍛えるので良しとする。
それによると、フィアが地下室に描いた術陣は、魔術を扱う者にとって至極基本的なモノらしい。特定の術を行使する類の物ではないとの事だ。
4つの象徴、ふたつの時間、二種類のヒト種族、二柱の女神、表裏の性質、世界の縮図を表す文言。
それは魔力を高めて術を発現させ易くする一方、境界線の外からの影響を排して術を安定させるのだという。
話を聞いて、悠午は欧州の魔法使いを思い出していた。あるいは、自分の五行の師が使う術式か。
目的とする事が似ていると、その手段も似てくるものだ。
「円は結界、その内側に世界の諸要素か。でもこっちも4大属性なんですね」
「はい、世界は原初、混沌の一であり、無意味で大いなる物であったと……。これが光と闇に分かたれ、次に、火、空気、土、水という4つの大本の元素となり、それらは世界のあらゆるモノを形作ったそうです」
そして、魔力とは生命が持つ力であり、それを以って4大元素の力を発現させ、創造の奇跡を再現する。
それこそが、魔術式。
これを行う者を、魔術士や魔道士、あるいは魔法使いと呼び示していた。
プレイヤーの『ロール』と異なり、これらは特に厳密な位分けが成されているワケでもないとの事である。
やはり、悠午は自分が欧州で見た魔法と似た部分があると思っていた。女神云々はこの世界独自の物と思われるが、そこは地域によって特色が出るのだろう。
これはこれで間違っていないと思うし、門外漢の悠午が専門家にとやかく言う事ではないと思うが、実は少々モノ申したい。
「オレの遣う五行術が四大属性の術と違うのは、循環の概念がある事ですかね。五行で世界は火、土、金、水、木で成り、これらは一方向に姿を変え続けます。生まれる順番と、死んでいく順番。陰と陽、成長と衰退ですね」
四大属性も互いに影響を与えるとされるが、五行は更に密接な関わりを示す。
火、土、金、水、木の順番は相生となり生命の円を描き、火、金、木、土、水の順番は相克となり死の五芒を描く。
それらを合わせると、円の中に五芒の星がピッタリと納まる図形となり、これが世界の全てを表す印でもあった。
生も死も等価だ。五行術は何よりバランスを重視しなくてはならない。
四大も術として誤りではないと思う。
だが、フィアの求めるモノを知っている悠午は、それでは目的に至れないと知っていた。
それに、欧州でしょっちゅう自然のバランスを崩した魔法使いの尻拭いをさせられた五行遣いとしては、弟子に同じ事をされたくないものである。
「それで、これは人間の中の“気”にも同様の事が言えます。その人間が生来持つ相を五行に沿って輪廻させれば、自分の中に小さな世界を作るような“気”が得られるでしょう。
今は『呼び水』を身体に溜めている段階。いずれ自分の“気”に目覚め、自分の相から次の相、次の相と五行を巡って無限の循環を修得できるかは、まぁ…………今後の修行次第?」
師匠が地面に描いた丸に五芒星を凝視し、何やら考え込んでいる魔道士の弟子。
しかし、それが貴重な講座だった事を知ると、再び頭を下げていた。
「ご教授に感謝いたします、マスター」
「オレなりに、無駄にはならないやり方を教えていくつもりですがね。あと呼吸法やるなら外の方がいいんだけど……騎士がいる間は無理か」
だが、悠午にしても迷いどころだ。
他にもいくつか気功術を修める手段はあるが、いずれも死ぬほど“気”が長い修行法となる。
それ以外だと秘術を用いるしかないのだが、安易に超人への道を歩ませる気も起きないという。
実際、早々に音を上げたり文句を垂れると思ったのだ。こんなに真面目に修行するとは思わず。
どうしたもんかなぁ、と内心で悩みながら、地下を出る悠午は、もうひとりの弟子の様子を見に行く事とした。




