◆害虫駆除は命がけ
俺には嫌いなものがある。
勉強にシイタケ、そして……虫。
何よりゴキブリって虫が一番嫌いだ。
グロテスクな外見でカサカサと素早く動き、そしてあの生命力強靭さ。これほど気持ち悪い生物はどこを探してもいない。
普通のサイズならなんとか見られる……だが、1メートルを越すゴキブリなんて恐怖以外の形容の言葉を見つけられない!!てか、生物の先生はこのサイズになったら崩壊するって言ってたぞ!!
月夜に黒光りするボディ。生理的な嫌悪を誘うそのシルエットに俺は腰を抜かしかけた。随伴しているオーグルも中々だが、このゴルソってのはその中でも異彩を放っている。
「リーア!!早くやっちゃってくれ!!」
「はわわわ……で、でっかいゴルソ!!」
リーアは小さい子供のように大輔の背後に隠れた。そして震える声で
「ゴルソだけはムリ。生理的にムリ……」
この瞬間、俺は世界が変わっても人間の感性は変わらないことが解った。まぁ、リーアも女の子だしな。
「わかった……リーアはメランさんと鐘を鳴らしに行け。ここは俺が食い止めるから……」
「え!?良いの?じゃあ、お言葉に甘えて」
復活しやがった。だけど、この数のオーグルを抑えられるか自分でも解らない。でも、腰を抜かしたリーアを守りながら戦うのは無理だし……。
「仕方ない……ゴキブリ退治は男の仕事だし」
メランさんとリーアが鐘の塔へと向かう姿を見送り、大輔は剣道で染み付いた正眼でウォラガ・ヴァールを構えた。
これはゴキブリ退治だ。新聞紙が剣に変わっただけの。と自分に言い聞かせて彼は大きく呼吸を一つ。目の前にいるオーグル達を見据えた。
「さて、クラスでゴキブリ退治係をやらされた俺の実力を見せるときが来たな」
一瞬の静寂。オーグルの一人が首で『やっちまおう』と合図をした。
「Glaaaaaaaah!!」
怒号を上げてオーグルが5匹、鉈や斧などの凶器を振りかざしながら間合いをつめる。ゴルソは高級なのだろうか、鎖につながれたまま待機している。
「すぅ……うぉらあ!!」
振り下ろされたの一撃を大輔は斜め左下に剣を寝かせて防ぎ、返しの右袈裟の刃でオーグルをすり抜けるように一匹屠った。そして取り囲んでいるオーグル達に右に横なぎの斬撃。その鋭さに反応しきれなかった3匹の上半身と下半身を泣き別れさせる。そして残った一匹の腹部をミスリルでコーティングされた刃で突いた。
返り血は無い。魔力で生きている生物ゆえに血の変わりに黒い粒子が周囲に飛び散るだけ。血のないおかげで俺は何とか罪悪感を感じずに戦っていられる。
「新聞紙でも十分かな」
「Ughuuuuuus……」
大輔の一連の剣戟を見たオーグル達はたじろぐ。凶暴でも自分と相手との力関係は理解できるようだ。
「ん?」
勝てないと判断した彼らはゴルゾに近寄り、それを縛る鎖を斧で断ち切った。おいおい……まさか、ゴキブリを投入するつもりかよ!!
「Ggyaaaaaaaaaaaaah!!」
他のに比べると立派な鎧を着たリーダー格のオーグルは突撃のサインをゴルゾに出す。それに対応するように大輔は右足を引いて、剣をを右脇に取って半身に構える。一撃必殺の叩き落しの構え。
ゴキブリはこっちに向かって来る。なら、それに合わせて新聞紙がわりの剣を振り下ろせば良い。
カサカサカサ!!
そう判断した刹那、もの凄い衝撃で大輔の体は宙を舞った。
「がはっ!!」
何とか受身は取れたがクラクラする。まるで車にぶつかったみたいな衝撃だ。それでも大輔は何とか立ち上がり、辺りを見回した。
「何が……起きたんだよ?」
知覚もできないで起こった突然の衝撃――――。それがあのゴキブリ関係していることは解る。カサカサって音もしたし。ゴキブリの魔法か?いや、訳が解んない。
「まさか……」
マンガで読んだ事がある。ゴキブリが人間サイズになったらその速力は新幹線並みになるって……まさかそれか?ゴキブリの体当たりか!?
「ちくしょう……頭がクラクラする」
大輔がゴキブリの走り去った方向に視線を集中させる。耳も静寂の中に溶かすように集中させる。幸い、オーグル達はゴルソの突撃に巻き込まれないように退避しているようだ。ならまだ戦いやすい。俺は集中して剣を中段に構える。
「来いよ、ゴキブリ。ゴキブリホイホイが必要か?」
嵐の前に似た静寂が薄暗い路地に満ちる。自分の呼吸、リーア達が鳴らしたであろう鐘の音しか聞こえないほどの沈黙の中で俺は目を凝らし闇夜の向こうをみようとする。汗ばむ手。まさに台所での戦いを髣髴させるあの緊張感が胸の中をざわつかせる。
―――――――カサ……カサカサカサカサ
間隔が皆無に近いあの不快な足音。闇に紛れて高速で這っているゴキブリだ。この闇夜の中、やつの動きを見切れる可能性は低い。
「……神様……この際、露出狂でもいい……俺に力を―――――いや、殺虫剤を貸してくれ!!」
衝撃。
月明りが雲に隠れた瞬間だった。漆黒の塊が大輔の腹部を強打した。ゴキブリのタックルと同程度の衝撃――――――だけど、違う。宙に舞う感覚の換わりに柔道でやられた大外刈りみたいに地面に押し倒されるような感じがする。
「くっ」
大輔は頭の強打を回避する為に顎を引き、授業で染み付いた後方受身を取った。溶けかけた視界にちらつく黒い何か。月明かりが照らした瞬間、俺の背筋は戦慄で崩壊しそうになった。
「ひっ……」
月明かりに反射する体の脂とおぞましい顔が俺の視線を埋め尽くした。大輔の上にジャイアントゴキブリが馬乗りになっているのだ。大輔は激しく生理的な嫌悪感に後押しされて、理性の限界を超えたような力でもがいた。だが、ラフィーラの加護を受けた大輔の筋力を以ってしてもゴキブリの力が強すぎてビクともしない。
「キモい!!降りろ!!」
大輔は右手に握ったウォラガ・ヴァールを力任せにゴキブリの体に叩きつけるが意味がない。それもそのはず。懐に入られたら槍が不利になるのと同じ理由だ。この間合いでは大剣を振るおうにも運動エネルギーを十分に得られないのだ。
そしてゴキブリの攻撃が始まった。ハサミのような顎で大輔の顔にかじりつこうとするが、彼は首を動かしてそれを回避した。そう、こいつは俺を食おうとしているのだ。ドラゴンとかに食われるのならまだ解かる。だけどゴキブリは絶対にいやだ……
考えろ。力じゃ太刀打ちできない……ウォラガ・ヴァールは近すぎて使えない。何かないか?何か……!!
回避を繰り返している内に、肘が硬い何かにぶつかった。細い金属?俺はその何かに目をやった。
「あ……!!」
それはジェザルトが餞別でくれた家に代々伝わる短剣だった。切っ先は鋭く刺突に向いた形状をしており、刀身も有効打の望める長さだ。でも、高級な剣でゴキブリを切るなんて忍びないな……
「って、四の五の言ってる場合か!!」
すまん、洗って返す!!俺は心でジェザルトとその先祖に詫びて、腰に携えた短剣を逆手で抜き放ちゴキブリの首筋あたりに刃をつき立てた。
貫通。
嫌な手ごたえ。だが予期せぬ一撃に怯んだゴキブリを俺は奴を突き飛ばし、ウォラガ・ヴァールの方へ後転し拾い上げて最上段から引力と剣の自重を乗せた重い一撃を、丸めた新聞紙を振り下ろすようにゴキブリの体に叩き込んだ。
「うぉらああ!!」
文字通り一刀両断。強靭な生命力を誇るゴキブリも体を真っ二つにされては息の根も止まり、魔力粒子に還元された。
「はぁはぁはぁ……酷い目に……遭った」
嫌悪感で胃の中身が逆流しそうになるが堪え、荒くなった呼吸を整えた。あとはオーグルの歩兵だけ。ゴキブリを相手にするよかよっぽど楽な相手だ。
だが……
「きゃあぁあ!!」
大輔の耳を甲高い悲鳴が劈いた。子供の声だ。俺は声のした方角を振り息を呑んだ。
ゴキブリをけしかけたオーグル達が一人の10歳にも満たない少女を取り囲んでいたのだ。少女はオーグルに突き飛ばされ、路面に叩きつけられた。
「あ……」
刃物を持った大きい存在が逃げることの出来ない弱い存在に不条理な暴力を浴びせる……あの時と同じだ。
泥のように纏わりついた鮮血の温もりと臭いが脳裏によぎる。乗り越えたはずの過去がまたよみがえり始めた……。
「あ、あぁあああぁああ!!」
大輔は自然に剣をバッティングフォームのように持つ八相の構えで悲鳴にも似た雄叫びと共に走り出した。八相の構えは機動性を考慮した構え。彼は構えに邪魔されること無くオーグル達に肉薄する。
「うぁあああ!!」
脳裏に鮮明に蘇るあの日、あの日、あの瞬間の映像。大切な人が自分を凶刃から包み込むように守ってくれたあの瞬間、自分の無力さで誰かが傷ついたあの瞬間を忘れようと大輔はひたすらに大剣を振り回した。
オーグルの刃を浴びても、彼は獣のように剣を振りオーグル達の体を切り裂く。もはや理性は完全に消滅した。身に付きまとう過去という名の泥を振り払おうとする以外に彼の存在意義は無くなってしまったのだ。
「ダイスケ!!」
地に伏し、息が耐えて粒子に還元しそうになっている最後の一匹となったオーグルを何度も、何度も、何度も大剣で突き刺す大輔の狂気の姿を見たリーアは走って止めに来た。
「ダイスケ!!落ち着いて!!」
オーグルの肉体が消滅しても彼は路面を突き刺すことを止めなかった。
「やめて、もう終わったのよ!!」
乱れる大輔を落ち着かせようとリーアは彼を引き離そうと押さえつけが、止まることは無く振り回されるだけだった。だが、そんな中でリーアの耳は人語とも思えぬ叫びの羅列の中で一つの単語らしき言葉を
拾った。
「なつねぇ……なつねぇ……」
孤独な子供が親を呼ぶときのような悲しい声。彼はその名前らしき単語を嗚咽のように漏らしながら、貧血で倒れるまで暴れ続けた。




