伯爵夫人の乗馬教室
翌日の昼下がり、多少はウォーキングなどしておこうと、春の花を眺めつつ庭園を散歩したミレディアナは、その後、東屋でお茶をしていた。もちろん美味しいお菓子も用意されているので、カロリーの収支としてはプラスである。
(乗馬を始めたら痩せるはず……!)
前世では貧乏過ぎてダイエットとは無縁だったが、難しいものだなぁ。テレビや雑誌で常に特集されていた理由がやっと分かった。
「奥様、旦那様が」
マリアの声に立ち上がって振り返ると、ヴィンセントを伴った伯爵が近付いてくるのが目に入った。
「おかえりなさいませ、旦那様」
「うむ」
お辞儀をするミレディアナに片手を上げて応えると、東屋に置かれたソファに腰掛ける。
「旦那様にお茶をご用意して差し上げて」
伯爵の向かいに座ったミレディアナの言葉に、マリアが頷いて支度を始めた。
「ご視察、お疲れ様でございました」
知ったからにはなにも言わないのもなんだしな、と思いながら慰労の言葉を口にすると、伯爵が目を見開く。
「ほう!ようやっと妻に興味をもってもらえたか。ありがたい限りじゃ」
いちいち嫌味なじいさんだ。
「あら、きれいな鳥」
ほぼ点にしか見えないくらい遥か彼方を飛んでいる鳥に気を取られたふりをしてやり過ごしていると、タイミングよくマリアがお茶を出してくれた。
「馬に乗りたいそうだな」
カップを手にした伯爵が言う。
「ええ、そうなのです。なにか新しいことを学んでみたいと思いまして」
乗馬は貴婦人の嗜みの一つだし、妥当な言い訳ではないだろうか。
「ほほう」
じろじろ見るな。言葉の裏を読むな!見透かそうとするなぁ!!
内心の叫びを押し殺し、愛らしく微笑んで伯爵を見つめていると、ニヤリと笑った伯爵が頷いた。
「可愛い妻の望みじゃからな、もちろん構わぬ。――ヴィンセント、マリア、支度を整えてやれ。いつから始められる?」
「すぐに馬具の手配をいたしますので、明後日には」
「すでに乗馬服の仕立てに取り掛かっております。明日中には仕上がりますので、同じく明後日には可能かと」
優秀!クールビューティー二人組は仕事ができる子!
「ありがとう。――楽しみですわ、旦那様」
心の中で二人に惜しみない拍手を送りつつ、ミレディアナはにっこりと微笑んだ。
◇◆◇
二日後の午後、真新しい乗馬服に身を包んだミレディアナは、ヴィンセントに先導されて厩舎へと向かっていた。
(思ってた乗馬服と違うけど……)
厚手のブラウスのような濃いグレーの上着に、同じ色のロングスカート。いつも着ているドレスとは違って飾り気もないし動きやすくはあるのだが。ジャケットに細身のパンツとロングブーツ、というような衣装を想像していたミレディアナは内心で首を捻る。この格好で馬に跨ると、足がむき出しになっちゃわない?
ヴィンセントも、お供してくれているキャリーもなにも言わないので、間違ってはいないのだろうが……
(ま、行けばわかるか)
「この馬は気性も穏やかで、奥様の乗馬に良いのではないかということです」
ヴィンセントが示したのは、クリーム色に近い淡い茶色の馬だった。
「きれいな馬ね。それにとても優しそうな目をしているわ」
ただ……思ったより大きいね。
乗れるのか?と不安な気持ちにはなったものの、天敵に弱みを見せたくない一心で悠然とした態度は崩さない。
ヴィンセントに命じられた厩番が馬を厩舎の外に連れ出してくれる。太陽の下で、明るい色のたてがみは淡い金色にも見えた。
「奥様の髪色と似ておりますね」
はしゃいだ声でキャリーが言う。
「あら、本当。ふふ、わたくしたちお揃いね」
思い切って手を伸ばし、腰の辺りをそっと撫でると、首を捻って賢そうな目でこちらを見ている。
眺めたり、撫でたり、おやつのにんじんを食べさせたりして交流を深めたあと、まずは引き馬で乗ってみては、ということになった。
厩番のジムが鞍を着けてくれたのだが、それを見たミレディアナは首を傾げる。なんていうか……記憶にある鞍ではない。なにこれ、どうやって座ればいいの?
「ちょ、ちょっと待って。これは、どのように乗ればいいの?」
「乗馬をご覧になったことはあると聞きましたが……」
手を貸そうとするヴィンセントを慌てて制すると、怪訝な顔をされてしまう。
「以前に見た時は、前を向いて馬に跨っていたわ」
「……ひょっとして、ご婦人の乗馬をご覧になったわけではないのですか?」
まずい……テレビで見たなかには女性の騎手もいたのだが、多分そういうことではない。
「え、ええ、そうなの!父がお友達と乗ってらっしゃるのを見たことがあるの!」
咄嗟に言い繕うと、ヴィンセントは納得して頷いてくれた。
「そうでしたか。では、キャリー。あなたが一度、騎乗して奥様にお目にかけなさい」
その言葉にキャリーは目を剥いて、顔の前でぶんぶんと両手を振る。
「む、無理ですよ!私、馬に乗ったことなんてありません!」
「走らせろとは言っていません。止まっている馬に座るだけです」
丁寧な口調だが取り付く島もないヴィンセントの様子に諦めたキャリーは、ジムの手を借り、怖々と馬に乗ってみる。
「右足はここに掛けて、左はこっちへ……鐙には左足を乗せてください」
ははあ……なるほど。横向きに座って乗るのか。そういえば、絵画で見たことがあるような。確かにこれならロングスカートでも問題なく乗れそうだ。
「も、もういいですか?高くて怖いです……!」
小声で悲鳴を上げるキャリーが降りると、いよいよミレディアナの番だ。実を言うとキャリーの姿を見て余計に不安になったのだが、ここまできて、できませんとは言えません。
覚悟を決めると、ヴィンセントにサポートしてもらいながらどうにか鞍に腰掛けた。
「あ……!」
鞍に座ると、目線が一気に高くなる。馬車に乗るのとはまったく違う開放感に、自然と顔がほころんだ。
(ただ……)
止まっているぶんにはいいのだが、この『横乗り』は思った以上に怖かった。自転車の荷台に横座りで乗ったことがあるのだが(違法)、あんな感じの危なっかしさ。走り出したら前や後ろに吹っ飛ばされるんじゃないだろうか……
とはいえ、今日のところはジムに馬を引いてもらって、ぽくぽくと平穏に進んでいく。普段より高い場所から眺める景色を楽しみながら乗っていると、並んで歩いていたヴィンセントが口を開く。
「いかがですか?乗馬は」
「楽しいわ!この馬もとてもいい子ね。名前はなんというの?」
いつまでも『馬』と呼ぶのも申し訳ない。たずねたミレディアナに、ジムが愛想よく答えた。
「お気に召したようでしたら奥様が名前をお付けください。こいつはこの先、奥様の乗馬になりますので」
私専用!?じゃあ、絶対に飽きたとかいえないんじゃ……
乗馬に飽きて厩舎にも行かなくなったミレディアナを毎日、寂しく待っているお馬さんの姿を想像してしまい、責任の重さに慄きながら頷いた。
「そ、そう。なんと名前を付けようかしら……この子は男の子?女の子?」
「雄です。奥様」
ジムが答える。
雄か……といっても馬の名前なんてどう付けよう?猫や犬ならタマとかミケとかポチなんかのテンプレートがあるのだが。
「ナリ……いえ、ブライアンと名付けましょう」
「承知いたしました。良い名前かと存じます」
ヴィンセントが頷いて言う。でしょ?きっと走るのも早いと思うよ。
「よろしくね、ブライアン」
首を撫でてそう言うと、ブライアンは手のひらに顔を擦り付けてくれた。




