ダバ遣い
敷地内を軽く巡って厩舎へと戻っていると、どこかで、バキッ!となにかが折れたような音と、馬か牛のような動物の鳴き声が聞こえてきた。
全員が立ち止まり周囲を見回したが、特に変わった様子はない。
「あ!あちらではない?今、なにかが転がっていったわ」
ブライアンの鞍上からミレディアナは裏門の外を指さした。
食材などの業者や商人などが出入りする裏門は表の門より遥かに質素な造りであり、門番もいないようだった。
「確認してまいります」
そう言ったヴィンセントが走っていく。ミレディアナもブライアンを駆って颯爽と向か……いたいところだったが、今のところ一人では方向転換すらできない。
「ジム、手を貸して。降ろしてちょうだい」
厩番という立場を気にしてか恐縮する様子のジムを急かしてブライアンから降ろしてもらう。あ、イタタタタ……ただ座っていただけなのに、普段使わない筋肉を使ったせいかもう身体が痛い。これは続ければ痩せられそうだ。って、そうじゃなくて。
長いスカートの裾を掴み小走りで裏門へ向かうミレディアナの後を、キャリーが慌てて追いかける。
屋敷の裏手には林が広がっており、門を出て見渡すと少し離れた木立の脇に屈むヴィンセントの姿があった。
「ヴィンセント!」
声をあげて近付くと、振り返った執事はあからさまに渋い表情を浮かべている。
「奥様、お戻りください」
フン、その態度にはもう慣れたわ。
無視して周囲を見回すと、古びた荷馬車が横転し、繋がれた馬が諦めたように座り込んでいる。一瞬、なにか違和感を覚えたように思ったが、ヴィンセントの側で倒れている人の姿が目に入ると慌ててそちらへ駆け寄った。
「気を失っているの?怪我は!?」
「キャリー!奥様を屋敷へ!」
尖った声に、どこか腰が引けた様子のキャリーがミレディアナの腕に触れる。
「お、奥様、参りましょう」
「でも!怪我をしているなら、運ぶなりお医者様を呼ぶなりしなければならないわ!」
ミレディアナの言葉に、キャリーは顔を引きつらせた。
「でもアレは……『アクジキ』です!」
「アクジキ?なんのこと?」
聞いたことのない言葉にミレディアナは戸惑うが、その時、倒れていた人が小さな呻き声をあげた。
ハッと振り向いたミレディアナは、ヴィンセントが声に気を取られている隙に間近へ寄って屈みこんだ。
「大丈夫?怪我はな……っ!」
倒れていたのは、十歳になるかならないかの貧相に痩せた子供だった。小柄な身体が地面に投げ出された痛ましい光景に、ミレディアナは思わず息を呑む。
「あ、あなた!大丈夫!?痛いところは?」
ぼんやりと目を開いた子供は、徐々に意識がはっきりとしてきたのか、目と口をポカンと開けて、血相を変えて覗き込むミレディアナの顔を見上げた。
「あ……」
呟いた子供の手がそろりと動き、ミレディアナに向かって伸ばされる。
目を瞬いたミレディアナだったが、伸ばされた手を掴もうと両手をそちらへ動かした。だが、その時、ヴィンセントが腕を上げ、子供の手を遮った。
「ヴィンセント!なにをするの!」
思わず非難の声を上げたミレディアナに、ヴィンセントは硬い表情を向ける。
「この者に触れてはなりません」
「なにを言って……!」
「賤民なのです!触れれば穢れが……移ります……」
美しい顔を歪めて発するヴィンセントの低い声に、頭がクラリとした。
この人は、なにを言ってるの?
賤民、というのは身分の低い者という意味だったように思う。今まで考えたことがなかったが、貴族がいるなら反対に見下されている立場の人々がいても不思議ではない。だが、だとしても普通に考えて穢れが『移る』ことなどあり得ない。
(いえ、違う……。私も同じことを言われてきたじゃない)
――あの子の家は貧乏だから、仲良くしちゃダメ
――あそこの親はろくでなしの犯罪者だから関わるな
親の言葉を聞いた子供は、素直な残酷さを発揮して『えんがちょ』だの、『バリアー』だの、『バイキン』だのと囃し立て、わざと突き飛ばしておいてその『汚れ』を移しあう鬼ごっこのような遊びまで流行らせていた。
(この人たちは、本当の私が貧乏な犯罪者の子だと知ったらどうするんだろう)
丁重に扱ってきたことを悔やみ、石を投げて追い出すのか。触れた手が汚れたと顔をしかめて吐き捨てるのか。
ギリ、と奥歯を噛んだミレディアナは、ヴィンセントの手を払いのける。
「奥様!」
「黙りなさい」
冷たく言ってふたたび手を伸ばしたが、やり取りを耳にした子供は青ざめた顔で半身を起こして後ずさる。
「動かないで。痛むところや苦しいところはない?」
「あ……は、はい……」
怯えた表情で頷く子供に、ミレディアナは優しく微笑んだ。
「そう。でも、無理はしないでね。――なにがあったの?」
キョトキョトと周囲を見回した子供が、倒れた荷馬車を見て泣きそうな顔をする。
「大きな音がして、荷車が倒れました。どうしよう、車輪が無い……」
か細い声と話し方で、女の子らしいと判断がついた。
「ああ、それなら……」
さっき転がっていったのが車輪ではないだろうか、と立ち上がって裏門の向こう側を見やると、それらしきものが落ちている。
「ジム、拾ってきてもらえる?」
ブライアンを繋いでからこちらへ来ていた厩番に声をかけると、ヴィンセントの顔をうかがうようにチラチラと見ていたが、苦い顔をした執事が仕方なく頷くと「はあ……」とあやふやな返事をして向かって行った。
「じ、自分で取ります!」
慌てて立ち上がろうとした少女をミレディアナが制止する。
「急に動いては駄目よ。ゆっくりと身体を動かして。痛くない?」
その言葉に戸惑いながらも手や足をそっと動かした少女は、額を押さえて顔をしかめた。
「頭が痛いの?――ああ、こぶができているわね」
ミレディアナが額に指でそっと触れると、少女はトスンと尻もちをつく。
「ごめんなさい!痛かった?」
慌てて詫びると、少女はブンブンと首を振った。
「奥様……」
振り返ると、車輪を手にしたジムが「拾ってきました……」と少女を見ずにぼそぼそと言う。
胸の辺りがもやっとしたが、腹を立てても仕方がない。
「……どこが壊れているかわかる?直るかしら」
「軸が折れているのかと。交換すれば動くのではないでしょうか」
荷馬車をチラリとだけ見て、無関心な口調で答える。
「あなたに、直すことは、できる?」
大きく一つ息を吸い、ひと言ひと言を区切るようにしてたずねると、ジムはギョッとしたように目を見開いた。
「アクジキの荷車を!?」
隠し切れない嫌悪感の滲む言葉に、ミレディアナが叱責の声をあげそうになった時、「ジム!」とヴィンセントが鋭い声を出した。
「控えなさい。――ダバ遣い、あなたは当家に出入りの者ですか?中年の男性だったはずですが」
ダバ遣い、と呼ばれた少女はコクコクと頷いた。
「は、はい!それは父さんです。父さんが死んだので代わりに来ました」
「まあ、お父様が……」
呟いたミレディアナにチラリと視線を向けたヴィンセントだったが、ふたたび少女に問いかける。
「仕事の経験は?父親が亡くなったからといって勝手なことをされては困ります」
ヴィンセントの言葉にビクリと身体を震わせた少女は、その場に這いつくばるようにして頭を下げた。
「な、何度か手伝ったことはあります!ちゃんと働きますから、どうか……!」
見ていられなくなったミレディアナは、少女を背にかばうようにしてヴィンセントと対峙する。
「およしなさい!わたくしたちのために働いてくれている人に対してそのような物言いをするものではないわ!」
「奥様はこの者の仕事をご存知ではありません」
よくできた仮面のような冷たい表情で言い放つヴィンセントをじっと睨んだミレディアナは口を開いた。
「ええ、そうね。知らないわ。だから教えて。なんの仕事をしてくれているの?」
言い淀んだヴィンセントだったが、視線を逸らさぬミレディアナに仕方なく返答を口にする。
「……汚物の回収です」
ああ……そうか。メイドによって片づけられたおまるの中身は勝手にどこかへ流れていくわけではないものね。その仕事を引き受ける人も当然、いる。そしてそれは、好ましい仕事ではないのだろう。水洗トイレが当たり前の世界からきたとはいえ、自分の考えなしが嫌になる。
「お耳を汚すようなことをお聞かせして申し訳ございません」
顔をしかめたミレディアナをどのように思ったのか、ヴィンセントは冷ややかな声で謝罪した。それには構わず振り返ったミレディアナは身を屈め、俯く少女の顔を覗き込む。
「確かに力のいる大変なお仕事ね。無理ならば他の人にお願いしても構わないわよ?」
目を見開いてミレディアナを見上げた少女は激しく首を振った。
「で、できます!やめさせないでください!」
必死で言い募る様子にミレディアナはため息をついた。小さな身体の女の子には不向きな仕事だと思うが、おそらく他に食べていく術がないのだろう。
「そう……。では、お願いするわ」
ヴィンセントに口を挟ませることなく話をまとめたミレディアナは、立ち上がるとジムにひたりと視線を据えた。
「荷馬車を修理してあげてちょうだい。このままでは仕事に差し支えてしまうから」
はっきりと命じられては拒むことはできない。なにやら言いたげに口を開閉していたジムだったが、最終的には承諾した。
「直すのに時間も必要でしょうし、頭を打っているのも気になるわ。今夜は泊っておいきなさい。ああ、でも、ご家族が心配なさるかしら?」
「い、いえ。家族はいない……ので」
他人から……特に身分の高い者から親切にされたことなどない少女は、驚きのあまりへどもどと答えた。
そう……と呟いたミレディアナは、押し黙ったヴィンセントに視線を向ける。
「聞いてのとおりよ。休む場所と食事の手配をしてあげて」
口元をヒクリと震わせたヴィンセントはわずかな沈黙ののち、「かしこまりました」と感情の読み取れない声で答えた。




