危機
「ダバ遣いを泊めたそうじゃな」
そら来た――グレイ伯爵の声に、ミレディアナは食事の手を止めて顔を上げた。
少女をヴィンセントに預け、チラチラと顔色をうかがってくるキャリーと共に屋敷へ戻ったミレディアナは、珍しく食欲の湧かぬまま夕食の席に着いていた。普段なら美味しい食事で大抵の嫌なことは忘れられるのだが、今日は不快な苛立ちが収まらない。
「ええ。荷馬車が壊れておりましたので。いけませんでしたかしら?」
伯爵に答えた声は、我ながらとげとげしいものだった。
「儂にとっては些細なことではあるが、使用人のなかには不満に思う者もおるようじゃぞ」
その筆頭であろうヴィンセントをチラリと睨み、言葉を返す。
「使用人部屋に泊めるのが不都合なようでしたら、わたくしの部屋へ連れてきていただいても構いませんわ」
「ほう?賤民の小僧を寝間へ連れ込もうというつもりか」
伯爵の嫌味な言葉もいつものように受け流す余裕はなく、冷ややかな笑みが浮かぶ。
「どなたかと一緒になさらないで。不愉快ですわ。――そもそも、あの子は女の子です。なにをおっしゃっておられますの?」
ミレディアナの言葉に怪訝な表情を浮かべた伯爵はヴィンセントに目を向ける。おまえかよ。
「あら、ヴィンセントが男の子だと申しましたの?どう見ても女の子でしたのに」
正直、ぱっと見では分からなかったのだが、ここぞとばかりにやり返す。
初めて目にする執事の呆けた表情を心のカメラに収めていると、ヴィンセントが口元に手を当てた。
「女性……なのですか?――これは、いけない」
どうしたの、と問う前にヴィンセントが口を開く。
「男の子供だと思い、厩番の小屋に泊まるようにと伝えました」
(え……?)
ヴィンセントの言葉を頭が理解した瞬間、全身の毛が逆立った。
――ガシャン!!
手にしていたカトラリーを叩き付けるようにテーブルに置いたミレディアナは、椅子を倒して立ち上がるとドレスを掴んで走り出す。食堂を飛び出し、玄関ホールへと向かう。途中、使用人が驚いた顔で見ていたが、知ったことか。
玄関の重厚な扉を力ずくで開くと、月と星の明かりを頼りに厩舎へ向かって全力で走る。むやみに広い庭園を抜けるとようやく厩舎が見えてきた。厩舎の側に細身の男らしき人影が見えて一瞬、安堵したものの、すぐに様子がおかしいことに気がついた。
人影は厩番の小屋の前をうろうろとするだけで入るでもなく、離れるでもない。ミレディアナの足音に振り返ると、髪を振り乱し、ドレスの裾を蹴散らして走る姿にギョッとしたように立ちすくんだ。
体当たりをする勢いで小屋の扉を開いたミレディアナは、引きつるように息を呑んだ。
蝋燭の明かりにぼんやりと照らされた小屋の中には、床にしゃがむ三人の男の姿と、男たちの間から覗く枝のように細い脚が見える。
「離れなさいっ!!」
扉の開く音に振り返った男たちは、薄ら笑いを浮かべた表情のままミレディアナの怒声に固まった。走り寄り、真ん中にいる男を突き飛ばす。ミレディアナの力では男の身体はぴくりとも動かなかったが、その剣幕と怒鳴り声、そしてなによりドレス姿の女の登場に驚いた男の腰がわずかに引けた。
視線を走らせると、押し倒されているのはやはりあの少女だった。中央の男はその身体に馬乗りになり、残りの二人はそれぞれ手と口を押え付けている。
その光景に、心の底に押し込めていた忌まわしい記憶がよみがえる。
暴力で蹂躙される恐怖と屈辱を『私』は身をもって知っていた。
「離れろと言っているでしょう!」
馬乗りになる男の襟首を掴んで、頬を平手で張り飛ばす。
「っ!?」
混乱しながらも、男の瞳に怒りが浮かび、認めたくはないが、一瞬、心が恐怖で委縮した。
だが、絶対に引くことはできない。奥歯を噛みしめて、もう一度手を振り上げたその瞬間、「お前たち、なにをしている!」というヴィンセントの怒鳴り声が背後から聞こえ、男たちはようやく「ひっ!」と叫んで飛びのいた。
「いっ……やあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
塞いでいた手が離れ、少女の口から悲鳴が上がる。
抱き起こし、着衣と身体を検めると、最悪の事態には至っていない様子だった。だが、衣服は裂かれ、上半身は剥き出しで、頬にも殴られた痕があり、間違っても無事とはいえない状況だ。
「やあぁぁぁぁっ!いやぁ!」
「大丈夫よ!もう大丈夫!ごめんなさい!ごめん……ごめんね……!」
泣き叫ぶ少女をミレディアナは抱きしめる。恐慌状態で振り回す手が顔や身体を打つのも構わず少女を離さないその姿に、ヴィンセントと男たちは呆然と見入っていた……
やがて、落ち着いた……というよりは虚脱した少女を抱きしめたまま、ミレディアナは振り返らずに口を開く。
「ヴィンセント、上着を貸して」
「あ……は、はい……」
差し出されたジャケットを少女に羽織らせたミレディアナは、その身体を包むようにして立ち上がり、無言で小屋の出口へと向かう。
「あなたたちには謹慎を申しつけます」と三人の男たちに言い置いたヴィンセントは、ためらいながらも後を追う。
扉が閉まる直前の小屋の中に一瞥をくれたミレディアナは、自分が殴った男がジムだったということに気がついた。
ヴィンセントが声をかけることすら許さない気配を放ちながら、少女から片時も手を離すことなくミレディアナが玄関前に戻ると、閉じた扉の前には家政婦長の姿があった。
「わたくしの部屋へ連れていきます。使用人たちの目に触れることのないよう、人払いを」
少女とミレディアナの姿に厳しい表情を浮かべたメイヤーは、無言で頷くと扉を開けた。
あらかじめ姿を見せないように命じていたのか、部屋までの通路に人気はない。
「わたくしが世話をします。……誰も入れないで」
「奥様、それは……せめて、私が」
言いかけたメイヤーは、しかし、我が子を守る獣のようなミレディアナの表情を見て引き下がる。
「奥様」
いつの間にか姿を消していたヴィンセントがふたたび姿を現すと、背後からそっと声をかけてきた。
「彼らの処分は奥様がお決めになるように、との旦那様のお言葉でございます」
「…………承知した、とお伝えして」
振り返らずにそう言うと、ミレディアナは後ろ手に扉を閉じた。
浴槽に湯を張る間に、もはやぼろ布同然の少女の服を脱がせ、改めて身体を確認する。やはり強姦にまでは至らずに済んだようだと確信できたが、殴られた頬は腫れ、押さえ付けられていた腕には痕が残る。乱暴に掴まれたのか、小さく膨らんだ胸にもくっきりと爪の痕がついており、ミレディアナは唇を噛み締めた。
服を脱がせても、浴槽に誘導しても、少女は人形のように従順で声も上げない。放心しているだけならばよいが、心が壊れてしまってはいないかと案じられた。
だがとにかく、世界や時代が違っても、このような目にあった者はまず身体を清めることを望むだろう。ドレスの袖をまくって、浴槽に座らせた少女の頭と身体を洗い、顔は絞ったタオルで拭う。負担がかからないように素早くこれらを終わらせると、風呂から上げて身体を拭いた。その時点で着替えがないことに気付いたが、先ほどまで着ていた服は着せられる状態ではなく、二度と着させたくもない。タオルで包んで寝かせるか……と考えながら寝室へ戻ると、ベッドの上には新しい寝間着や下着と大小のタオルが置いてあった。テーブルには冷水の入った洗面器や傷薬、それに飲み水や食べ物までもが置いてある。浴室にいる間にメイヤーが置いてくれたのであろうそれらを見ると、張り詰めていた心がわずかに緩んだ。
「丈が合わないけれど我慢してね」
傷に薬を塗って、大きすぎる下着と寝間着を着させてやると、少女はようやく、ぼんやりと周囲を見回すような動きを見せた。少し安堵したミレディアナは、ベッドに座らせ、その隣に自身も座るとそっと少女を抱きしめる。
「大丈夫。今はなにも考えずに休みなさい」
トン、トン、と背中を優しく叩いていると、やがて腕のなかで小さな寝息を立て始めた。
残り湯を使う気にはなれなかったので、汚れたドレスを脱いだミレディアナは桶に新しく汲んだ湯で濡らしたタオルを絞り、身体を拭いて部屋着に着替えた。
少女の顔を覗き込むと、よく眠っている。頬を冷やしていた濡れタオルをもう一度冷水に浸して当ててやると、小さく身動きをしたものの目を覚ます様子はない。
立ち上がったミレディアナは窓辺に置かれた椅子に腰掛け、暗い庭園に目を向けてじっと考えを巡らせ始めた。




