グレンミルの村(二)
一応は事態を収拾してくれたグレイ伯爵へのお礼のつもりでしばらくは腕を組んで歩いていたが、どさくさ紛れに腰を抱いてこようとしたので周りから見えないように脇腹をつねってスルリと逃げた。すぐにマリーが手を繋いできてくれたので不自然さはなかったはずだ。グッジョブ、マリー!
その後は、比較的平穏に村内の案内をしてもらう。と、いってもミレディアナの手を引くマリーを先頭に伯爵と執事とメイドが続き、さらにその後ろから村人ご一行様が付いてくるという謎の大行列ではあったのだが。
「ここね、どんぐりありゅの!」「それは素敵ね」
「おしゃかな、みゆ?」「きれいな川ね~」
「おはな、あげりゅ!」「まあ、ありがとう!」
楽しいよ!?楽しいけど、大のおとなをぞろぞろ引き連れてすることかなぁ!?
大人は解散してくれよ……と、思うがそうもいかないらしい。
「りんご、ありゅよ!」
そう言ったマリーが食品貯蔵庫らしき建物に駆け込んで、りんごを一つ持ってきてくれた。スカートでごしごしとりんごを拭くと、手渡してくる。きっと母親がいつもそうしているのだろうな、と思いながらマリー母に目をやると、身の置き所のない様子で顔を赤くしてしまっている。
「わたくしがいただいていいの?」
たずねると、『もちろんだ』とでもいうように力強く頷いてくる。メイドや村長は、大丈夫なのかと伯爵にチラチラ視線を送っているが、ご本人は平然としている。
ならば、いただきましょう。
シャリッ!と音を立ててりんごに齧りつく。うん、甘酸っぱい。こちらの世界の果物や野菜って、良くも悪くも味が濃いよね。昔の作物って感じだろうか。
「とってもおいしいわ」
目を輝かせて感想を待つマリーに笑いかけると、自分が作ったりんごを誉められた農夫のように満足げな笑顔を見せた。ああ、もう、かわいい。
マナー警察のヒンヤリとした視線を後頭部に感じつつ、りんごを齧りながら歩いていると、小川のほとりにある低木の茂みをマリーが指さした。
「べいーありゅのよ。あしたのあした!」
はて、べいー?あしたのあしたは……あさってか。
「べいーってなあに?」
「べいーよ!あまーいの!」
どうしてわからないんだ!というふうに膨らませるほっぺをつつきたい衝動をこらえながら、考える。あまーい、べいー……
「あ!ベリー?え、ベリーがなるの?」
うわ、めっちゃ摘んでみたい!
「しょう!あしたのあしたよ!」
「あさって?」
茂みを見るが、まだベリーらしきものはなにもない。そんなに急にできるもの?
「あの……奥方様……」
遠慮がちな声に振り返ると、マリー母が身体を縮めて立っていた。
「ベリーがなるのは夏頃です。その子はまだ明日より先が分かってなくて……」
あー!なるほど。「べいー、いちゅ?」「夏よ」「あした?」「明日は無理ね」「あしたのあした?」「そうね、明日の明日の明日かな~」という感じのやり取りが目に浮かんで微笑ましい。ちなみに今は、ちょっとしたコートが欲しい春先だ。『あしたのあした』はかなり遠い。
「まあ!ベリーがなったらぜひ摘んでみたいわ。よろしいでしょう?旦那様!」
『幼妻と、妻に甘い老伯爵』という脳内設定で、無邪気さ全開の笑顔を作って伯爵を振り返る。
「ああ、もちろん構わんとも。夏になったらまた来よう」
伯爵は好々爺の笑顔で頷いた。意外と察しもノリもいいのな。
◇◆◇
多少偏ったルートではあったものの、おおむね村内を一周した伯爵一行は、村長のお宅でハーブティーのような香りの良いお茶をいただいたのち帰路に就くこととなった。
村長宅ではマリーの件を平身低頭して謝られたため、楽しかったと繰り返し伝え、母娘があとで叱られることのないように全力でフォローする。一方で、伯爵と村長が村の様子についての話をしている間は楚々として控えめな貴族の奥方としての態度を崩さず、ヴィンセントへ向けてのアピールも怠らない。
村長の家を出ると、お見送りのために再度、村人が集合していた。マリーを探すと後ろのほうで母親にしっかりと手を握られて立っている。先ほどのように飛び出してこないためだとは思うが、それが不満なのか、それとも叱られたのか、指を吸って俯いていた。
……このまま帰るのは、ちょっとね。
村人たちの前に歩み寄ると、仰天して立ちすくんでいる中年女性に微笑みかける。
「マリーにお別れの挨拶をしたいのだけど、通していただいてもよろしいかしら?」
効果てきめん。海が割れるようにしてマリー母娘の前までの道が開けた。逃げ腰になるマリー母には申し訳ないが、もうしばらくお付き合い願います。
「マリー、今日は素敵なおもてなしをありがとう。とても楽しかったわ」
膝を折って顔を覗き込むと、やはりべそをかいたあとがある。
「あらあら、どうしたの?お口から指を出してかわいい声を聞かせてちょうだい」
「みえでぃしゃまぁ」
ぐずるような声をあげて口から離した手でミレディアナのスカートを掴んだが、その手はよだれでべちょべちょで、マリー母をはじめとする村人一同の声にならない悲鳴が聞こえた。
「あらまあ」
フフン、前世ではもっとアレな体液に日々接してきたのだぞ?幼女のよだれごときで動じるものではないわ!
ハンカチを取り出してマリーのおててを拭ってあげる。レースがふんだんに使われた、あまり実用的ではないハンカチだったが、なんとか一応、拭き取れた。
「こえ、きえいね~」
今鳴いたカラスがもう笑う、っていうんだっけ?あっという間に機嫌を直したマリーがハンカチを見てニコニコしている。
「あら、気に入った?では、これは今日のお礼にマリーに差し上げましょう」
「奥方様!そ、そのような高価なものを……!」
「構わないわ。わたくし、マリーのおかげで今日は本当に楽しかったの」
村長のほうまで聞こえるように声を張って言うと、今度はマリーに聞こえないよう、マリー母に囁いた。
「だから、ね?マリーを叱らないであげてちょうだい」
ヴィンセントからは見えない位置なのを確認のうえで軽く片目を閉じてみせると、目を瞬いたマリー母の表情がわずかに緩む。
「は、はい……!ありがとう存じます」
これでよし……と。
「ではね、マリー。また会いましょう」
「みえでぃしゃま、しゃよなら?」
ハンカチを嬉しそうに広げたり裏返したりしていたマリーが首を傾げる。
「次は、ベリーの摘み方を教えてね」
「あい!あしたね!あしたのあしたね!」
「ええ。あしたのあした」
にっこり笑って、村人のほうを振り返る。
「皆さまにも心からお礼を申し上げます。素敵な時間を過ごせましたわ」
極上の微笑みを浮かべて言うと、村人たちはそろってポカンと見惚れたあと、バタバタと帽子を取ったりスカートを持ち上げたりして頭を下げた。
卒業式の花道みたいに村人の間を通り抜けて馬車の前に到着すると、ふたたび伯爵のエスコートを受け、最敬礼する一同に見送られながら村を発った。




