グレンミルの村(一)
「外出ですか?」
翌朝、食堂で朝食を食べ終えるころ、突然グレイ伯爵が「出かけないか」と言い出した。
「ああ。嫁いできて以来、屋敷から出ておらぬだろう。馬車で一日ほど行けば大きな街もあるのだが、急な思いつきゆえ今日のところは最寄りの村へ行くのはどうじゃ?」
どうじゃ、と言われましても……まあ、来いと言われればどこへでもお供しますとも。
「ええ、喜んで。――では支度をしてまいります」
だが確かに、美術館巡りのようなお屋敷探検にも、高尚な画集くらいしか見るもののない図書室にも飽きてきたところだったので、朝食の最後の一口を食べ切ったミレディアナは演技ではなくウキウキとして、身支度を整えるべく食堂をあとにした。
「まあ!すてきな眺め!」
馬車の窓から外を眺めるミレディアナは、緩いカーブを曲がった先に見えてきた集落の光景に声をあげた。地方の名前そのままに『グレンミル』や『グレンミルの村』と呼ばれるそこには塀や道による区画のようなものはなく、なんとなくここからこの辺りが村なのだろうな、という緩い感じで家屋や畑が集まっている。
「コーラルから来る際にも通ったであろうが」
「あら、そうでしたかしら?……緊張していたせいでしょうか、覚えておりませんわ」
それなりに旅を楽しんでいたつもりだったが、到着が近付くにつれてさすがに余裕がなくなっていたのか、村の横を通った記憶すらない。
「ほう。そなたでも緊張することがあるのか」
なにが言いたい?いちいちニヤニヤすんな、ジジイ。
風景に見惚れるふりをして、意味ありげに笑う伯爵を無視している間に馬車は集落へ到着した。
「おそれいります、旦那様」
伯爵にエスコートされながら馬車を降りる。一応こういう夫としての役割はきちんと果たしてくれるようだ。
(こんな気遣いができるなら、初日もいきなり抱くんじゃなくて食事なりお茶なりしてくれりゃよかったのに)
第一印象が悪すぎてあとからの加点が追い付かない。恨みがましく思っていると腕が差し出されたので、一応そろっと掴んでみる。お年寄りにつかまっちゃって大丈夫?というか、この光景、傍から見たら介護では?などと考えていたのだが、伯爵の足取りは意外と確かで、並んで歩くと背もわりと高い。若い頃はさぞおモテになったことだろう。
伯爵が訪れるという先触れは出されていたようで、村長らしきおじいさんと、壮年から青年までの男の人が何人かご挨拶のために駆け寄ってくる。少し離れた場所には残りの村人と思われる老若男女が集まっていた。
(ああ、視線が痛い……)
自分たちのご領主様が新妻を伴ってやってきたのだ、それは興味も湧くだろう……が、そこを差し引いて考えたとて熱心すぎる視線が集まっているのを感じる。まあ、気持ちは分かるけど。
気付かないふりをするには強すぎる視線の圧に負けたミレディアナは、村人たちに顔を向けると、ヴィンセントに怒られない程度にささやかに首を傾げて会釈をする。
ざわっ!と音さえしそうなほどに、領主の若妻からの挨拶に驚いた様子の一同だったが、ここでもミレディアナの妖精のような愛らしさが威力を発揮し、すぐに「ほぅ……」という感嘆の声が湧き上がった。
そこへ一人の女の子――子供の年齢はよく分からないが、多分三歳か四歳くらいの小さな子がトットット……と近寄ってきた。すぐに気付いた母親らしき女性が止めようとはしたのだが、こちらに走り寄るのをためらっているうちに子供はミレディアナのすぐ側まで来る。
「こ、こらっ!」
村長が叱責の声をあげるが、伯爵が片手を上げて制すると戸惑いながらも口を閉じた。
プクプクとしたほっぺが赤くてかわいい女の子は、立ち止まるとこちらをじっと見上げている。どうしたものかと考えながら、とりあえずにっこりと笑ってみせた。
「おひめしゃま?」
つたない口調で嬉しいことを言ってくれる。か、かわいい……!
「まあ!ありがとう。でも、お姫様ではありませんのよ。わたくしは……ミレディアナといいますの」
『伯爵様の妻』『領主様の妻』どちらを言っても小さい子には難しいかと思ったので、名前を名乗る。
「みえ……みりあ……?」
「ふふ、ミレディアナも難しいわね。ミレディ、と呼んでもらえる?」
母親がオロオロと手を上げたり下げたりしているのを視線でなだめて落ち着かせると、女の子の前に膝をついて目線を合わせた。
「みえ……み……みえでぃ、しゃま!」
「お上手ね。あなたのお名前はなんというの?」
「まい!」
マイ?えらく日本的な名前だね。
「マイちゃん、というの?」
「ちあう!ま・い・い!」
名前を間違えられたのが不満だったようで、大きな声で訂正された。
(まいい?……あ!マリーか!)
「ごめんなさい。マリーちゃん、でよろしいかしら?」
「あい!」
誇らしげに胸を張るマリーの姿に村人たちは冷や汗をかいている。チラリと伯爵に目を向けると別段不機嫌な様子もないので、まあ、大丈夫だろう。
「奥様」
しかし、背後から伯爵よりも小うるさい男の声がした。
「領民に敬称をつけるのはおやめください」
敬称?……まさか『ちゃん』のこと!?小さな子にくらいいいだろうが、と思ったのだが、マリーや母親に矛先が向いては困るので、ぐっと不満を飲み込んだ。
「……マリーは、年はおいくつ?」
小姑の存在を無視するように、マリーとの会話を継続する。
「みっちゅ!」
そっかぁ、三つかぁ。指は二本しか出てないけど、どっちが正解?ま、かわいいからどっちでもいっかぁ。
マリーの愛らしさにデレデレとなりながら、ドレスに付いた砂埃を払って立ち上がる。
「これ、ミレディ。美しい手が汚れるぞ」
近付いてきた伯爵が、ハンカチを出してミレディアナの手を拭った。埃なんか両手をはたけば取れるっての。あと、あんたにミレディと呼んでいいとは言ってない。
ハンカチをメイドに渡す伯爵を見上げたマリーが、ツンツンとミレディアナのドレスの裾を引く。
「あら、なあに?」
「みえでぃしゃまの、じいちゃ?」
ブフッ!
しまった。不意打ちすぎて笑いをこらえられなかった。
淑女らしからぬ笑い方を口元に手を当てて誤魔化すが、笑っちゃいけないと思うと余計に笑いが込み上げてくる。しかし、当然ながら周囲はとんでもない空気になっていた。マリーのお母さんは気絶しそうになっているし、他の村人たちやメイドも総じて青い顔をしている。平然としているように見えるのは執事のみ。伯爵は憮然とした表情を浮かべている……ように見えるが、口元は笑いの形に歪んでいる。はぁ、まったく……
「くふっ……!こ、子供は正直ですわね、旦那様」
ダメだ。笑うのを我慢すると声が震える。
「も、申し訳ございませんっ!」
その途端、マリーの母親が悲鳴のような声をあげて土下座をした。
えっ!?もしかして、怒りで声を震わせてると勘違いさせてしまった?
慌てて駆け寄り、マリー母の肩に手を添えて顔を上げさせる。
「あ、あのね、怒ってはいないのよ?大丈夫だから、立ってちょうだい。マリーがびっくりしてしまうわ」
ドレス姿の貴婦人に手を取られたマリーの母親は目を白黒とさせている。いや、もう、本当にごめんなさい……
「マリーにそう見えるのは当然ね。……でもね、マリー、この方はわたくしのおじいさまではなくて、旦那様なの」
「だんなしゃ……?」
子供ながらに、マリーは納得のいかない表情を浮かべている。う~ん、手ごわい。
仕方がないので伯爵の側へ歩み寄り、腕に手を添えてピタリと寄り添う。
「ね?わたくしの大切な旦那様よ」
「みえでぃしゃま、しゅき?」
うお~い!マリー!?週刊誌の記者並みにグイグイ来るね!
「え、ええ!もちろん大好きよ!」
毒を食らわば皿まで、の心境で言うと、ようやく納得してくれたのか「だんなしゃま!」と一声叫んで頷いてくれた。つ、疲れた……
「ははははは!」
精神的にぐったりとしたミレディアナの隣で、伯爵が空を仰いで豪快な笑い声をあげる。
「子供、おまえのおかげで妻からの貴重な言葉を聞くことができたな。礼を言おう」
うん……もう、場が収まるならなんでもいいよ……
諦めの境地に達したミレディアナは、虚ろな瞳で笑みを浮かべた。




