報告書とお目付け役
「奥様についての再調査報告書でございます。ですが、内容は以前の調査と大きく変わるものではございませんでした」
一週間ぶりに屋敷へ戻ったグレイ伯爵に、ヴィンセントは綴じた書類を手渡した。パラパラとめくられているそれには、主にミレディアナの出身地であるコーラル領で行われた、彼女の素行や周辺環境などの再調査報告が記されている。当然、縁談を申し入れる前にも入念な調査をしてはいたが、伯爵の指示により再度調査が行われたのだ。
「ふむ……異なる点は?」
「縁談の申し入れがあった直後に数日間体調を崩されたものの、ほどなく回復なさったとのことでございます」
「衝撃のあまり寝込んだか?……だが、追加の報告はその程度か」
愉快そうに笑った伯爵は、すぐに笑いを消して問う。
「はい。外見が秀でていることを除けば、可もなく不可もない平凡な男爵令嬢――前回の調査報告と変わりなく。異性関係につきましてはコーラル邸の内外を問わず、さらに入念に調べさせましたが、未婚の令嬢としてごく当たり前に貞操を守っておられたようでございます」
「はてさて……と、なるとなおのこと化け物めいた女ということになる」
楽しげに言うと報告書を無造作に置き、ヴィンセントに視線を向けた。
「おまえの目から見てどうじゃった。アレはこの一週間どのようにしておったのだ?」
「多少、使用人に対して気安い面はみられましたが、貴族令嬢としての一般的な礼儀と教養を身につけた方であるようにお見受けしました。旦那様がご不在の間は、屋敷の内外をご覧になったり調度品を眺めたりして過ごしておいでです。読書がお好きとのことで、ここ数日は図書室におられる時間も多いようです。ああ、それと――お食事をとても美味しそうに召し上がる方だと、メイヤー夫人が申しておりました」
口にしながら内心でわずかに首を捻る。報告書から見て取れるのは、控えめで従順な性格の男爵令嬢の姿だが、実際に接して抱いた印象は、おとなしげに振る舞ってはいるものの好奇心が旺盛で活発な少女、といったところだった。礼儀作法に問題はなく、我儘な振る舞いをすることもなかったため、特に気にかかってはいなかったのだが、改めて言葉にしてみると確かに若干の齟齬はある。
「食事を旨そうに食べる?なんだそれは」
軽く笑った伯爵は、立ち上がると窓の外に目を向ける。新しい玩具を手に入れた童のような……いや、新しく手に入れた玩具を使ってどのような悪戯をしようかと考える悪童のような表情を浮かべる主に、ヴィンセントは思わず小さなため息をもらした。
「さて、それでは新妻のご機嫌をうかがっておくとしよう」
悪童の笑みを浮かべた伯爵の言葉に、ふと数日前の光景を思い出したヴィンセントは、ためらいながら口を開く。
「そういえば……先の奥様の肖像画をご覧になった際には、祈りを捧げておいででした」
「……フン」
くだらんことを、と言いたげに鼻を鳴らして扉口へと向かう主に従い、ヴィンセントは素早く動いて扉を開けた。
◇◆◇
「失礼いたします」
(げっ)
ヴィンセントの声にミレディアナが顔を上げると、久しぶりに目にする伯爵の姿がそこにはあった。
眺めていた画集を小机に置いて立ち上がると『ずっと出かけててくれてよかったのに』という気持ちを顔に出さないように気をつけながら、ドレスの裾を軽く持ち上げてお辞儀をする。
「お久しぶりでございます、旦那様」
嫌味ともとれる言葉に、側に控えていたメイドがギョッとしている気配を感じた。執事もヒクリと眉を動かしたが、当の伯爵はにこやかな表情を崩さない。
「うむ。外せぬ所用があったゆえ長らく屋敷を空けてしまったが、つつがなく過ごしておったか?」
「はい。皆、腫れ物に触るように優しく接してくれますの。おかげで毎日、心地よく過ごさせていただいておりました」
無邪気な笑顔でお馬鹿と嫌味のギリギリのラインを攻めてみましたが、いかがでしょう?これまでメイドたちに嫌味を言うようなことはしていないので、少しだけ猫の被り物を脱いだミレディアナの様子にメイドは呆気に取られている。執事はさすがというべきか、今度は表情を動かすことはしなかった。
「そうかそうか。それはよかった。久しぶりに顔を合わせたことでもあるし、今宵は食事を共にするとしよう」
「まあ、嬉しいですわ。旦那様」
一見、仲良しの祖父と孫娘のように微笑み合って言葉を交わしながら、互いに目の奥は笑っていない。
日々の楽しみである食事の時間を邪魔されることが確定し苦い気分になったミレディアナは、晩餐のための身支度を整えるべく、重い足取りで図書室から引き揚げた。
◇◆◇
「……なるほど、たしかに旨そうに食べおるわ」
「え?なにかおっしゃいました?」
ワイングラスを手になにやら小声で呟いた伯爵に、ミレディアナは首を傾げて問いかけた。
子羊のローストを美味しくいただいていたので、ちゃんと聞いていなかった。羊の肉って前世では食べたことがなかったけど、風味があって美味しいな。美味しいお料理の前では伯爵の存在もたいして気にならない。ありがたいことにそれほど話しかけてくることもなく、美しく盛り付けられたオードブルのようなものを摘まみながらワイングラスを傾けて、ミレディアナが食事をしている姿を物珍しそうに眺めている。
「そなた、酒は飲めるのか?」
(ほう?昔、勤め先のキャバクラで『ザルを超えてワク』とまで言われた私に、飲めるかって?)
……あ、いけない。また初夜と同じ失敗をするところだった。
「ワインなら少しだけいただいたことがございます。ただ……美味しさはよく分かりませんでしたわ」
実家が困窮する直前にほんの数回だけ参加した舞踏会や夜会でお酒を口にした際に酔っぱらった記憶は無いので、ミレディも弱いわけではないのだろう。
いくら飲んでも酔わない体質の『私』なのだが、あいにくお酒の味は好きではない。いくら飲んでも気持ちよくも楽しくもなるわけでない身からすると、お酒は単なる変な味の飲み物だった。
ミレディアナの初々しい発言に伯爵は楽しげに笑い、ヴィンセントになんだか難しい名前の銘柄を伝えている。
別に飲みたくもないのだが、確実にお高いだろうと思われるワインが恭しい手つきで運ばれてきてしまった。仕方がないので恐る恐る舐めるようにして飲んでみる。酸っぱいような、渋いような、甘いような、苦いような……。ミレディアナの微妙な表情を、なにが面白いのか知らないが伯爵はニヤニヤと笑って見ている。
……いるよねー。若い娘に慣れないお酒とかクセのある珍味とか食べさせて、悦に入るオジさん。あ、おジイさんか。
なんだか腹が立ったので高級ワインをクイっと飲み干してやったが、やっぱり全然、美味しくはない。わざとらしく目を見開いてみせる伯爵に遊ばれているような気になって余計に腹が立ったミレディアナは、付け合わせの野菜と共に不満の言葉を飲み込んだ。
「ミレディアナよ、なにか欲しい物はないか?」
デザートの焼き菓子をあらかた食べ終えたところで、唐突に伯爵が聞いてきた。
お、初めて名前を呼んだな……と思いながら、質問の意図を考える。
一.使用人の前での格好つけ
二.ご機嫌取り
三.なにかの罠
可能性としては、三→一→二と、いったところか。童話によくある、欲張りな願い事をして痛い目をみるアレだな、さては。
「いいえ。美味しいお食事も、素敵なお部屋も、美しいドレスもすべて与えていただいておりますもの。これ以上欲しいものなどございませんわ」
百点満点の回答を百五十点の笑顔と共に返してやったが、なぜかつまらなそうな顔をする。ひょっとして『もっと一緒に過ごしてくださいませ』とか言って欲しかったのか?いや、言わねぇよ!?
「新妻に長らく寂しい思いをさせた償いをさせて欲しいと言うておるのじゃ。年寄りに恥をかかせるものではないぞ」
わぁ、めんどくさい。
ミレディも世間知らずのお嬢様なので、こういうときのちょうどいいおねだりの知識が不足している。花やお菓子……は、さすがにあざとすぎるか。宝石はそもそも欲しくないし、高価すぎてご機嫌を損ねられでもしたら大損だ。紅茶を片手に頭を悩ませていると、ふと、あることを思いつく。
(いや、でも、これはな…………ま、いいか)
カップを置いて、上目遣いで伯爵を見つめる。
「物ではなくて、お願いごとでもよろしいの?」
「言うてみよ」
遠慮がちに問うミレディアナに、伯爵は鷹揚に頷いた。
「旦那様は、わたくしの母に会われたことはございますか?」
「むろん、あるが」
突然の実家の話に、伯爵は怪訝な顔をする。
「でしたらきっとお気付きになられたことと存じます。母は……とても優しく、他人を疑うことのない純粋なひとなのです。父、亡きあとは母娘ふたり手を取り合って暮らしてまいりましたが、こうしてわたくしが嫁いだ今、母はひとりになってしまい……きっと、頼りのない心細い気持ちで過ごしていることでしょう。――旦那様、わたくし、お母様のことがとっても心配なのですわ」
潤んだ瞳を向けるミレディアナに伯爵は薄く笑みを浮かべると、「ほう、それで」と続きを促す。
「無遠慮なお願いであることは承知しております。ですが、どうか旦那様の信頼のおけるどなたかを母の側に置いてはいただけませんでしょうか?」
正直、長期的に見ると宝石などよりよほど高くつくおねだりなのだが、あの母親を放置しておくと伯爵の支援で持ち直した財政をあっという間にふたたび傾けてしまいかねないため、一か八かで頼み込む。
「なるほど。お目付け役を送れ、ということか」
意地の悪い顔で笑う伯爵に、ミレディアナは口元に手を当てて目を見開いた。
「まあ!お目付け役などと言っては、まるでお母様が悪者のようですわ。意地悪な旦那様!――ただ、領地の経営や資産の管理をお手伝いくださる方がいれば、母も安心して過ごすことができるのではないかと考えましたの」
間違ってもメイドや侍女を送るなよ~、と念を送る。
「大切な妻からの頼みじゃ、早々に手配するゆえ安心しておるがよい。――ヴィンス、後ほど候補となる者を挙げてまいれ」
伯爵の背後に控えていたヴィンセントが「かしこまりました」と頭を下げる。時間外労働させて悪いねぇ、ヴィンスくん。
「まあ……ありがとうございます!旦那様のような頼もしい方の妻となれて、わたくしとっても幸せですわ!」
これに関しては割と本気でありがたかったので、甘いセリフに輝くような笑顔を添えて、大盤振る舞いに振る舞っておいた。
◇◆◇
「なかなかに、したたかな娘ではないか」
コーラル領へ遣る人材の候補をまとめた書面を持って書斎を訪れたヴィンセントに、グレイ伯爵は機嫌の良い声をあげた。
「はい、報告書の印象とは異なりますね。――母親とも似ておられないようで」
「ああ、あの女か」
数ヶ月前の出来事を思い出した伯爵は鼻で笑う。
「あの女、儂が自分に求婚すると思い嫌悪感を露わにしておったな。そのくせ目的が娘と分かると手のひらを返して媚びてきおった」
ヴィンセント自身、親というものに対して幻想は抱いていないつもりだったが、我が身かわいさにためらわず娘を差し出すその醜悪さには鼻白んだものだった。
祖父ほどの年齢の男に娶られたのだ、並の令嬢であればその結婚生活は悲愴なものになっていただろう。だが、一見儚げな見た目の少女は予想に反し、いたって気楽な様子で日々を過ごしている。伯爵に対しても、自覚があるのかどうなのか挑発的ともいえる態度を取ってくる。本人が面白がっているのは幸いというものだが。
「あの愚かな女を放っておけばまた毟られるのは目に見えておるからな。その前に見張りをつけておくのは賢明というものだ。だがしかし、これほど頭が回るものなら、あのように窮する前にもう少し上手く立ち回れそうなものではあるが……」
「そこはやはり実母に対する遠慮があったのでしょうか」
「そのように殊勝なタマには見えんがな。――ふむ、候補の者なら誰でもよい。ああ、せっかくだ、『義母上』に歓迎していただけるよう見目よい者を送っておけ」
クツクツと笑う伯爵に、ヴィンセントは「かしこまりました」と頷いた。
「今夜はどちらでお休みになられますか?――奥様のお部屋へ行かれるようでしたら、お声がけをしてまいりますが」
「いや、夜も更けた。すでに寝ておろうし、今宵はやめておく。明日の楽しみに取っておくこととしよう」
「……寝間の支度を申しつけてまいります」
呆れ顔をお辞儀で隠したヴィンセントは、伯爵の笑い声を背に部屋を出ていった。




