伯爵の不在証明
「まず、確認したいのは……旦那様が本当に罪を犯されたのかどうかよね」
三人になった寝室で腕を組んだミレディアナが呟くと、ヴィンセントが咎めるような視線を向けた。
「旦那様を疑っておられるのですか?」
ミレディアナはヴィンセントをまっすぐに見返した。
「わからないわ。女性を巡る諍いでつい相手を殺めてしまうということだってあり得るでしょう」
らしくないな、とは感じるが『旦那様はそのような方ではありません!』と叫ぶほどの信用はない。それはもうカケラもない。
「もしも旦那様が罪を犯されていた場合、奥様はどうなさいますか?」
メイヤーが静かな口調で問うてきた。
「どうもなにもね……。それは裁きにしたがって罪を償うしかないと思うけれど……。まあ、せいぜい哀れな妻を装って減刑をお願いしてみるわ」
若く美しい人妻が涙ながらに訴えれば、多少の効果はあるだろう。
「あ、いえ、そうではなく……」
思わずといったふうにメイヤーが口を開いた。
「離縁する御意向か、とそのような意味でおたずねしました」
「え?ああ、そっち……」
そうか、普通はそう考えるのか。前世の父親がチンケな犯罪者だったせいで感覚が麻痺しているのか、その選択肢は思いつかなかった。
「まあ……動機や状況にもよるけれど……罪を犯したという一事だけで即離縁とは考えないわ」
親子と違って夫婦なら簡単に縁を切れるんだった。よし、あり得ないほど最悪な動機だったら、さっさと見捨てて離婚しよう。メイヤーの言葉で新たな発想を得たミレディアナは、当たり障りのないことを口にしつつ心の隅でひっそりとそう決意した。
「それよりも!」
伯爵推し……もとい、腹心が苛立った声を上げる。
「旦那様が濡れ衣を着せられている可能性を考えるべきでは!?」
現実をすっ飛ばして未来を見ていた女性二人は、顔を見合わせて首をすくめ、その言葉に素直に従うことにした。
「事件があった日、旦那様がどちらに向かわれたかは聞いていないのね?」
気持ちを切り替えてたずねたミレディアナに、ヴィンセントは無念そうに顔をしかめた。
「はい……。人に会う、としか」
ミレディアナはぽりぽりと頭を掻く。
状況は限りなく疑わしい。ヴィンセントでなくてもいいから、従僕の一人くらい連れていっとけ。
「ん……?ねえ、供は連れていなくても、歩いて出かけられたわけではないわよね?あの日……わたくしたちは別邸の馬車で出かけたわ。なら、もしかして……」
辻馬車を利用したと考えるより、本邸から連れていった馬車を使った可能性が高いだろう。
「王都へ同行した御者を呼んできてちょうだい!」
ミレディアナの言葉に、ヴィンセントは部屋を飛び出していった。
「お、奥様……」
連れてこられた中年の御者は、寝台に身を起こしたミレディアナの姿からぎこちなく目を逸らす。
「心配をかけてごめんなさい。はしたない格好で悪いのだけれど、どうしてもあなたに聞きたいことがあって……」
使用人にまで仮病を続ける必要はないのだが、警備兵に情報が漏れ出すのを防ぐため、秘密を知る者は最小限に留めたい。
「は、はい……。なにか……」
御者はミレディアナから目を背けたまま、微かに震える声で答えた。寝間着姿のうら若き女主人に目を向けるのを非礼と考えこちらを見ないのかと思っていたが、なにやら様子がおかしい。
「ねえ……あなた、事件があった日、旦那様を馬車でどちらかへ送って差し上げたのではない?」
御者はビクリと身体を震わせ、床に目を向けている。
ヴィンセントが怒鳴り声を上げようとしたのを、ミレディアナは素早く睨んで口を閉じさせた。
「なにがあってもあなたを責めることはしないわ。あの日、旦那様がどちらへ向かわれたのか、わたくしに教えてはもらえない?」
俯く御者の顔を覗き込むようにしてミレディアナは優しく言う。
「も、もうしわけ……。ですが……ですが、お話しすると、奥様が……」
激しく懊悩する御者を、ミレディアナは根気よく宥め続けた。
「なにを聞かされても構わない。だからお願い。どうか真実を話してちょうだい」
ミレディアナのいたわりに満ちた声での懇願に、男は床へ崩れ落ちた。
「申し訳ございません……!あの日、私は……っ、マーロウ通りへ旦那様をお送りしました……!」
ん……?どこだそれ?事件現場?
「あ」
眉をひそめて考えていたミレディアナは、思い至って口を開いた。
「ひょっとして、スー・ラ・ローズ?あの日、旦那様はスー・ラ・ローズへいらっしゃったの?」
御者は床に突っ伏したままガクガクと首を上下させる。
「な……」
なーんだ、と言いそうになったミレディアナは慌てて己の口を押さえた。そんな言い方をしてしまっては、目の前で震える男の立場がない。
「な……なるほど……、あなたはわたくしのことを慮って言えずにいたということね?」
「は……はい。いえ、でも、旦那様が連行され、そのあとで憲兵には言ったのです!ですが、あの男は私の証言など証拠にならないと。そんな事を口にすればただ旦那様の名誉を貶め、奥様のお怒りを買うだけなので誰にも話してはならないと……!」
憲兵に威圧的に脅されて口にすることができなかった、と御者は涙ながらに白状した。
言いたいことは色々あったが、とりあえず……
「ありがとう。勇気を出して話してくれて。あなたのおかげで旦那様が罪を犯しておられないことがはっきりと分かったわ。感謝します」
寝台から降り、御者の手を取ってそう言うと、顔を上げた男はふたたび涙を溢れさせる。
「なんと……なんと、お優しい……!」
感動と感謝の涙を流す男に再度礼を言い、戻るように命じたミレディアナは、寝台に座り込むと「ふんっ」と一つ鼻を鳴らした。
ひとまず伯爵の不在証明が成立したのは良いのだが・・・
(アンヌ様のところへ行くなら一緒に連れていってくれればいいじゃない!そうすりゃこんなややこしい事にもならなかったってのに)
とはいえ、ミレディアナがついていってはいわゆる『逢瀬』は遂げにくいだろう。伯爵を差し置いてマリアンヌを独占しようとする態度が招いた結果だろうか、と密かに反省していると、遠慮がちな咳払いが聞こえてきて我に返った。
「あ、あら、ごめんなさい。ぼーっとしていて。えーっと……なにはともあれ旦那様が無実と分かって良かったわね!」
ミレディアナの言葉にも、二人はなんとも言えない表情を浮かべてそっと視線を交わしている。
(や、やりにくいなぁ……)
姿勢を正して座りなおしたミレディアナは、「はい、注目!」と手を叩き家内の重鎮二人の視線を自分へ向けた。
「あのね、一つはっきりさせておきたいのだけど」
ぐっと身を乗り出して、声にしっかり力を込める。
「わたくしは旦那様が娼館に入り浸ろうが、何人愛人がいらっしゃろうが、まっっっっったく気にしていないから!」
そう言っても、二人にはミレディアナが強がっているようにしか見えないらしい。
「特に!ヴィンセントには言ったでしょう!?スー・ラ・ローズのマリアンヌ様にはお引き合わせいただいたのだけれど、本っっっっっ当に素敵な方で、わたくし心からお慕いしているの!」
「引き合わせた……?」
メイヤーは顔を引きつらせている。だね!妻に愛人を紹介するとか、普通に考えて異常行動だ。
「旦那様の非常識はさておいて、アンヌ様は本当に素晴らしい方なんだったら!もう!どう言えば分かってくれるの!?そうだ!もし!もしも旦那様とアンヌ様のお二人が崖から落ちそうになっていたとしたら、わたくしは旦那様を見捨ててでも、アンヌ様をお助けするわ!それくらいアンヌ様を慕っているのよーーー!!」
息が切れるまで続けたミレディアナの熱弁が功を奏したのか、とりあえず二人は納得した……ことにしてくれた。そうしないと話が進まないからだ。
「で、では、旦那様が無実ということは確かとして……」
言いかけたヴィンセントが顔をしかめた。
「うん……。憲兵はその証言を隠蔽しようとした。単に自分の手柄の邪魔になるからだったのか、それとも……」
「最初から旦那様に罪を被せるつもりだったのか……で、ございますね」
メイヤーの言葉にミレディアナは頷いた。
単なる捜査ミスなのか、それとも仕組まれた冤罪か。
「どちらにせよ、当日の旦那様の居所を明らかにすれば疑いは晴れるでしょう」
言って、ヴィンセントが申し訳なさそうな顔をする。
「奥様には不名誉な話になってしまうのですが……」
夫婦での旅先で新婚の夫が愛人と逢瀬を楽しんでいた事実を公にするのは、ミレディアナにとって屈辱的なことだろう。
「それは別に構わないの。不名誉は旦那様に押し付けて、わたくしの評判だけを高めることだって可能だし」
泰然とした微笑みなんぞ浮かべながら「喜ばしいことではございませんが、旦那様の罪が晴れた嬉しさとは比べものになりません。――お相手の女性には感謝しかございませんわ」とか言って『器の大きな妻』の評判をかっさらってやる。
あっさりと言い放ったミレディアナは、「ただ……」と浮かない顔をした。
「アンヌ様に、旦那様がいらしたという証言をしていただくのは難しいかもしれないわ」
その言葉にヴィンセントとメイヤーは愕然とする。
「なぜですか……!?もしや、そちらにも憲兵が圧力を?」
メイヤーの言葉にミレディアナは首を振った。
「いいえ……。ああ、もちろんその可能性もあるのだけれど、それよりも……」
マリアンヌの言葉を思い出すように閉じた瞳をゆっくりと開く。
「薔薇は秘密……。娼館は客の秘密を漏らすことはしないわ。それが質の良い娼館であればある程に」
そして、スー・ラ・ローズは最高級の娼館だ。
「ですが状況が状況です!そのような決めごとなど……!」
言いかけたヴィンセントに、ミレディアナは鋭い視線を向ける。
「あの方々のお仕事における大切な信義なのよ!社交界での名誉だ不名誉だなどというくだらない話ではないわ。一度でも決まりを破ればお店の信用は失墜し、離れたお客様は二度と戻ってきてはくださらない。マリアンヌ様が血の滲むようなご苦労の末に築き上げられたスー・ラ・ローズを!彼女のこれまでの人生を!あのお店で働いている女性たちのこの先を!すべて投げ捨てさせるようなことを簡単に言わないで!」
噛み付くような激しさでまくし立てるミレディアナに、ヴィンセントは唖然とした。娼婦に……しかも夫の愛人である娼婦とその店の女たちに、これほどまでに肩入れをする理由がまったくもって理解できない。
片手で顔を覆ったミレディアナは、深いため息をついて口を開いた。
「もちろん……旦那様のお命が危ういような状況になれば、どのようにみっともなくお縋りしてでも、なにを対価にお支払いしてでも、力を貸していただけるようお願いするわ。だけど、それは最後の手段。その前にできることをしてみましょう」
「できること……とは?」
喉に引っ掛かったような声でヴィンセントは問いかけた。
「クラリッサ様……ガーランド伯爵様に助力をお願いしてみます」
きっぱりと言ったミレディアナは言葉を続けた。
「馬車の中で考えていたの。旦那様が無実であろうがなかろうが、そのようにするのが一番良い方法だろう……と」
困りごとが起きたときは頼るようにと言ってもらった。あまりに早速ではあるが、仕方がない。
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