囚われの帰路
グレイ伯爵の連行後、ミレディアナたちは館に入ることも許されず、即刻グレンミルへ戻るよう指示された。
呆然自失が収まると疑問と怒りが湧いてきたが、公権力に盾突いても事態が好転しないであろうことは、前世の経験からもよく分かっていた。
館の正面へ回されてきた馬車に乗り込むよう命じられると、萎れた花のように俯いたミレディアナは力なく歩み寄ったが、途中、眩暈を起こしたようにふらりと護衛へ倒れかかった。
「奥方様!」
抱き留めた護衛の男に憲兵が怒鳴り声を上げようとしたが、金髪の傭兵は鋭い視線で睨み付ける。
「寄るな。私は奥方様の護衛を任じられている。嫌疑のかかった伯爵様の連行は受け入れたが、奥方様への非礼には剣をもって抗うぞ」
ざわり……と全身の毛が逆立つような危険な気配を傭兵が放った。
「き……金獅子……!」
その威圧感と外見から傭兵の二つ名に思い至った警備兵が、喘ぐように口にする。
「きん……!くっ、傭兵風情が……!」
憲兵は吐き捨てたが、『金獅子』に相応しい威風をもってクリストファーは男を後ずさらせた。
ミレディアナを抱き上げたクリストファーは、そのまま馬車の乗り口に近づいて兵士たちを振り返る。
「下がれ。高貴な女性が弱っておられる姿を盗み見ようというつもりか?下がって、視線を伏せていろ」
そう言い捨てると、己の身体で兵士たちの視線を塞ぐようにしてぐったりとしたミレディアナを丁重に座席へ運び込んだ。人形のようにされるがままの細い身体に楽な姿勢をとらせると、「奥方様、どうぞお心を強くお持ちください」と語りかけたが、返事がないことを悟ったのか、肩を落として馬車から降りた。
「そこのメイド、奥方様のお世話をして差し上げろ」
憂いを含んだ表情でローラに命じると、「伯爵夫人ともあろうお方に一人の世話係もつけるなとは言わないな?」と周囲を睥睨して言った。先手を打たれた憲兵は悔しげだったが、集まり始めた街の人間や外から来た商人などの視線を気にして異論を唱えることはできない。それでもなにか嫌がらせの口実はないかと周囲を見回していたのだが、守るべき貴婦人から引き離され、怒りに震え屈辱に美貌を歪ませる高名な傭兵の姿にひとまずは溜飲を下げ、「傭兵風情が」と今度は心地よさげに吐き捨てた。
もう一台の馬車にヴィンセントやマリアを含む使用人たちを押し込んだ男は、最後に自らも乗り込むと御者に出発を命じた。
グレイ伯爵とは反対の方向に走り去った馬車を成す術もなく見送ったクリストファーは、片手で顔を覆うと重い足取りで町長の館へと入っていった。
◇◆◇
「……ローラ」
薄く片目を開いたミレディアナは、馬車の中に二人しかいないのを確認すると、小さくメイドの名を呼んだ。
「お……!」
奥様!と叫びかけたローラを唇に指を当てて制止すると、「御者は警備兵?」と短くたずねる。
察したローラが微かに頷くことで答えると、「わたくしの様子を確認しているふりをして」と間近へ招いた。
「屋敷へ到着するまでの間、わたくしは意識が朦朧としているように振る舞うから、あなたもそれに合わせてちょうだい。なにかあれば世話をしているふりをしながら教えて」
囁くように伝えると、ローラはミレディアナの汗を拭う動作に紛れて頷いた。口元だけで微笑んで見せたミレディアナは、ふたたび静かに目を閉じた。
「ローラ!奥様のご様子は!?」
馬を休ませるために馬車を止めた川縁で、馬車を降りてきたローラにヴィンセントとマリアが駆け寄った。
ローラは悲しげな表情で首を振り、涙声を上げた。
「朦朧としておられます。時折、目を覚まされることがあってもずっと泣いておられて……。ヴィンスさん、私、どうすればいいのか……」
ほんの一瞬、目を見開いたヴィンセントだったが、すぐに目を伏せ、ローラの肩に手を置くと二度軽く叩いた。
「あなたがそんなことでどうします。奥様を頼みましたよ」
こっくりと頷いたローラは、川の水でハンカチを濡らすと馬車へと急ぎ戻っていく。
(奥様、ヴィンセントさんは奥様にお考えがあることは分かってくださった様子です)
(ありがとう。まどろっこしいけれど、まずはこんなところかしら。そうね、次の休憩の時には……)
力なくクッションにうつ伏せたまま、主従はヒソヒソと言葉を交わした。
ロンデリアからグレンミルまでは馬車で一日。本来なら一度、宿を取ったり野営をしたりして身体を休めるものだったが、憲兵はそれを許さず、馬を交換するだけで出発すると主張した。
「無茶です!奥様のお身体に障ります。せめて野営を!」
ヴィンセントがそう訴えるも鼻で笑い、それどころか「伯爵夫人のために一刻も早く屋敷へ到着しようとしているのではないか。あえて遅延を望むとは、なにか良からぬことをたくらんでいるのではないか?」と言い掛かりをつけてくる。
怒りに青ざめたヴィンセントが言葉を返そうとしたその時、ミレディアナの食事の世話をしていたローラが盆を手にして降りてきた。
「あ……奥様はお食事を召し上がられた?」
ヴィンセントと憲兵の諍いをおろおろと見ていたマリアがローラにたずねたが、うなだれたローラは微かに首を横に振った。
「ほんの少しお水を口にされただけで一口も召し上がらなかったわ。このままではお身体が……」
際立った美人ではないものの優しげな雰囲気をもつメイドが、涙で頬を汚し心細さに震えるさまに幾人かの警備兵が同情の視線を向ける。憲兵もさすがに「むう……」と唸り声をもらした。
「伯爵夫人はお身体が弱くていらっしゃるのか?」
「特別なご病気などはございませんが、普段から食が細く繊細な気質であられますので……」
メイドが涙声で答えると、幾分しっかりして見える黒髪のメイドが口を開いた。
「兵士様、朝までとは申しません。どうかしばらくの間、馬車を止め、奥様にお身体を休める暇をいただくことはできませんでしょうか?」
涼やかな美女に哀願され、涙目のメイドも隣でコクコクと頷いている。雰囲気の違う二人の女性に縋るように見つめられた憲兵は頬を緩め、それを誤魔化すように咳払いをした。
「仕方がないな。それでは二時間だけ馬車を止めよう。それで良いな?」
二人のメイドは瞳を潤ませ、「ありがとうございます!」とそろって憲兵に謝意を伝えた。
「ローラ、馬車を止めていただいている間、私が奥様のお側についておくから、あなたも食事を摂って少し休ませてもらいなさいな。あ……申し訳ございません、勝手なことを口にいたしましたが、よろしゅうございますでしょうか?」
黒髪のメイドから遠慮がちに伺いを立てられた憲兵は鷹揚に頷く。
「なんてお優しい兵士様。心から感謝いたします」
尊敬と親しみのこもった言葉に男は鼻の穴を膨らませて「むふん」とおかしな音を立て、すっかり脂下がっていた。
「おお……マリア、皆の様子はどうですか?いったいなにが起きたというのでしょう……」
馬車の座席でぼんやりと宙に視線を泳がせていたミレディアナは、マリアの姿を認めると涙声でその膝にすがりついた。ローラが外から静かに扉を閉めたことを確認すると、マリアはミレディアナを慰めるように身を寄せた。
「…………皆、乱暴にされることもなく、それなりに扱われておりますのでご安心を。憲兵はチクチクと嫌味を言うばかりで具体的なことは分からないのですが、旦那様には貴族の使用人を殺めた嫌疑がかけられているようでございます。日付は奥様と私たちが買い物に行った日。目撃証言があるとのことです」
「旦那様はどこへ連れて行かれるのかしら?」
「北の塔、と」
「北の塔?」
マリアはさらに声を低めた。
「私も知らない場所なのですが、いかに偏屈なグレイ伯爵といえど北の塔に入れられては罪を認めざるを得ないだろう……と憲兵が申しておりました」
ミレディアナは唇を噛む。てっきり警察署のような、憲兵の詰め所かどこかで取り調べを受けるのかと思っていたが、もしかしていきなり牢獄のような場所へ入れられるのだろうか。
「ありがとう。もし可能なら北の塔についてもう少したずねてみてちょうだい。無理のない範囲で」
「かしこまりました。……奥様、なにも召し上がられていないそうですが、大丈夫ですか?」
こっそりなにかお持ちいたしましょうか?と心配そうなマリアの言葉にミレディアナは苦笑した。
「一日なにも食べないくらい、いくらわたくしでも我慢できるわ」
怪しまれるからやめておいてね、と念を押し、お腹が鳴るのを抑えるようにクッションを抱えてうつ伏した。




