夜明けの惨状
一夜明け、応接室に降りてきた伯爵は部屋の有様に目を見開いた。
「なんだ、この惨状は?」
部屋には、テーブルの上だけでなく床にまでとんでもない数の酒瓶が並び、そのほとんどが空になっている。酒瓶に紛れるように、酔い潰れた人間が四人、死屍累々と床の上に転がっていた。
「あら、旦那様。おはようございます。よい朝ですわね」
おそらく部屋も尋常ではなく酒臭いはずなのだが、昨夜と変わらずきちんとした身なりで、疲れた様子もなく微笑んでいるミレディアナが窓を開けて回っているため、爽やかな早朝の空気が流れ込んできている。
「伯爵サマ……あなたの奥様、化け物よ……」
辛うじて床には転がらず、テーブルに突っ伏していたクリストファーが瀕死の状態で顔を上げた。
「まあ、化け物とは失礼ね」
グラスにたっぷりと水を注いだミレディアナが、クリストファーの前に置く。
「はい。お水をどうぞ」
言うと、酔い潰れた男たちの間を回って顔色や呼吸を確認している。よく見ると倒れた男たちは皆、嘔吐しても窒息しないよう横向きに寝かされていた。
伯爵が、唯一無事な六人目――ロデリックに無言で視線を向けると、木の椅子を前後反対にして座り、背もたれに肘をついてそこに顎を乗せていた隻眼の男は肩をすくめた。
「ご覧のとおり、奥方様はご無事です」
「貴様は潰れておらんのか?」
「俺は下戸なんで」
「そうであったな」
雇用主の前で非礼な態度ではあるのだが、普段からさほど堅苦しい関係でもなく、さらに目の前の光景の異様さに気にする余裕もなかった。伯爵に続いてヴィンセントとトーマスも姿を見せたが、同じく言葉を失っている。
「奥方様、お茶をお持ちいたしましたよ。ロデリックさんはコーヒーでよかったかしら?」
「あ、どうも」
二人に飲み物を手渡したトーマスの妻が、呆れた顔で部屋を見回した。
「奥方様がこれほどシャンとなさっているのに、情けないこと。金獅子傭兵団の名が泣きますよ」
トーマスの妻クララの言葉にロデリックは無精髭の生えた顎を掻く。
「いや、お恥ずかしい。しかし、一晩中見ていても夢かと思うような光景でしたよ。この儚げな奥方様がまるで水を飲むようにきつい酒を……」
「ロデリックさん?――加減しながらいただいていただけですわ」
惨憺たる有様の部屋の中で、そこだけ貴婦人のお茶会の場のように優雅にカップを傾けていたミレディアナがロデリックの軽口に柔らかく釘を刺す。即座に口を噤んだロデリックは、コーヒーを持っていたため片手しか使えなかったが、手を上げて降参のポーズを取った。
「ところで、護衛の件はどうなさるんで?」
コーヒーを啜りながらロデリックがたずねると、ミレディアナは小首を傾げる。
「わたくしはクリスで構いませんけれど。あなたはいかが?」
突っ伏していたテーブルから顔だけ上げたクリストファーがミレディアナを睨め付けた。
「するわよ!あんたみたいな性悪、他のヤツらに任せられるわけないじゃない!」
「まあ、一晩ですっかり仲良くなられたようで。ようございました」
にこやかに言ったクララに、夫のトーマスが信じられないというような目を向けている。
「うふふ、ありがとう、クララさん。楽しく過ごせそうな相手が護衛になってくれて嬉しいわ」
窓の外の空のように晴れ晴れとした笑顔を浮かべて、ミレディアナはそう言った。
土のような顔色をした傭兵たちがロデリックに叩き起こされて帰っていくと、クララを手伝いマリアとローラが手早く部屋を片付けていく。こちらはこちらで、なにやらクララから薫陶を受けたらしい。二人が小声で交わす会話から「伝説の……」「まさか実在……」などという声が漏れ聞こえてくる。クララさん、何者?
朝食の支度が整えられ、打ち合わせがてらロデリックとクリストファーも同席することとなった。
「気をつけておかないと、伯爵邸の酒蔵をこの子ひとりで空にするわよ」
具の入っていないスープだけを飲みながら、クリストファーが伯爵の背後に立つヴィンセントに忠告する。
「あら、そのようなこといたしませんわ。わたくしお酒は好きではないもの」
徹夜明けとは思えない肌艶で、滋味あふれる朝食を楽しんでいたミレディアナが愛らしく目を見張って言うと、周囲の男たち全員が『はぁ?』と言いたげな顔をした。
「本当ですわ。果実水や紅茶のほうがずっと好き」
ミレディアナは男たちの疑わしげな視線に唇を尖らせる。
お菓子や料理の風味付けならよいのですけど、と生真面目な表情で付け加えると、ロデリックが「あー……」と呟いた。
「おれは、そっちもあんまりですな。しっかり火を入れてあればいいんですが」
「体質的に受け付けない方は仕方がありませんわよね。どうしても飲まなければならないというものでもないし、無理はなさらないに限ります」
「仕事柄、やりにくいこともあるんですがね」
のんびりと言葉を交わす二人に、クリストファーが顔を引きつらせた。
「顔色も変えずにアタシを潰しておいて、果汁の方が好きだっての!?なんっっってかわいげのない女!」
クリストファーの叫びに、ミレディアナは悲しそうな顔をする。
「そんな……かわいげがなかったかしら……?でも、ご安心くださいませ、旦那様。わたくし、旦那様の前ではきちんと酔ったフリをして、かわいい妻でおりますわ」
ミレディアナはあどけなく可憐な笑みを伯爵に向けた。
「それを聞いてどう安心せよというのだ……」
呟く伯爵と、今にもキィーーーッ!と叫びそうな顔をしているクリストファーを目に、ミレディアナは心地良さげな笑い声を上げた。
【おまけ】
「奥方様はお若いのに立派な方ですね。あなたたちもぜひご教授いただきなさい」
『はい、クララさん』
メイド二人が声を揃えて返事をする。
「ふふ、酔ったフリは淑女の嗜みでございますから」
ミレディアナの言葉にクララは然りと頷いた。
「おい、おまえ。おまえ、酒は弱かったよな……?」
恐る恐るの夫の言葉に、クララは意味深な笑みを浮かべる。
「まあ、さすがですわ、クララさん。いけませんわね、わたくしはこんなに早く手の内を明かしてしまいました」
頬に手を当て、反省しきりのミレディアナの側で、トーマスは唖然と妻を見ている。
「女とは恐ろしいものだ……」
伯爵が、一同の気持ちを代表してそう呟いた。




