色男の思惑
トーマスの心尽くしのあっさりとした夕食は、社交で疲れた胃に染み渡るほど美味しかった。夜会や晩餐会でいただいた豪華で珍しい料理ももちろん美味しかったのだが、今、一番食べたかったのはこのような滋養のある優しい料理!これこそ真のおもてなし!
「心遣いの行き届いた方ですわ……。執事の鑑といったところでしょうか」
しみじみと呟いたミレディアナの言葉に、「だ、そうだぞ。励めよ、ヴィンス」とグレイ伯爵がからかうような声を上げた。
「あ、違うのよ!あなたが行き届かないと言ったわけではなくて……」
本当にそんなつもりはなかったので慌てて言うと、若い執事は苦笑を浮かべる。
「先代に及ばないのは承知しておりますのでお気遣いなく。今後は一層、精進させていただきます」
「あ、いえ、あの、こちらこそ、いつも面倒をおかけして……」
下手に出られると途端に弱いミレディアナだった。
食事を済ませた夫妻と執事はふたたび応接室に場所を移した。伯爵とミレディアナが長椅子に腰を落ち着けると、トーマスが来客を案内してくる。
「奥方様、こちらはこの街に駐在している傭兵団の者たちでございます。こちらが団長のロデリック、隣が副団長のクリストファーです」
伯爵へ簡単に目礼した総勢六名の男たちを、トーマスがミレディアナに紹介する。状況を今ひとつ把握できてはいないものの、ミレディアナも挨拶をした。
「はじめまして。ミレディアナと申します」
右目に眼帯をした隻眼と思われる体格の良い男が、「団長のロデリックです。どうぞよろしく」と意外と人好きのする笑顔で頭を下げた。
「副団長のクリストファーです。お目にかかれて光栄です、美しい奥方様」
そう言ったもう一人の男がミレディアナの手を取って口づける。なんだこの見た目も行動も派手な男は。
クリストファーと名乗った男は、いかにも傭兵という感じのするロデリックとは違い、こんなのが戦えるのかと疑問に思うほどにすんなりとした身体つきをしている。外見も金髪巻き毛の華やかな美貌で、古い少女漫画に出てくる王子様のようだった。傭兵というよりは役者のような……いや、遠慮なく言うとホストのような。こちらではなんと呼ぶのか――ヒモ、男妾、ジゴロ、つばめ……とにかく、そんな雰囲気を醸し出していた。
「ロデリックさんにクリストファーさんね。他の皆様もどうぞよろしく」
スルリと手を引き抜いたミレディアナに、クリストファーはくすっと笑う。本当になんなんだ、この男。
一応の自己紹介が済み、伯爵にミレディアナ、ロデリックとクリストファーの四人が長椅子や椅子に腰を下ろした。他の者たちはそれぞれの主や上司の背後付近に控えている。一人掛けの椅子に空きがあるにもかかわらず、クリストファーはミレディアナと同じ長椅子に座ってきた。
なぜ傭兵団に引き合わされているのか理解できないままに、街の雰囲気や傭兵団の職務などについてのとりとめのない会話が続いている。その最中にもクリストファーはさりげなく足を押し当ててきたり、ミレディアナの手に指先で触れてきたり、耳に息を吹きかけてきたりした。
ストレスゲージが上昇していくのを感じながらも、表面上は平静を装って会話を続けていたミレディアナだったが、「奥方様、糸くずが」と囁いたクリストファーが首筋に指を滑らせるに至り、ゆっくりと口を開いた。
「いい加減にしてくださいません?心の底から不愉快ですわ――旦那様」
水色の瞳が凍てつくような光をもって伯爵に向けられる。その声も冷え冷えとしており、控えている者たちは一様に身体を強張らせた。
「今回はなんのおふざけです?それとも、ご自身の女遊びから目を逸らすため、わたくしにも愛人をあてがってやろうとでも?――だとすれば侮辱するのもいい加減になさって」
突き放すように言ったミレディアナは、無言で伯爵を見据えている。
口を開きかけた伯爵は、思い直してその口を閉じ、立ち上がってミレディアナへ歩み寄るとその前に跪き、両手で妻の手を取って慎重に口づけた。
「悪かった。決して、侮辱したつもりはない」
宝石のように美しい瞳が無感動に伯爵を見下ろしている。一同が固唾を呑んで成り行きを見守るなか、「アハハハハ!」と場違いな笑い声が響き渡った。
ミレディアナは笑い声の主――クリストファーに冷ややかな視線を向ける。
「ごめんなさい!アタシが伯爵サマに頼んだの。あなたがアタシになびかないか試させてくれって」
悪びれなく笑いながら両手を合わせてみせるクリストファーを、ミレディアナは表情も変えずに眺めている。
「あなたは女性……ではないわね」
「あら、男が女の言葉を使うのも不愉快かしら?」
挑発的な言葉にもミレディアナの表情は揺るがない。
「いいえ。他人の性自認にも性的指向にも口を出すつもりはないわ」
淡々と答えるミレディアナにクリストファーは面白そうな顔をする。
「けれども、ならばなおのこと、わたくしに思慕の念を抱いてもいない者からなぜ人前であのような辱めを受けなくてはならないの?」
わたくしはあなた方の玩具なのかしら?
表向きは伯爵とクリストファーに向けられたその言葉に、全員がギクリとした。
そのようなつもりはない。玩具のように思っていたわけでも、見下した気持ちを抱いていたわけでもなかった。だが、『本気ではないから』と、『伯爵が認めているなら』と、苦笑まじりに見過ごしたり、どこか面白がったりしていた気持ちを見透かされたようで、誰ひとり声を上げることができなかった。
「ん~~~……」
その沈黙を破ったのは、またもやクリストファーだった、
顎に指を当て、目を閉じて考えを巡らせていたが、パッと目を開くとミレディアナに向き直る。
「そうね。全面的にアタシが悪かった。心から謝罪するわ。あなたを侮辱する気も、辱める気もなかったけれど、そう捉えられても仕方のない行為をしました。ごめんなさい」
本心から反省しているようには聞こえない軽薄な口調に全員がヒヤリとしたが、謝罪する姿と表情をじっと見ていたミレディアナはどう感じたのか、うっすらと笑みを浮かべた。
「謝罪を受け入れますわ。――旦那様もお立ちになって」
未だ跪いたままだった伯爵に手を差し出す。ミレディアナの手を取って立ち上がった伯爵は席へ戻ると椅子にドサリと身体を預けた。
「肝が冷えたぞ……」
呟く伯爵にミレディアナは呆れた顔をする。
「クリストファーが主犯とはいえ、お認めになった旦那様も同罪でしょう。なにを他人事のように……」
いや、そんなつもりでは……と姿勢を正した伯爵を尻目にクリストファーが不思議そうな顔をする。
「ねえ、どうして伯爵サマが共犯だって分かったの?」
ミレディアナは小さく笑う。
「あなたが独断でしていたことなら、旦那様はともかくとしてトーマスさんは無礼を見過ごしたりなさいませんでしょう」
名指しされたトーマスは冷や汗を拭う。
「いや……申し訳ございませんでした。奥方様のお怒り、しかと受け止め重々反省いたします」
直角に身体を曲げて謝罪する町長にミレディアナはほろ苦く笑う。
以前の世界で生きていたとき、水商売の女だから、身体を売る女だから、となにを言ってもしてもいいと考えている輩には嫌というほど出会ってきた。それでも大抵のことは波風を立てずにへらへらとやり過ごしていたのは、それが仕事だったから。そうしなければ食べていけなかったからだ。そこから生まれ変わり、仮にも『奥方様』と呼ばれる身の上になってさえ、女だというだけで同じ目に遭わされるのかと心の底から腹が立った。
(ビビらせるつもりはなかったんだけど)
トーマスさんと傭兵たちには完全に引かれたな……そう考えていたミレディアナは「あ」と声を上げた。
「結局、これはなんのための集まりですの?」
今のところ、ミレディアナにとっては完全なマイナスプロモーションの場となってしまっている。せめて意義の一つくらいあってくれなくては困るのだった。
「というわけで、伯爵サマから遠出の際の護衛を依頼されたのよ」
「なるほど。理解いたしました」
先日の王都での騒動。それを憂慮した伯爵が彼らに護衛を依頼し、その顔合わせというのがロンデリアに立ち寄った目的だったようだ。
「コイツらみたいな、いかにも傭兵って雰囲気の野郎どもだと、領地はともかく王都には連れて行きにくいじゃない?その点アタシならこのとおりなんの問題もなく貴公子に見えるから最適なわけなんだけど」
そう言ったクリストファーは行儀悪く足を組み、「ハンッ!」と笑った。ちなみに席は一人掛けに移動している。
「嫌なのよね、勘違い女に言い寄られるの。こっちは仕事で護衛してるだけだってのに」
クリストファーの背後に控える部下たちはハラハラした表情でミレディアナの顔色をうかがっている。
「それで、あのような無礼を働いてわたくしを試した、と。――それで?わたくしはあなたの試験に合格したのかしら?」
薄笑いを浮かべてたずねるミレディアナに、クリストファーはニヤニヤとした笑いを見せる。
「ん~~~?どうしよっかなぁ?惚れられる心配はなさそうだけど、あんた性格悪そうだし」
ミレディアナは唇の両端を吊り上げる。
「同じ言葉を倍にしてお返しいたします。わたくしのほうこそ、あなたのような根性悪に側にいられては、身の安全は守れても心の平穏が保てません」
めったにないほどの美人二人が、不穏な空気を発しながら笑顔で睨みあっている。周囲はただ無言で見守るしか術がない。
「旦那様」
笑顔のままのミレディアナがくるりと伯爵に顔を向けた。
「……なんだ」
心なし身を引きながら答えた伯爵に、ミレディアナは一層笑みを深くする。
「どうやら、わたくしこの方と話を付け……いえ、相互理解を深めるためのお話し合いをしなくてはならないようですわ。双方が忌憚なく意見を交わすためにも、旦那様や皆様方はどうぞ先にお休みくださいませ」
おまえら邪魔だから出ていけ、という意味である。
こんなのを二人にしてはなにが起こるか分からない、と全員が思い動くに動けなかったのだが、そんななかロデリックが片手を上げた。
「俺が見張っておきますから、伯爵様や町長さんは休んでください。いざとなったら、こいつらに止めさせます」
俺たちも残るんですか!?と言いたげな部下をロデリックは片目でギロリと睨む。
「俺だけに押し付けようってのか?」
即座にピッと背筋を伸ばした傭兵たちは、テーブルと長椅子を囲むように四方向に分かれて立った。格闘技の審判か。
ミレディアナへの忠誠心か、はたまた信用のなさか、ヴィンセントも部屋の片隅に居残ろうとしたのだが、クリストファーから視線を外さず、見えていないはずのミレディアナが「ヴィンセント、あなたも退出」とノールックで扉を指さす。
邪魔者がいなくなった部屋の中、不敵な笑みを浮かべて睨み合う二人の佳人の間にゴングの音が聞こえた気がした。




