メイドたちの沈黙
人々の気配を感じたミレディアナは小さく安堵の息をついた。
「よかった。ようやく人のいる場所へ出られそうね」
ひとまずどこかの店へ入って身分を明かし、マリアとローラを探してもらおう。
そう考えながら路地の出口を目指していると、背後から聞き覚えのある声がした。もっとも聞き覚えがあるだけで、聞きたい声ではなかったのだが。
「見つけたぞぉ」
爆笑男――もう爆笑はしていないので、元・爆笑男というべきか。背後から現れたそいつはニタニタと笑っている。
とはいえ、路地の出口である大通りはもうすぐそこだ。二人が走り出そうとした時、元・爆笑男が大声を上げた。
「おぉい!ジョックの店の裏だ!」
相方を呼ぶ声に危険を感じたミレディアナたちが走り出すまで、数秒もかからなかったはずなのだが、大通りの方から元・涎男が姿を現した。
「余所者が俺たちから逃げられるとでも思ったか?ここらの路地は隅から隅まで知ってんだよ」
こちらは頬をひくつかせながら、嗜虐的な笑みを浮かべている。
(どうする?身分を明かしてビビらせるか?でも逆効果ってこともあるしな……)
夜の街でもチンピラが兄貴分の名前を出して、逆にボコされたというのもよく聞く話だ。
「今日はツイてる。女を拾うだけのつもりだったが、向こう見ずな金持ちの娘を攫えば親から金をふんだくれるぞ。二件も大仕事すりゃ当分は遊んで暮らせるな」
あ、これ逆効果だ。脅迫先が太いことを親切に教えてやるだけだわ。正確には娘じゃなくて嫁だけど、それを言っても結果に変わりはないだろう。
(しょうがないな……)
気は進まないが、色仕掛けで時間を稼ごう。
「ヴィンセント、わたくしが男たちの気を引くから、急いで人を連れてきて」
「あなたはまた……!」
小声で言うと、ヴィンセントが声を尖らせた。
いいから!と言いかけた時、「こちらです、兵士様!」という叫び声と馬車の音が聞こえてきた。
「クソッ!」
男たちに動揺の色が浮かび、視線を交わしたミレディアナとヴィンセントは同時に通りへ向かって走り出す。元・涎男の両脇を駆け抜ける際、ミレディアナに手を伸ばそうとした男の膝裏を、今度はヴィンセントが蹴り飛ばした。
「ぐあっ!」
ミレディアナが蹴った時とはさすがに違い、男は顔面から地面に突っ込んだ。
「奥様!こちらへ!」
速度を落とした馬車の扉が開かれ、中からローラが手を伸ばす。手を借りて飛び込むように馬車に乗ると、後ろからヴィンセントに押し込まれたマリアが突っ込んできて、最後に乗り口に足をかけたヴィンセントが御者に向かって「出せ!」と叫ぶと、勢いよく走り出した馬車から振り落とされそうになり、とっさに手を伸ばしたミレディアナとマリアとで引きずり込んで、ローラが馬車の扉を閉めた。
「はぁぁぁぁぁ……。助かった……のね……。ありがとう、マリア、ローラ。二人とも、怪我などしていない?」
狭い馬車の床に団子になって座りながら、ミレディアナが呆然とした口調で問うと、ローラが泣き出しそうな声で答えた。
「わ、私たちはなんとも……。申し訳ございません!奥様を危険な目に遭わせてしまい……!」
「いえ、それはお互い様でしょう。あなたたちだって怖い思いをしたのは同じよ」
「いいえ、私たちが身を挺してでも奥様をお守りするべきでございました。……なのに、とっさに動けず申し訳ございません」
硬い表情でマリアが詫びた。
「身を挺されてもわたくしが突っ込んでいくから結果は同じだったわよ。――それより馬車を呼んできてくれて助かったわ。あら?結局、警備兵はいなかったのね」
兵士を呼ぶマリアの声ははったりだったのだろう。なかなかの頭脳プレイだ。
ミレディアナが感心していると、三人に見据えられているのに気が付いた。首を傾げたミレディアナに、全員が同時に叫ぶ。
「「「ですから!!!そういったことはおやめください!!!」」」
見事な異口同音の叫び声に、ミレディアナは首をすくめた。
「そ、そういった……?」
「突っ込んでいく、というようなことです!」
「先ほど私が話したことをまったく理解しておられない!」
「もうあのようなことはなさらないでくださいませ!」
一斉に詰め寄られ、ミレディアナの腰が引けるが、馬車の中では逃げ場所もない。
「わっ、わかったわ!でも、あの……!」
「なにが『でも』でございますか!」
「分かっていない!絶対に分かっておられません!」
「私たちがどのような思いをしたか考えてみてください!」
「ごっ、ごめっ、ロ、ローラ!?泣かないで!ごめん!ごめんなさい!」
三人がかりで絞られたミレディアナは、ぐったりと馬車の座席に座り込んでいた。
「いや、もう、本当に反省してます。王都の目抜き通りだから安全だと思って皆と来たのだけれど、危険な目に遭わせて悪かったわ」
ミレディアナの言葉にヴィンセントは首を振る。
「いえ、普段は危険などないはずなのです。街の女性が一人でも歩けるほどの場所なので、旦那様もご許可なさったのですが」
「たまたま質の悪い男たちがいて、たまたま警備兵がいなかったということかしら?たまたま……ねぇ」
ミレディアナは眉をひそめた。前世は客観的に見て運のない人生だったと思うのだが、今世にも運のなさを引きずっているのだろうか?
(いや……運、とも限らないか)
来し方を思い自嘲の笑みを浮かべたミレディアナに、向かいに座るマリアが心配そうな顔をする。
「あ、いえ、なんでもないの。それより、一つ気になることがあるのだけれど……」
ミレディアナの深刻そうな表情に三人は姿勢を改めた。
「あの男たち……わたくしを『金持ちの娘』だと言っていたわ。借り物の服を着ていたし、言葉遣いも改めていたはずなのに、どうして知っていたのかしら……」
最初からミレディアナを狙っての犯行だったのだろうか……と考え込んでいると、マリアとローラがおかしな表情で顔を見合わせている。
「どうかした?」
ミレディアナの問いかけに、マリアが慎重に口を開いた。
「あの……大変申し上げにくいのですが、ただ普通に気付かれていただけかと……」
「え!?」
ミレディアナは頓狂な声を上げる。これでも芝居っ気には多少の自信を持っている。それこそ王宮舞踏会で『白い結婚』の噂を立てられるくらいには演技力があるはずなのだが。
「買い物をしたお店でも、少なくとも店員は奥様が身分の高い方であると気づいていたと思います」
う、嘘……。めっちゃ恥ずかしい。言われてみればお店の人たち、異様に愛想が良かった気がする。たくさん買ったからかと思ってたんだけど、思い返すと愛想がいいというよりは、なんか生暖かい眼差しを向けられていたような……
「え……な、なんで……?そんなに不自然だった?」
一応、伯爵からも及第点をもらったんだけど。
マリアから『代わってよ』と言いたげな視線を向けられたローラが、遠慮がちに口を開く。
「その……服装や言葉遣いに問題はなかったのですが、やはり物腰などに育ちは出ますし、それに、手が決定的に違います」
「手!?」
差し出されたローラの手を食い入るように見る。毎日、ミレディアナのために掃除をしたり、風呂の支度をしたりしてくれているローラの手は、きちんと手入れがされていて荒れていることはなかったが、しっかりと皮が固く爪も短く切りそろえられていた。一方、ミレディアナの手は赤子のように柔らかで爪は美しく磨かれている。
(あああああ~~~~~!)
色んな意味で恥ずかしく、ミレディアナは赤くなった頬を両手で押さえた。
「申し訳ございません。その……奥様と旦那様が楽しそうにされていたので、口を挟むのも野暮かと思い……」
うわぁぁぁぁぁ!アホな夫婦がはしゃいでるのを周りが気遣ってそっとしてくれていたーーー!
「うん……わかった……理解した……」
のたうち回りたいくらい恥ずかしかったが、狭い馬車の中ではのたうち回る場所もなく、到着までの間、ミレディアナは頭を抱え、スカートに顔を埋めてひたすら羞恥に耐えていた。
◇◆◇
話を聞き終えたクラリッサは、微妙な表情で首を傾げた。
「結末は面白いのだけれど、思いのほか大事ね」
ミレディアナは首をすくめる。
「ええ、ですから『済んでしまえば笑い話』と申し上げました」
「グレイシア様にお聞かせすると、面白がるより心配してしまわれるかもしれないわ」
呟いたクラリッサがふと顔を上げた。
「あなたの夫は同行していなかったの?」
「ええ。人に会う予定があるとおっしゃって。もちろん帰宅後にご報告したのですが、めずらしく怖いお顔をしておられましたわ」
三人の使用人も含め叱責されるようなことはなかったのだが、なにやら難しい顔で考え込んでいた。
「それにしても、王都の人気店が集まる場所であのような不埒者に絡まれるとは思いませんでした。意外と治安が良くないのでしょうか?」
「いいえ、そんなことはないわ。昨日はたまたま騒動があって兵士が駆り出されていたために、狼藉者が入り込んでしまったのでしょうね」
ミレディアナは目を瞬く。
「騒動ですか?」
クラリッサは頷いた。
「大きな街だから喧嘩沙汰くらいはしょっちゅうあるのだけれど、昨日は死者が出たそうなの。それも、どうやら貴族の使用人だったらしくて、そちらの捜査に人手が割かれてしまったのね」
それで警備が手薄になって新たな事件が起こるようでは本末転倒なのだけれど、とクラリッサは苦笑する。
「あなたの夫も手は回したかもしれないけれど、わたくしからもしかるべき筋に話をしておきましょう」
そう言って立ち上がったクラリッサは、眉をひそめてミレディアナに目を向けた。
「明日には発つということだから何事もないとは思うけれど。困りごとが起きたときにはわたくしに頼るのよ?」
念押しして帰っていった女伯爵を見送ると、ミレディアナは菓子の箱から三つを取って、あらかじめ準備しておいたカードを添えた。
「ヴィンセント、これをスー・ラ・ローズへ届けるよう手配してちょうだい」
受け取った執事は菓子箱を凝視している。
「……毒でも仕込んでおられるのですか?」
「ど・う・し・て・わたくしが毒菓子などお届けしなくてはならないの?」
半眼でミレディアナは睨んだが、ヴィンセントは疑いの目を緩めない。
「旦那様が贔屓にしておられる娼館へ菓子を届けるどんな理由が?」
「アンヌ様とお姉様方への差し入れよ!……って、そういえばあなた先日は同行していなかったわね。わたくしがアンヌ様に魅了された話は聞いていないの?」
「魅了……?アンヌ様というと、その……」
ヴィンセントが口ごもる。
「旦那様の女性でしょう?心配しなくても、知ったうえでわたくしはアンヌ様に魅せられたのよ。――というかあなた、マリアンヌ様にお会いしたことないの?」
「はい。お供するような場所でもございませんので」
それもそうか。一晩中、待っているのも気まずいもんな。
(一度くらいヴィンセントにもおごってあげればいいのにねぇ)
気の利かない上司だな、と考えたミレディアナはすぐに思い直す。
(ダメだ。こんな魔性を送り込んだら女の子たちの間で血の雨が降る)
「見た目が良いのも考えものね」
唐突に憐れみの視線を向けられたヴィンセントは、意味が分からないながらもなんとなく腹が立ち、「はっ?」と苛立たしげな声を上げた。




