クラリッサの晩餐会(一)
「なんだ?それは」
王妃主催のお茶会の翌日は予定のない休養日だった。
朝ごはんにパンケーキを食べて満足し、中庭のテラスで読書をしていたミレディアナにグレイ伯爵が声をかける。
「王妃様からお借りした小説ですわ。旦那様もお読みになります?」
「いらん」
そう言いながらも一冊手に取りパラパラと眺めたが、興味なさげに小卓に置こうとしたそれをミレディアナは素早く奪い取った。
(借り物を雑に扱うな!)
万が一お茶を零しても濡れない場所に丁寧に置いておく。
「あの王妃と、書物を借りるほどに親しくなったのか?」
「ありがたいことに、とても良くしてくださいました。お優しく、お可愛らしい方でしたわよ?」
伯爵は納得のいかない表情を浮かべて首を傾げていたが、「そういえば」と口を開いた。
「茶会や夜会の出席者のあいだで、そなたやたらに良い評判を得ておるようだぞ」
「あら、そうですか」
「嬉しくないのか?」
肩透かしをくらったような表情で問う伯爵に、ミレディアナは曖昧な笑みを浮かべる。
(目的が違うものねぇ)
社交界に参加する意義としては、主に人脈作りや情報交換。年頃のお嬢様やお坊ちゃんにはお相手探しも重要だろう。ただ単に華やかなパーティーの場が好きだという人もいるかもしれない。だが、ミレディアナにはそのどれも必要なかった。
来いと言われたから来ただけ。一宿一飯どころか、約八十宿二百四十飯……おやつを含めれば約三百食――その恩義を感じているからお付き合いをしているだけだ。まあ、世間一般的な言い方をすれば妻の役割というものになるのかもしれないが。
人脈を作るためなら有力者と、お相手探しが目的ならば優良株の未婚男性とお近づきになることが大事だろうが、そのどちらにも興味がないミレディアナがするべきことは?そう!場を円滑に盛り上げること!
盛り上げるといっても、もちろんコール飲みをしたりするわけではない。全体を俯瞰し、会話に上手く参加できていない人がいれば話しかけ、興味のありそうな話題を探し、可能な限り他の参加者とのあいだを繋ぐ。それから、男性に多い『自分語り』に周囲がうんざりとしているようならそのお相手を引き受ける。といってもほとんどは「さすがですわ!」「趣味がよろしくていらっしゃるのね」「素晴らしいですわ」「洗練されておりますこと」「存じませんでした!」の、五つの言葉のどれかを返すだけである。これぞ接客の『さしすせそ・改』!
若干、職業病のような気がしないでもないが、目的がないのも退屈なのでちょっとしたゲーム感覚で場を回しているうちに、社交が得意でない人からは「あの子がいるといつもより楽しかった」と感謝され、主催者からは「あの子がいると会がいい感じに盛り上がった」と評価された、ということのようだった。
まあ、こちとらプロの接客業だったんで!
元・へっぽこキャバ嬢でもそれなりの評判を得られるのだ、マリアンヌなんぞが降臨した日には一瞬で場を掌握するだろう。
仕事のつもりで参加している身としては、評判が良いと言われて嬉しくないわけではないのだが、プロ意識が邪魔をしてついスカしてしまう。
「社交界の女王でも目指すつもりか?」
からかうような伯爵の言葉にミレディアナは顔をしかめる。
「まさか!そのような地位ごめんこうむりますわ。つつがなく日程を終えて早く屋敷へ戻りたいと思っておりますのに」
アンヌ様と気軽にお会いできないのは寂しいですが、と呟くと伯爵は呆れた声で「またそれか」と首を振った。
◇◆◇
夜会、夜会、お茶会、夜会、お茶会、演奏会、お茶会、お茶会……そのような日々を過ごし、王都での日々もようやく終盤を迎えていた。
「ミレディアナ!よく来てくれたわね!待っていたわよ」
(ひゃぁぁぁぁぁ!)
満面の笑みを浮かべたクラリッサがミレディアナを抱きしめると、周囲の貴族たちがざわついた。
少々変わり者という評判はあれど、社交界で盤石の地位を築いている有力貴族からの親密な挨拶に、グレイ伯爵ですら意外の念を見せている。
(やめてぇぇぇぇぇ!必要以上に目立たせないで!)
とはいえ、ぎこちない態度で接してクラリッサの顔を潰すわけにはいかない。
「クラリッサ様!お久しぶり……というほどではございませんが、またお会いできて嬉しいですわ!」
クスクス笑ったミレディアナが抱擁を返すと、クラリッサは自らミレディアナの腕を取り応接室から食堂へと案内する。
「あまり人目を引かせないでくださいませ」
ミレディアナが小声で抗議すると、クラリッサはニヤリとする。
「早くあなたにグレイシア様と個人的に親しくしても不自然でない程度まで社交界での地位を上げてもらいたいと思ってね」
力業!破天荒な女伯爵らしいなさりようだが、巻き込まれたミレディアナにとっては堪ったものではない。
(グレイシア様はこの方を姉とも母とも慕っているっておっしゃってたけど、逆もまた然りなわけね。しかも相当、過保護だこの人)
グレイシアに『お友達』を作るためならば、こちらの都合は顧みない意向らしい。その代わり『お友達』である限り、必要な助力は惜しまない……といったところか。とんでもない人にロックオンされてしまったかも。グレイシアの人柄が好ましいのが慰めだ。
嫌な予感は的中し、食堂ではクラリッサの正面の主賓席に座らされた。伯爵は二番目に良い席であるクラリッサの隣だ。伯爵が気を悪くするような性格ではなく、完全に面白がっている様子なのが救いである。……救いかなぁ?
にこにこと笑顔を浮かべ、好々爺モードに入った伯爵は絶対に手助けする気はないだろう。高みの見物か、テメェ。
内心で口汚く罵りながら優雅な笑みを浮かべていると、両隣に若い男性が案内された。クラリッサがミレディアナとの……『グレイシアの友人であるミレディアナ』との縁を取り持とうとしている相手であるならば、グレイシアにとって有益な人物なのだろう。それぞれに視線を向けたが、見覚えがない。
(舞踏会には来てなかったのかな?)
確かに、国中の貴族やその子息・子女が全員来ていたわけはないのだが、クラリッサが目をかけるような有名どころはだいたい来ていたのかと思っていた。
着席時からそわそわとミレディアナの様子をうかがっていた左隣に座る男が咳払いをして声を上げる。
「グレイ伯爵夫人!エドワード・ボッシュと申します!ご挨拶できて光栄です!」
声でかっ!腹式呼吸が染みついている。絶対に体育会系だ。
「はじめまして、ボッシュ様。ミレディアナ・グレイでございます」
ボッシュ、ボッシュ、ボッシュ……おかしいな、脳内の貴族名鑑に引っかからない。
「ボッシュ様は…… もしや騎士様でいらっしゃいますか?」
ガタイの良さと滲み出る軍隊感、そして名門貴族ではなさそうなところから推測してたずねると、ボッシュは嬉しそうな顔をして勢いよく頷いた。リアクションもでかい。
「はいっ!おれ……いえ!ワタクシは近衛騎士団第二軍に所属しております!先日の舞踏会の際は警備の任に就いており、伯爵夫人とお話しすることは叶いませんでしたが、お姿を垣間見ることができた者たちから夫人のお美しさは聞いておりましたので、お会いできるのを楽しみにして参りました!」
開けっぴろげな人だな~。絶対、明日から同僚に『グレイ伯爵夫人に会った!めっちゃ美人!めっちゃいい匂いした!』とか言いまくるだろ。
可愛げがあるのは確かだが、本当にこの人、有益な人物なんだろうか?
チラリとクラリッサに目をやるが、素知らぬ顔で伯爵の反対側に座る紳士と談笑している。
「おい……」
ミレディアナの右隣から不機嫌そうな声がした。驚いてそちらを見ると、三白眼で少々目付きの悪い細身の男の姿があった。男の視線はミレディアナを通り越して、隣のボッシュに向いている。
「おまえな!こういうときは身分の高い順にご挨拶するものだろう!なんでおまえが真っ先にぺらぺら話かけるんだ!」
男の苦情にボッシュはきょとんとした顔をする。
「いや、おまえがなかなか話し出さないから、俺が先に話したほうがいいのかなー、と思って。ごめんな、先に話したかった?」
ボッシュ君、合コンじゃないんだよ?
三白眼の青年も思いは同じだったようで、握った拳を震わせる。
「話したかったとかそういう問題ではない!礼儀作法の問題だ!」
こんな場所で喧嘩するなよ、若者たち。ここは淑女として場を収めなくてはね。
ミレディアナがクスクス笑い始めると、三白眼の青年は気まずそうに、ボッシュはなぜか嬉しそうにミレディアナに目を向ける。
「お二人は仲良しでいらっしゃるのね。お話を耳にしていると楽しくてつい笑ってしまいましたわ」
「腐れ縁です」「親友です!」
見解の相違が明らかな二人は、双方が苦虫を嚙み潰したような顔になる。
「腐れ縁の親友ですね。承知いたしました」
年下の美少女に仲裁されては、騎士として、紳士として諍いを続けるわけにもいかないだろう。
「お見苦しい姿をお目にかけ申し訳ありません。ハドリー・ブレアです」
三白眼の青年は苦い口調で名を名乗る。
「ブレア様……というと、宰相様の?」
「はい。長男です」
「まあ、さようでございましたか。お父様には先日の舞踏会でご挨拶をさせていただきました」
「聞いております。私はああいった場が得意ではなく、参加しておりませんでしたが……」
こっちはこっちで社交嫌いの堅物か。クラリッサ様、本当にこれでいいの?
「ブレア様……あ、これでは宰相様と区別しづらいですね。ハドリー様とお呼びしても?」
「あ……はい……まあ、どうぞ」
ミレディアナの親しげな微笑みに気後れした様子を見せながら頷いたハドリーの反対側から「はいはいはい!」と声が上がる。
「おまえだけずるい!伯爵夫人、俺もぜひエドワードと!」
「はい、そのように。エドワード様」
エド君とハド君ね。頭の中で何度か繰り返したミレディアナは、いつの間にか乾杯の酒が注がれていたことに気がついた。
「お若い方々、自己紹介はお済みになった?」
テーブルに肘をついて指を組み、そこに顎を乗せて『待ちくたびれた』のポーズを取ったクラリッサの言葉にハドリーとミレディアナは顔を赤くし、エドワードは「ばっちりです!」と力強く頷いた。




